翻訳会社 ジェスコーポレーション

技術翻訳 特許翻訳 法務・法律翻訳 生命科学翻訳 マンガ翻訳 多言語翻訳   
翻訳会社JES HOMEColumn > archive

Column


第70回 100歳以上の高齢者について
<質問>
本羅先生、こんにちは。認知症のコラムを拝見して、これからは高齢化社会が大変なことになるけど、ウチは大丈夫?と家族で話題にしてみたのですが、どうやら父母も祖父母も、終始、全く他人事みたいでした。祖父がキツい冗談で

「バァさんは、今でもウルサくて大変なんだ。認知症になったら相手しきれんぞ。勘弁してくれよ。」
と祖母に言うと、祖母は平気な顔で
「何ボケたこと言ってんのよ。ジィさんの方が健康診断の数値悪いんだから、認知症になるんだったら、そっちが先でしょ。私の方こそ、面倒かけられるのはゴメンだわ」
と言い返します。そこに、父が入ってきて
「オヤジもオフクロも止めろって。それだけ口が回れば、2人とも心配ないよ。もしもの時は、仲良く一緒に介護施設に入れてやるから」
なんて、宥めるより、煽るみたいな合いの手を挟みます。すると今度は、祖父母が2人して父に
「よく言うぜ。オマエの方が、しょっちゅう酒飲んで夜更かしじゃねぇか。俺たちより、よっぽど不健康だろうがよ」
「本当に、ねぇ。アナタこそ、先に若年性認知症で、私たちに面倒見させることにでもなれば、とんでもないわよ」
と、おっかないこと言ってます。呆れた顔で聞いてた母は

「はぁ……。どうせ、この人たち、100歳超えたって、同じようなこと言ってんだわ。けっきょく私が全部お世話しなきゃいけないんでしょ。ゾッとしちゃう。」
と、ボソリつぶやきます。もう、私は苦笑いするしかなくて。というか、どうやら家族みんな、シャンとして100歳まで生きることを当たり前に思っているみたいで、私は、それにビックリです。

そういえば、100歳を超える人って、日本人が世界一多いって聞いた事あります。それって、本羅先生、本当ですか?
がんや認知症は嫌ですけど、100歳を超えるのが当たり前になる社会も、ちょっと想像がつきません。いったい、どんな風になるのでしょうか? 怖いもの見たさと純粋な好奇心が半分半分です。
(東京都 N.M.)
(2025年3月)
<回答>
N.M.さん、ご両親やお祖父様お祖母様、皆さんお元気そうで、何よりですね。さぞかし、賑やかなリビングなのだろう、と想像に難くありません。

認知症と高齢化に関する最新データ
さて、実際のところ、2022年のデータですが、65歳以上の日本人高齢者で認知症を患うのは、全体の3割弱しかいません。これが90歳以上になれば、男性の4割弱/女性の5割強に増えますが、実は、10年前の2012年と比べると、全体的に認知症の有病率は改善していました。この有病率の改善は世界的な傾向でもあり、今後も継続すると思われます。そんな興味深い、少し明るい事実で、前回、前々回の「認知症」のお話を締め括りました。

最新の統計データ(2023年)によると、75歳まで生存する日本人は、男性で75.3%、女性で87.9%だそうですが、これが90歳となると、男性では26.0%、女性では50.1%に減少します。


しかしながら、ざっくり日本人男性の4人に1人、女性の2人に1人が90歳になると考えれば、N.M.さんのご家族のように100歳になることに楽観的でいるのも、少なからず、的を外しているわけでは無さそうです。

実際、100歳まで生きる覚悟をしなきゃいけないだの、ピンピンコロリが理想だのと、良くも悪くも、超高齢化社会の話題が世間でも当たり前になってきました。


日本における100歳以上の人口と世界比較
100歳以上の方のことを英語ではセンテナリアン(centenarian)、日本語では「百寿者」と呼んでいます。

世界中で100歳以上の方が増えているのは確かなようで、国連の人口予測だと、2024年には世界で72万2千人のセンテナリアンがいると推定されています。

そしてN.M.さんが見聞きされたように、統計上、センテナリアンは日本人が一番多いです(図1)。

図1.各国の100歳以上人口
●Aは国別100歳以上人口上位5カ国。
●Bは10万人当たりの100歳以上人口上位5カ国。
●各データの統計年度は各国で異なり、いずれも推計値であることに注意。
●バルバドス(Barbados)は、カリブ海の東端にある珊瑚礁で出来ている島国で、共和制国家。発音は「バーベイドゥス」に近い。ラテンアメリカおよびカリブ海諸国全域で、最も議会制民主主義の定着した国と言われ、人口は約30万人。10万人当たりの100歳以上人口(B)では5位だが、実際の人数(Aの参考値)は114人である。
 
参考) wikipedia「センテナリアン」
https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%82%BB%E3%83%B3%E3%83%86%E3%
83%8A%E3%83%AA%E3%82%A2%E3%83%B3

更に言うと、日本のセンテナリアン/百寿者は急激に増えています。1963年に老人福祉法が制定され、9月15日を「老人の日(注1)」と定めたとき、百寿者は全国で153人でした。


(注1) 老人の日:
元々は「敬老の日」と同日の9月15日だったが、2001年の祝日法改正(いわゆるハッピーマンデー / 連休を増やす目的)によって「敬老の日」が9月第3月曜日となったことから、同年に老人福祉法を改正し、改めて9月15日を「老人の日」に制定した経緯がある。記念行事として、その年度に100歳を迎えた、ないし迎える予定の高齢者で「老人の日」に存命の方へ、内閣総理大臣から祝状と記念品(銀杯)を贈呈している。


それが、1981年に千人、1998年には1万人を超え、更に、2012年には5万人、2024年には9万5千人強に達し、10万人も目前です。なんと、2050年には、百寿者が推計68万人を超えると予測されています。


参考) 「元気百歳になる方法データ集(国際長寿センター)」
https://www.ilcjapan.org/aging/doc/booklet_genki100.pdf


ちなみに、110歳以上の方は、スーパーセンテナリアン(supercentenarian / super-centenarian)と言いますが、その人数、実にセンテナリアン全体の0.1%に過ぎません。そして、スーパーセンテナリアンの中でも最高峰、115歳を超えるとなると、更にハードルは上がります。有史以来、つまり記録を手繰ることの出来る限りで、115歳を超える方々は、この世に、たった70人が知られるだけなのです。

ただし、近代になって戸籍制度が整備されて100年そこそこ。精々が200年に満たないでしょう。ある意味、高齢者の実年齢が確実に遡れるようになった今だからこそ、こうした話も出来るのです。とは言え、記録が確認出来ない超高齢者もいただろうことには、注意を払う必要はありますが、少なくとも、科学的に考察する限りにおいては、参考程度に留めておくことにします。


超高齢者と老年学の研究
高齢者の実態調査を通じて、加齢に伴う老化の影響を医学的ないし社会学的に研究し、良い影響の増強と悪い影響の軽減を目指すのが、老年学(Gerontology)です。中でも、国際的に盛んな老年学の研究団体が「ジェロントロジー・リサーチ・グループ(Gerontology Research Group / 略称: GRG)」です。GRGは1990年に設立され、カリフォルニア大学ロサンゼルス校 (University of California, Los Angeles / 略称:UCLA) で毎月会合が開かれています。そもそもGRGは、哺乳類における種の寿命/老化/について調査する機関として始まりましたが、任意の時点における種の最長寿を特定するべく、対象の年齢を裏付けるための調査委員会を2000年頃に設けました。この調査委員会の活動で最も有名なものが、スーパーセンテナリアンの消息確認です。その調査結果は、皆さんご存知のギネス世界記録(Guinness World Records)における『「世界で最も長生きした人物」のカテゴリー』で参照されるほどの信頼性を誇ります。

GRGの調査によると、2025年3月時点、存命中の世界最長寿は、ブラジルの修道女であるイナ・カナバッロ・ルーカス(Inah Canabarro Lucas)さん。1908年生まれの116歳です。同じく、現時点における存命最長寿の日本人は、1909年(明治42年)生まれの女性、林おぎ(はやし おかぎ(注2))さんです。


(注2) ぎ:
」は「可」の変体仮名で、「か」と読む。その他の例として、花札の赤単に書かれた文字「あかよろし」の「か」が当てはまる。


ちなみに、昨年末(2024年12月29日)までは、1908年(明治42年)生まれの女性、糸岡 富子(いとおか とみこ)さんが存命中の世界最長寿でした。ただし、糸岡さんの最長寿期間は、たったの4ヶ月。同年8月19日までは、1907年生まれのスペイン人女性、マリア・ブラニャス・モレラ(Maria Branyas Morera)さんが、存命最長寿でした。流石に、首位(First place)の入れ替わりが激しいのは、仕方ないですね。

また、歴代の世界最長寿記録は、フランス人女性のジャンヌ=ルイーズ・カルマン(Jeanne-Louise Calment)さんで122歳164日、2位は日本人女性の田中カ子(たなか かね(注3))さんで119歳107日、3位はアメリカ人女性のサラ・デレマー・クナウス(Sarah DeRemer Knaus)さんで119歳97日と記録されています。


(注3) カ子:
「子」はカタカナ「ネ」の異体字で、正確には漢字ではない。


ここまで、見事に女性ばかりが並んでいます。実際、2025年3月時点で確認されているスーパーセンテナリアン3115人中に、男性は287人しかいません。つまり、超長寿は、90.8%と、圧倒的に女性に占められています。

人数は少ないながら、男性の最長寿記録も見ておきましょう。まず2025年3月時点で存命中の世界最長寿は、ブラジル人のジョアン・マリーニョ・ネト(João Marinho Neto)さん、1912年生まれの112歳です。同じく存命中の日本人男性最長寿は、1914年(大正3年)生まれの、水野 清隆(みずの きよたか)さん。この3月で111歳になられました。そして、歴代の世界最長寿男性は、日本人の木村 次郎右衛門(きむら じろうえもん)さん、1897年(明治30年)生まれの116歳です。
やっぱり、日本人が長寿であることは、データ上では確実なようです。ただ、あなたや私が長寿であるか?とは、切り分ける必要はありますので、ご注意を。


そういえば、私が子供の頃は、世界最長寿と言えば、日本人男性の泉 重千代(いずみ しげちよ)さんで、確か120歳でギネスブック公認だったと記憶していました。で、今回のテーマを執筆するために調べて知ったのですが、彼の記録は2012年に取り消されていました。1995年までは人類の世界最長寿(前述のジャンヌさんが記録更新)、2010年までは男性としての世界最長寿と、ギネスブックに公認されていたのですが。そもそも、1871年(明治3年)に作られた彼の戸籍登録で6歳と記載されていることが、長寿の根拠だったようです。ただ、当時の戸籍は不完全で、他の傍証などからも記載内容が信憑性に欠けるということで、認定の取り消しに至ったとのこと。GRG、流石に厳密な調査ですね。

さて、閑話休題。こうして記録を眺めると、確実に120歳を超えた、と言えるのは、前述のフランス人女性、ジャンヌさん(122歳)だけということになります。つまり、状況証拠として、臨床医学の立場からは、120歳辺りにヒトの寿命の限界があると言うべきなのでしょうか?

これは、あくまで個人的な意見ですが、そのジャンヌさんには「100歳まで自転車に乗っていた」「114歳で大腿骨を骨折するまで歩けた」「20代から喫煙者で117歳から禁煙した」という逸話があることを聞くと、もし更に健康に気遣う方だったなら、まだ先があったのでは?という気がします。

サクセスフル・エイジングと健康観の変化
今や、「余生(the rest of one's life)」という言葉には、消極的かつ悲観的になるのではなく、また単に長生きするのでもなく、無理した積極的な若返りアンチ・エイジング(anti-aging)とも違う、健康的に年を重ねるサクセスフル・エイジング(successful aging)という考え方が、主流になりつつあります。ただし「サクセスフル」の語感が「成功」なので「非の打ち所の無いほどの健康体」をイメージするかもしれませんが、現実問題として、そんな高齢者はあり得ません。ここでは「健康」ではなく「健康的」であることを強調しておきましょう。各々が個人として「現状の自身や環境」と「その範囲で満足できる程度」を柔軟に考えられることが、サクセスフル・エイジングの目標なのです。

実際、日本では75歳以上の90%が慢性疾患を持っているというデータがあるように、多くの高齢者は慢性疾患に罹患していますし、年齢に比例して、急性疾患の発症リスクも増加します。

一般的に、若かりし頃の「健康」は「もっと元気に、力強く!」ですが、年を重ねる毎に「できたはずのことを維持する!」ことが「健康」を意味するようになり、「できることを減らしたくない!」が「健康」の目標になります。

つまり「健康的」とは、自分にできること/できなくなることを年々更新し、自分の満足いく程度が現実の自身と乖離しないようバランスを取って、(できることが減ったとしても)前向きに受け止めることで、自己肯定感/幸福感を失わずにいられる、ということと理解すればよいでしょう。

本コラム第2回では「永遠の命」について考えました。もうすぐ丸6年です(ビックリ)。このときは「寿命1000年を目指す科学者もいる」という話をしましたが、現代科学でも「脳を再生/交換出来ない」以上、脳の限界が人間の寿命ではないか?と話を締めました。


日本で行われた百寿者の調査結果を見ると、多くの方に「バランス良い食事」「規則正しい生活」「体を動かして自分ができる事への積極性」「新しいことへの好奇心」「日々を楽しむ」「ストレスを溜めない」などが共通するようです。また、スーパーセンテナリアンたちのインタビュー記事でも、同じような内容が窺い知れます。これらは心、つまり脳に健やかな刺激を与え続け、脳の限界を高めることを意味している、と考えるのは、少々、牽強付会でしょうか。

意外かもしれませんが、そもそも、高齢者の定義が「65歳以上であること」に、生理学的/医学的ないし生物学的な根拠はありません。

私が子供の頃(約40年前)、60歳といえば、かなり御年寄のイメージでしたが、今や、私の周囲も、60歳以上の方々は、まだまだ元気いっぱいです。

実際、統計データの上では、世界中で老化が遅延しており、平均寿命、更に、健康寿命(Health expectancy, Healthy life expectancy (注4))が延び続けていること、医学の発展で様々な疾病が克服されてきたこと、認知症ですら有病率の改善傾向が続いていることからも、今後、ヒトの最長寿記録は更新されるのではないか?と、楽観的な私は考えてしまいます。


(注4) 健康寿命(Health expectancy, Healthy life expectancy )
2000年に世界保健機関(World Health Organization, 略称: WHO)が提唱した概念。恒常的な医療や介護に依存しない日常生活を過ごす生存期間。寿命の「質の高さ」の指標。


一方で、悲観的な私からすると、非科学的な(≒科学リテラシーの低い)人々が起こす社会的な問題、例えば、「暴力的で無意味な環境運動」「標準医療への反感(公衆衛生の無知や感染症の軽視/反ワクチン/反マスク/無意味あるいは有害な民間療法への信仰)」「国家レベルでの基礎科学への投資や予算の削減」などが、「自然」や「自由」の美名の下に、日本を含め、欧米諸国を覆いつつあるように見えます。その”不自然な不自由さ”の皮肉なこと……。特に、日本は、平均寿命こそ延びているものの、少子化問題は悪化の一途で、日本人は緩やかに人口削減し続け、果ては絶滅へと向かいつつあるのでは?と、安物SF作品のディストピア(dystopia, 反・理想郷)を地で行く気がしないでもありません。

とは言え、私自身も、天に唾するようなもの。独り身で少子化問題に貢献できていませんし、反省しようもないのですが……(笑えない)。せめて本コラムが、科学リテラシーの向上に、ささやかでも寄与できればと願って、今月は筆を置くことにします。