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Column


第3回 心(自己認識)の発生について
<質問>
本螺先生、こんにちは。ここ数年、私の親戚や友人に出産が続いています。お祝い事が重なると財布が痛いですが、自分に子供がいないせいか、赤ちゃんや子供の相手をしていると心が和みます。そんなこともあって、最近、年の違う何人もの子供たちに接して、子供の心の発達に気づくようになりました。

それぞれの年齢の子供を見ていると、たった数か月の差でも生後からの時期で違いがあるようです。特に物心つく前の、急に人見知りを始めたりする時期の自我の芽生えと言いますか、自分と他人の違いを理解しはじめる時期の発達に興味があります。抽象的な質問で恐縮ですが、こうした「心の片鱗」のようなものは、どのように生まれてくるのでしょうか? あるいは人間以外の動物にもあるのでしょうか?(東京都 R.K.)
(2019年7月)

<回答>
R.K.さん、こんにちは。私も子供を見ているだけで和みます。私は独り者ですが、妹の子供が小さい頃は、よく可愛がったものです。でも、私の妹からは「たまに相手するだけだから、そんな悠長なことを言ってられるのよ。こっちは毎日が戦争なんだから!」と怒られていましたが(苦笑)。

自己認識(self-awareness)とミラーテスト
さて、おそらく、R.K.さんがお気づきになられた「心の片鱗」のようなものとは、発達心理学などでいう「自己認識(self-awareness)」と呼ばれる心の働きであるように思います。要するに「自分自身を対象にした認識」のことで、言い換えると「自分についてのイメージ」のことですね。主観に関わる、高度な心の働きの一部と考えられています。もちろん「他人の認識」は、自己認識と裏表の関係にあります。そうした心の話は、どちらかというと人文科学や社会科学ではないかと思う方も多いかもしれませんが、「自己認識」を生命科学で研究することだって不可能ではありません。

有名かつ古典的な実験に「ミラーテスト」という実験手法があるのですが、ご存じでしょうか? 

より正確には、ミラーテストでは「自己の(身体的な)視覚イメージ」を持っているのかを確認します。具体的な内容は、それぞれの研究に当たってもらうのがよいと思いますが、ごくごく簡単に言うと、目の前に映る存在が「自分自身」であると認識していることを確認できれば、直接には見えていなかったはずの「自分自身」を視覚的にイメージしていることの証明になると考えるわけです。最も古典的な方法では、被験者の意識のないときに(気付かれないように)目立つ印をつけて、鏡を見たときに、印に気付いて何かの行動を起こすかどうかで判定します。

 

このミラーテストをクリアできるのは、ヒトでは1歳半~2歳くらいからということです(もちろん平均的な傾向です)。そして、ミラーテストに合格する動物は、まだそれほど多く確認されていません。当たり前の話ですが、自然界に鏡はありませんから、動物達にとって「自分自身を見る」という体験は想定外です。そう考えると、この自己認識の能力、つまり心の働きは、とても興味深いですよね。ヒトの場合、ミラーテストをクリアする前の時期では鏡の中の自分に対して「仲の良い友達」のように振舞うようですが、野生動物の場合は「威嚇行動」をするようです。いずれにせよ、鏡に映る像に対して「自己」を見出さず、「他者」として社会的な振舞いを見せるわけです。

そうした「社会的な振舞い」と「自分に付けられた印に気付いて起こす何らかの行動」が切り分けられて観察できるところに、ミラーテストによって「自己認識」が確認できるポイントがあります。ということは、そもそも社会性の希薄な生活パターンで生息する動物や、そもそも自己の視覚イメージに重きを置かない動物が対象のときは、この方法だと原理的に「自己認識」を確認できません。したがってミラーテストに合格しなかったからといって、被験者に「自己認識が無い」とはいえないことに注意が必要です。そうした限界があることを踏まえて、これまでミラーテストによって「心の片鱗」が垣間見えた動物達を紹介してみましょう。

「心の片鱗」が垣間見えた動物達
まずは、ヒトに近い霊長類から。
最も研究が進んでいるのはチンパンジーです。とは言え、彼らも最初は鏡の中の自分に威嚇します。何度か威嚇するうちに「何か変だな?」と気付くようです。一説に寄れば、チンパンジーの知能はヒトの4歳児並だということですし、私達に類する「心の片鱗」を携えていても当然な気もしますね。チンパンジーの他では、ボノボ (別名:ピグミーチンパンジー)やオランウータンがミラーテストをクリアしています。

 

面白いのが、ゴリラでは確認されていないことです。実は、彼らにとって「長時間、他者と目を合わせること」は、攻撃的なジェスチャーなのだそうです。つまり、鏡の中の自分と目を合わせないことが、テストに合格できない理由なのかもしれません。

他の動物では、イルカゾウがテストに合格しています。ゾウが合格できたのは全身が映る大きな鏡を用意できたから、と言う理由だそうなので、もし巨大な鏡が準備できるなら、クジラも合格する可能性は高いのではないでしょうか。

哺乳類以外で合格した動物には、今のところ、カササギ (別名:カチガラス)という鳥とホンソメワケベラという魚がいます。



カササギは、鳥類で一番大きな脳を持つと言われていますが、鳥類には大脳新皮質がありません。つまり「心の片鱗」に、大脳新皮質は必須ではないのかもしれません。ただ個人的にはカラスが合格していないのは謎ですね。ホンソメワケベラは「掃除屋」として有名な魚で、他の大型魚類の鰓や体表から寄生虫を捕食します。他種との社会関係を構築することなどから高い知能を発達させたのではないか?と考えられているそうです。いずれにせよ、「心」がヒトの専売特許ではないらしいことが、少しずつ明らかになってきています。