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Column


第41回 丸山ワクチンについて
<質問>
この新型コロナ禍で、医療崩壊だと実感したのが、私の親戚の癌治療(手術)が延期していることです。早期発見でしたし、小康を保っているので、本来なら、なおさら今の内に治療して欲しいところです。ただ、病室や設備、スタッフが不十分だからと言われては仕方ありません。自分事のように色々と調べたり、人づてに話を聞いたりしているのですが、ある人から「丸山ワクチン」の話を聞きました。

副作用なく、様々な癌に効くのだとか。やはり、厚労省が認可していないのは不安です。ただ、なぜか治験としての使用許可は出ているようです。もし、本当に効果があるのなら、今、手術できないわけですし、親戚に試してみても良いかも、と思うのですが、実際のところ、どうなのでしょうか。
(東京都 M.T.)
(2022年9月)
<回答>
M.T.さん、ご質問ありがとうございます。ご親戚のご病状、気がかりですね。前回、説明したように、第7波では、子供たちから家庭内に感染が広まるためか、細心の注意を払っているはずの医療従事者にも、感染が目立つようです。

幸い、ワクチンが行き渡っているため、多くは自宅療養で回復しますが、当然、検査で陰性になるまでは、勤務に戻れません。第6波を倍にする勢いで感染者が増えましたから、どこの病院でもスタッフは限られ、気持ちに余裕の無いまま尽力されていると聞いています。現状で、ご親戚が冷静に順番を待たれていることは、病院にとって、大変ありがたいはずです。

もちろん、ご親戚のご病状は心配ですから、今は感染対策を入念にして、主治医と密に連絡をお取り下さい。

さて、ご質問の「丸山ワクチン(Specific Substance Maruyama, SSM)」ですが、私は、医学博士であっても医師ではないので、申し訳ありませんが、具体的な治療のアドバイスはできません(医師法第17条に抵触します)。ご了承ください。実際のご検討は、医師にご相談ください。その上で、私からは、M.T.さんやお身内が充分に理解し、納得されて、ご判断いただけるように、ご説明したいと思います。

結核のために開発された「丸山ワクチン」
丸山ワクチンを正しく知るには、結核(tuberculosis)の理解が必要です。丸山ワクチンは、結核のために開発されたものだからです。

結核も、有史以来、人類を苦しめ続けてきた感染症です。古代の遺骨やミイラにも病跡が見つかりますし、古代ギリシアの「医学の父」、ヒポクラテスは、結核(と思われる症例)に消耗病(consumption)と名付けています。

近代日本では労咳(癆痎、ろうがい)と呼ばれ、国民病/亡国病と恐れられて、有名な感染者も多くいます。例えば、明治後期の文学者、正岡子規です。雅号の「子規」はホトトギスの異名で、「啼(な)いて血を吐く」という中国の故事(注1)に、自身の労咳をなぞらえました。
(注1) 蜀(しょく(注2))を再興した望帝(注3)は、崩御してホトトギスとなり、初夏に鳴いて農耕開始の季節を民に教えた。後に、蜀が秦に滅ぼされると、「不如帰去(帰り去くに如かず/帰りたい)」と嘆き、啼いて血を吐いた。ゆえに、今でもホトトギスは初夏に鳴き、口の中(舌)が赤い。ここから中国の詩歌では、「血を吐くホトトギス」を「悲嘆/哀切/死別」の修辞とし、望帝に由来して「時鳥・山時鳥(農耕期を教える鳥)」や「杜宇・杜鵑(とけん)・蜀魂・不如帰」の表記をホトトギスに当てた。ちなみに「鵑」や「魂」「不如帰」は、「子規」「思帰(しき)」「催帰(さいき)」などの別称とともに、鳴き声に「言葉の音」を当てた「聞き做し(ききなし)」である。ちなみに、日本語でのホトトギスの聞き做しは、「天辺(てっぺん)駆けたか」「特許許可局」などが知られている。
(注2)   蜀:長江流域(現在の中国・四川州近辺)の古代国家。古蜀。紀元前316年、秦に滅ぼされた(「史記」 司馬遷)。三国志時代の蜀ではない。
(注3)   望帝:農耕の指導で蜀を再興したという「杜宇(とう)」の諡号(しごう/おくり名)。

参考) ●ホトトギス(杜鵑)が多くの名前・別称で呼ばれる由来は?
    http://ikaebitakosuika.cocolog-nifty.com/blog/2018/06/post-2ed6.html
   ●ホトトギスの別名 異名 漢字 意味・由来
    https://www.worldfolksong.com/gogen/hototogisu-another-name.html
   ●杜鵑研究 94頁 「血に啼くといふこと」
    https://books.google.co.jp/books?id=yznWbI-1DUkC&pg=PP33#v=
onepage&q&f=false

結核の多くは、子規の雅号が表すように、喀血を特徴とする肺結核です(日本人感染者の約8割)。しかし、恐ろしいことに、大量の結核菌が血流に乗ると、臓器を問わず、全身の様々な器官で発症します(粟粒結核)。実際、子規も腰椎を侵され、末期は座ることもできませんでした。

また結核は、空気感染するほど伝染性が高く(正確には、飛沫核感染(注4))、特に、低栄養と不衛生な環境、劣悪な労働環境(高湿度・長時間・密集)などで発症・悪化し易いことが知られています。逆に、新鮮な空気と清潔な環境下、滋養をとって安静にすると、自然治癒することもありました。そこで、隔離を兼ねた、サナトリウム(sanatorium)での転地療法が行われました(注5)。しかし、多くの民にとっては、まさに「不治の病」でした。
(注4) 飛沫核感染:水分を含む直径5μm 以上の粒子である「飛沫」は、2~3 m で落下するが(くしゃみは10 m ほど)、直径5μm 未満の「飛沫核」は、空中に浮遊する。霧状の(密度の高い)飛沫や、浮遊する飛沫核を通じて、呼吸器感染することを「空気感染」という。
(注5) サナトリウム:「保養所」を意味する“sanitarium”に、「治療」を意味するラテン語“sanare”を組み合わせた造語。風通しや日当たりの良い高原、海浜などに建てられた。元は結核療養所を意味したが、現在では、種々の疾病における転地療養施設のこと。

病の暗闇を照らしたのは「近代感染学の父」、ハインリヒ・ヘルマン・ロベルト・コッホ(独:Heinrich Hermann Robert Koch)です。1882年、コッホは初めて、結核の病原体を抗酸菌(Mycobacterium, マイコバクテリウム属)の仲間のヒト型結核菌(M. tuberculosis)と同定し、1890年にはワクチンを作成しました(ツベルクリン、独:Tuberkulin, 英: tuberculin)

しかし、これは副反応が強すぎて、失敗でした。ただし、結核菌感染者、ないし免疫を有する者にアレルギー反応(ツベルクリン反応)を惹起できることから、結核感染の診断(≒免疫有無の評価)に用いられました。

日本でも、かつては、子供たちに定期的なツベルクリン皮膚検査を行っていましたが、2007年の結核予防法廃止(予防接種法と統合)で中止され、「生後6か月までにBCG接種すること」と変更されています。


BCGは、結核の生ワクチンです(「カルメットとゲランの菌 (仏:Bacille Calmette-Guerin)」の頭文字)。フランスのパスツール研究所で1921年に開発されました(注6)。同年にパリで行った、母乳と混ぜて乳児に経口投与した試験で、顕著な結核予防効果が示されたことから、以降、BCGによる結核予防法が、世界中に普及しました。
(注6) 1905年にカミーユ・ゲラン(仏:Camille Guérin, 獣医、免疫学者)が動物実験で「ウシ型結核菌によるヒト型結核菌免疫の誘導」を確認した。続けて、アルベール・カルメット(仏:Albert Calmette, 医師、細菌学者)と共同で「継代培養による菌の弱毒化」を研究し、1908年にウシ型結核菌の弱毒株を樹立した。さらに230回も継代して、13年後の1921年、ほぼ病原性の無いBCG株を樹立した。

結核菌は、細胞壁が特殊な蝋状で乾燥に強く(そのため、空気感染します)、マクロファージに感染するという、極めて危険な特徴があります。

マクロファージは、体内の異物を貪食する、重要な免疫細胞です(第29回)。しかし結核菌は、貪食されても消化されず、マクロファージ内で増殖します。健康で体力があれば、自然免疫のナチュラルキラー細胞(NK細胞)が、感染したマクロファージごと破壊しますが、体調を崩すと、いつしか増殖を重ねた結核菌が体内にあふれ、組織の細胞を侵し、病巣(肉芽腫など)を形成します。

この病巣を免疫が攻撃すると、結核の発症です。たとえば、肺の病巣が免疫に破壊されると、喀血します。喀血に至らずとも、炎症を起こして咳き込み、排菌して他者へ感染を広げます。

人類と感染症の戦いで、近代医学は、ワクチンによる獲得免疫という鎧と、抗菌剤(antibacterial agent)による化学療法 (chemotherapy)という武器を手に入れました(注7)。中でも、ペニシリン(penicillin)に始まる抗生物質(antibiotics)は、とても重要な発見でした(注8)
(注7) 抗菌剤と化学療法:病原菌を特異的に抑制する化学物質が「抗菌剤」、抗菌剤による感染症の治療が「化学療法」である。ただし、現在では、細菌に限らず、ウイルス性疾患や悪性腫瘍など、種々の疾病に投薬する治療も化学療法という。
(注8) 抗生物質:ある微生物が、他の微生物を抑制するために産生する化学物質。微生物由来の抗菌剤。ペニシリンの発見は1928年だが、実用化されたのは1940年代である。

 
 ペニシリンの発見者であるアレクサンダー・フレミング博士
(出典:JCASTニュース)

しかし、抗菌剤も万能ではありません。残念ながら、ペニシリンは、結核菌に無効でした。ざっくり言うと、ペニシリンは細菌の細胞壁合成を阻害しますが、先に述べたように、結核菌の細胞壁は特殊だったのです。

ようやく、人類の英知が結核菌に届いたのは、1943年のことでした。細菌のタンパク質合成を阻害する、世界初の「結核菌に効く薬」、ストレプトマイシン(Streptomycin)の発見です(注9)。ストレプトマイシンは、現行の抗生物質の約7割を産生する細菌を含む(第38回参照)、アクチノバクテリア門(Actinobacteria, 放線細菌門)ストレプトマイセス属(Streptomyces)の、ストレプトマイシン生産菌 (S. griseus)が産生します。

第二次大戦後、アメリカのメルク社(Merck & Co.)で実用化されましたが、当初は、とても入手が困難だったようです(注10)。しかし、日本に輸入されたストレプトマイシンを使った臨床試験の有効率は、およそ7割に達しました。まさに特効薬でした。
(注9) ストレプトマイシンの発見:ラトガース・ニュージャージー州立大学(Rutgers, The State University of New Jersey)のセルマン・エイブラハム・ワクスマン(Selman Abraham Waksman)研究室で、大学院生(当時)のアルバート・シャッツ(Albert Schatz)が単離に成功した。シャッツは、1944年、この研究で博士号を取得したが、ワクスマンだけがノーベル賞を受賞し(1952年)、特許権を含めてトラブルになった。この件は、研究機関における学生の正当な評価と報酬について議論を起こした。ちなみに、1994年(ストレプトマイシン発見50周年)、ラトガース大学は、大学最高の栄誉であるメダルをシャッツに授与している。
(注10) 日本への正規輸入は1949年(昭和24年)から。しかし、戦後間もないため、連合国軍最高司令官総司令部(General Headquarters, the Supreme Commander for the Allied Powers:GHQ/SCAP)が尽力しても、輸入量は、たった年間600 kg(1万5千人分)だった。

ストレプトマイシンの情報は日本にも届いていたので、正規の輸入に先立って国立予防衛生研究所(予研(注11))や企業が研究を進めましたが、日本で見つかる菌株では、上手く工業化できませんでした。

しかし、GHQ/SCAPは、日本の科学技術を高く評価していました。当時、米英以外では、日本だけが(敗戦国かつ独学で!)ペニシリンの産業化に成功していたからです。

1948年、GHQ/SCAPは日本政府の要請を受け、実用化されたワクスマン研の菌株を予研に提供し、国内生産の品質基準が作られました。また、翌年、メルク社が明治製菓(注13)および協和発酵工業(注14)と技術提携し、ワクスマン研株の国内での使用ライセンスは、予研に管理させました。

そして、1950年には、充分な品質のストレプトマイシンが国内生産可能になります。同年、製造販売の許可が、明治製菓と協和発酵に加えて、科学研究所(科研(注15))、日本生物科学研究所(注16)、島根化学工業(注17)の計五社に与えられました。

以降の増産は目覚ましく、たった3年で国内必要量を満たして輸入が不要になり、驚くことに、1953年末には、余剰ストレプトマイシンの輸出ができたのです。そして、日本での「結核による10万人当たり死亡率」は1950年の146.4人から、1953年の66.5人と、半分以下まで改善しました。

 
ストレプトマイシン発見者であるアルバート・イスラエル・シャッツ博士
(出典:wikijp) 

参考) 「我が国において抗生物質医薬品の品質基準の果たした役割に関する薬史学的・公衆衛生学的考察:第4報 個別の抗生物質医薬品の基準制定の経緯」
     http://jja-contents.wdc-jp.com/pdf/JJA69/69-4/69-4_221-234.pdf

“Historical and hygienic aspects on roles of quality requirements for antibiotic products in Japan:Part 5 - Introduction of technology and knowledge on streptomycin production from the United States of America”
     http://jja-contents.wdc-jp.com/pdf/JJA69/69-4/69-4_235-256.pdf

(注11) 国立予防衛生研究所:現・国立感染症研究所。1947年(昭和22年)に、東京帝国大学附置・伝染病研究所(注12)の職員半数が厚生省に移籍して、設立。1997年、現組織名に改称。
(注12) 伝染病研究所:現・東京大学医科学研究所。1892年(明治25年)、福沢諭吉の「大日本私立衛生会附属・伝染病研究所」設立に始まる(初代所長:北里柴三郎)。1899年(明治32年)に内務省の所管で国立となり、1914年(大正3年)に文科省へ移管。このとき、所長の北里以下、全職員が辞任した(いわゆる「伝研騒動」)。よって、予研設立に、北里達は関与していない。2年後、「東京帝国大学附置」に改組。1967年(昭和42年)、現組織名に改称。
(注13) 明治製菓株式会社:現・Meiji Seika ファルマ株式会社。1945年(昭和20年)にペニシリン製造許可を得て、翌年、研究部門と薬品事業を開設。同社資本金の2倍相当(2014年の貨幣価値で約10億円)を設備投資し、1947年(昭和22年)には、国内ペニシリン生産量の1/4~1/3を占める日本一の企業だった。
ちなみに、ペニシリンの国産第1号は、1943年(昭和18年)の森永食糧工業株式会社(現・森永製菓株式会社)だが、後の工場焼失事故から、ペニシリン事業を撤退している。
参考) Meiji Seika ファルマ 沿革
https://www.meiji-seika-pharma.co.jp/corporate/history/
日本製ペニシリン碧素(へきそ)の物語(3)
https://www.health.ne.jp/library/detail?slug=hcl_column180231
株式会社・科学研究所とペニシリン
https://otonanokagaku.net/issue/origin/vol8/index08.html
(注14) 協和発酵工業株式会社:現・協和発酵バイオ株式会社。1936年(昭和11年)に設立された「協和会」の研究機関「協和化学研究所」に始まる。1945年(昭和20年)に「協和産業株式会社」が運営を受け継ぎ、1949年(昭和24年)に第二会社として創立。創立前の1946年(昭和21年)、日本国内のペニシリン生産増強および品質向上のためGHQ/SCAPに呼ばれたテキサス大学のフォスター博士(J. W. Foster)を通じて、米国でのペニシリン生産法を学び、菌株を配布された。その後、大量生産に成功して、製薬事業を開始。ちなみに、初めて、この方法で成功したのは、1947年の東洋レーヨン(現・東レ)だが、販売が振るわず1953年に撤退している。
(注15) 株式会社科学研究所:現・科研製薬株式会社。1917年(大正6年)に設立された「財団法人・理化学研究所」の「理研産業団(理研コンツェルン)」に始まる。1947年(昭和22年)にGHQ/SCAPの財閥解体指令を受け、翌年に研究所を解散。同年、同組織を株式会社として設立(初代社長:仁科芳雄)。1952年(昭和27年)に研究部門と生産部門を分社し、後者を「科研化学株式会社」に改称し、1982年から現社名。ちなみに、前者(研究部門)は、1958年(昭和33年)に解散。同年、「特殊法人・理化学研究所」として新設。2003年に独立行政法人、2015年に国立研究開発法人へ改組した。
(注16)   株式会社日本生物科学研究所:現・興和創薬株式会社。1947年(昭和22年)に設立。翌年に研究所を設置し、ペニシリンの製造販売を開始。1956年(昭和31年) 、 「日研化学株式会社」に改称。2003年(平成15年)、興和株式会社の子会社化し、3年後、「興和創薬株式会社」に改称。2019年(平成31年)、親会社に吸収合併されて解散。同年、同名の別会社(非上場)として事業承継。
参考) 企業情報@Wiki 「興和創薬」
https://w.atwiki.jp/sysd/pages/1238.html
興和株式会社・沿革
https://www.kowa.co.jp/company/corporate_history/index.html
(注17)   島根化学工業株式会社:現・日本製紙株式会社江津工場。1937年(昭和12年)に「日本レイヨン株式会社(現・ユニチカ株式会社)」の設立した、「新日本レイヨン株式会社」に始まる。1944年(昭和19年)、「三井化学工業株式会社(現・三井化学株式会社)」が株式取得(資本提携)して「島根化学工業」に改称。1951年(昭和26年)、「山陽パルプ株式会社」と合併、設備を委譲して解散した。そのため、同年でストレプトマイシンの生産を終了している。その後、山陽パルプは、1972年(昭和47年)に「国策パルプ工業株式会社」と合併して「山陽国策パルプ株式会社」に改称、1993年(平成5年)に「十條製紙株式会社」と合併して「日本製紙株式会社」に改称し、現在に至る。
参考) 島根県を中心とした産業発展の歴史     https://www.energia.co.jp/eneso/kankoubutsu/keirepo/pdf/MR1312-2.pdf
渋沢社史データベース(山陽パルプ(株)『20年誌』、『ユニチカ百年史. 下』、『三井東圧化学社史』で「島根化学」を検索)
https://shashi.shibusawa.or.jp/index.php

ちなみに、結核は「過去の病」ではありません。日本では2021年に、人口10万人当たりの感染者が9.2人まで減少し、初めてWHO基準での結核低蔓延国(low TB incidence)になりましたが(注18)、世界的には、新型コロナ禍対策による医療財源不足やロックダウンの影響から、結核の死者数が増加に転じていることが問題になっています(注19)

「丸山ワクチン」の登場
ストレプトマイシンの普及から、少し時間を遡ります。1944年、日本医科大学皮膚科学教室で、丸山千里博士は、「ツベルクリンの改良」を思いつきました。「副作用が強すぎる」のは「有害な成分が多い」ためで「有用な成分だけを抽出すれば良い」と発想したのです。

研究の結果、ツベルクリンの主成分は結核菌の代謝したタンパク質で、そのタンパク質が有害であることを見出しました。そこで、結核菌のエキスからタンパク質だけを除去しました(主成分は、多糖類と糖脂質、核酸)。

この「結核菌体抽出物質」が、後に「丸山ワクチン」と呼ばれることになります。ワクチンとは呼ばれるものの、結核未感染の個体に投与しても、抗体を作成しません。

 
 丸山千里博士(出典:日本経済新聞)

しかし、結核感染個体に投与すると、抗体量が増えるのです。つまり、丸山ワクチンは「獲得免疫を誘導する」のではなく、「賦活化する」のでしょう。ということは、丸山ワクチンは、結核の予防ではなく、治療に使えます。

丸山博士は皮膚科医ですから、皮膚結核(注20)で著効を確認し、同じく抗酸菌の癩菌(M. leprae)による感染症、ハンセン病(注21)でも効果を確認できました。
(注20) 皮膚結核:結核菌が、血行性またはリンパ行性で皮下組織に感染して発症する(稀に、皮膚に直接感染することも)。
(注21) ハンセン病:病名は、ノルウェーの医師であるゲルハール・ヘンリック・アルマウェル・ハンセン(Gerhard Henrick Armauer Hansen)が、1873年に病原体の癩菌を発見したことに由来。皮膚のマクロファージおよび末梢神経細胞に感染して発症するため、外見の変化や温覚や痛覚などの知覚異常から、感染者が歴史的に差別されてきた。

興味深いことに、1960年代、炎症を伴う良性腫瘍などに、丸山ワクチンを実験的に投与する医学者が増え、一定の治療効果を得ました。同時期、丸山博士は、自身の診療する、結核やハンセン病の療養所に癌患者が少なく、皮膚結核の患者で癌の進行が遅い傾向に気づきました。

もしかすると、抗酸菌に由来する物質が、細胞の異常増殖を抑制するのかも……。ここから、抗癌剤としての丸山ワクチンを試されるようになります。重い副作用も無く、効果報告が集まりだしましたが、抗癌作用の機序が不明なためか、免疫療法(immunotherapy)という言葉もない時代の医学界には受け入れられ難かったようです。
参考) 「結核菌体抽出物質(結核ワクチン)による悪性腫瘍の治療について」    https://www.jstage.jst.go.jp/article/jnms1923/38/5/38_5_267/_pdf/-char/ja

一方で、正規の医薬品承認手続きを進めるよりも早く、1960年代後半(昭和40年代)から、マスコミに取り上げられて、全国に「癌の特効薬」との噂が広まりました。

これは、あまり良いことではありません。被験者側のプラセボ(placebo, 偽薬)効果と研究者側の観察者バイアス(observer bias)が排除できなくては、厳密な臨床試験が覚束なくなるからです(第28回を参照)。

もちろん、当時も、臨床試験は行われましたが、特効薬と噂される程の顕著な有効性は確認できませんでした。私の確認した限りでも「抗癌剤としての顕著な効果」を確認できたエビデンスは無いようですから、未承認なのは仕方ありません。

しかし、同時期に申請された他の抗癌剤が比較的スムーズに承認されたこともあり、丸山ワクチンの未承認に、世論がスキャンダラスに喚起され、国会で取り上げられるまでに至りました。

そうした国民レベルの支持を受けた結果が、「有償治験薬」という、日本で唯一の特殊な提供のされかたでした。しかし、エビデンスは得られていないものの、これまで40万人以上に投与されて薬害問題にならず、少なくない患者を癒している事実は、やはり特殊すぎます。

丸山ワクチンは、免疫を介した間接的な作用を促す薬であり、腫瘍に直接作用する、いわゆる「抗癌剤」と同じ基準では評価できないという声もありましたが、これは判官贔屓でしょう。

実際、本庶佑博士の研究(2018年・ノーベル賞)から開発されたニボルマブ(Nivolumab, 商品名:オプジーボ)は、免疫系を介した抗癌剤であり(注22)、これまでの評価基準で十分に効果判定できています。
(注22) ニボルマブ:ヒト型抗ヒトPD-1モノクローナル抗体を主成分とする免疫チェックポイント阻害薬。「ヒト型抗体」とは「ヒトの身体で働く抗体」のこと。「抗〇?抗体」とは「〇?を抗原とする抗体」のこと。「モノクローナル抗体」とは「1種類の抗体産生細胞に作らせた、純化された単一の抗体」のこと。「PD-1」は、「自己/非自己」を見分ける目印(チェックポイント・シグナル)の一つで、T細胞が発現している。一部の癌細胞は、PD-1を認識して、T細胞からの攻撃をかわしている。ニボルマブは、PD-1に結合して癌細胞からの認識を妨げ(=免疫チェックポイント阻害)、T細胞が癌細胞を攻撃できるようにする。

丸山ワクチンの可能性
では、丸山ワクチンは無意味なのでしょうか。私は、そう思いません。個人的には、臨床試験のデザインが良くなかった可能性もあると思います。

また、丸山ワクチンを製造・提供しているゼリア新薬工業は、製品名「アンサー20皮下注」を販売しています(1991年に承認)。実は、このアンサー20、中身は丸山ワクチンと同じです。

ただし、薬効は「(悪性腫瘍の)放射線療法による白血球減少抑制剤」で、放射線によってダメージを受けた造血幹細胞を賦活化できるようです。特に、顆粒球や単球といった自然免疫に働く白血球の増加に働きかけます。

つまり丸山ワクチンの成分は、免疫システムの何かに働くようなのです。さらに、ここ数年で、樹状細胞が抗原として、タンパク質以外に、脂質も認識し、それによってキラーT細胞を活性化する現象が分かってきました。

まだ仮説の段階ですが、これは丸山ワクチンの抗癌作用の機序を説明する一端になるかもしれません。

丸山ワクチンは、劇的な効果がある抗癌剤とは言えませんが、全く効果がないとも言えません。状況証拠的には、自然免疫や獲得免疫を賦活化して、癌に効いていそうです。

また、大きな副作用はなく、他の治療法と併用することにも、特に問題は無さそうです。個人的には、今後、さらに免疫の研究が深化することで、再評価される可能性はあると思います。

以上、長くなってしまいましたが、ご検討なさる際のご理解、および、ご参考と納得の一助になれば幸いです。