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Column


第59回 麻疹
<質問>
本羅先生、先日のニュースで、今、はしかが流行していると聞きました。はしかなんて、とっくの昔に当たり前の病気として、克服されていると思っていました。自分を含めて多くの人は子供の時に予防接種を受けていたはずですし、なぜ今更?という気もします。何か、特別の事態が起きているのでしょうか?(東京都 A.E.)
(2024年3月)
 <回答>
A.E.さん、ご質問ありがとうございます。仰るように、はしか(麻疹、measles)が、今、とても流行っています。そして、ニュースにまでなっていることに驚かれる方も多いようです。実は、麻疹の流行は日本に限ったことではなく、世界的な問題になっています。また、このような事態が起きかねないことは、少し前から危惧されていました。実際、昨年末には国際連合児童基金(United Nations Children's Fund, UNICEF(ユニセフ))からも、ヨーロッパ各地と中央アジアで麻疹の症例が激増していると警告していました。


麻疹の説明と症状の紹介
そこで、今回のコラムは、麻疹について説明します。まず、麻疹の症状と経過は、「潜伏期」「カタル期(前駆期)」「発疹期」「回復期」の4つに分けられます。順を追ってみましょう。

<潜伏期>
〇麻疹ウイルスに感染してから、発症までの期間。10日前後(7~14日間)。

<カタル期(注1)>
〇発症から2~4日間、38℃前後の発熱/倦怠感/咳/鼻水/結膜炎といった風邪に似たカタル症状が現れる。
〇続いて奥歯に近い粘膜に、直径1mm程度に膨らんだ白い斑点(コプリック斑、Koplik spots)が現れ、多量の目脂(めやに)や落涙を伴う眼痛が生じる。乳幼児は腹痛や下痢が伴うことも多い。
〇一旦、下熱(げねつ)する(注2)。ちなみに、麻疹ウイルスは発熱後から気道に排出される。麻疹の感染力は、カタル期が最大。

(注1) カタル(catarrhal): 
古代ギリシャ医学に由来する言葉で、ギリシャ語の”cata-(下に)”と”reo(流れる)の合成語。目や鼻などに分泌物が多い病態を表す。古代ギリシャ医学では、「脳の粘液が過剰になると下に流れ出す」と考えていた。

(注2) 下熱: 
病状の回復により体温が下がること。同音異義語の「解熱」は、薬や治療で体温を抑える意味に用いる。

<発疹期>
〇下熱から半日程度で、さらに39~40℃の高熱を発し(2峰性発熱)、カタル症状が強まる。
〇鮮紅色の小さな発疹が顔や体幹に隆起する。
〇発疹が現れると、コプリック斑は消失するが、痛みを伴う口腔粘膜の荒れによる経口摂取の困難や、下痢による脱水症状による全身倦怠感が強まる。
〇発疹が四肢の末梢へと広がるまで、高熱が3日間ほど持続する。ちなみに、発熱が3日間以上続く場合、別の細菌による二次感染が疑われる。

<回復期>
〇下熱し、次第にカタル症状が収まる。強い咳は残るが、徐々に改善する。
〇発疹は暗赤色となり、出現順序に従って退色。色素沈着するも、後に表皮から剝離する。
〇ちなみに、麻疹の感染力(≒ウイルスの気道排出)は、発疹の色素沈着まで残る。日本では、下熱から3日間を学童の出席停止としている(学校保健安全法施行規則19条2号)。

麻疹には治療法がなく、対症療法のみです。しかし、感染者の病状は、ほぼ一定で、平安時代にも「赤裳瘡・赤斑瘡(あかもがさ)」という名前で病状の記録があるくらいです。古くから多くの人々を苦しめてきたことが分かりますね。ちなみに、「裳瘡・斑瘡(もがさ)」とは、痘瘡(とうそう)の別名、つまり天然痘(smallpox)のことです(本コラム第35回を参照)。色こそ違え、表皮の発疹や、発熱・呼吸器症状の類似性、周期的な大流行から、歴史的には同じように扱われてきたのでしょう。

特徴的な赤い発疹が麻の実のように見えることから、医学的には「麻疹(ましん)」を正式名称としています。「はしか」という言葉は江戸時代から使われはじめ、関西弁の「はしかい(チクチクして痒い)」が由来とされます。また、稲穂で喉の奥をくすぐられるような痒みから「いなすり」とも呼ばれていたようです。その江戸時代には、この2つの疾病について「痘瘡は見目(みめ) 定め、麻疹は命(いのち)定め」という言葉が残されています。病の軽重によって、痘痕(あばた)を残す天然痘は美醜を、残さない麻疹は生死を左右する、という意味です。実際の死亡率は天然痘の方が高いのですが、感染力の高さと、大人の感染者が重い容態を辿ることからの印象が強いのかもしれません。


感染力の高さと歴史的背景
これまでに本コラムで解説してきた呼吸器感染症の中でも、麻疹の感染力は最強と言えます。本コラム第46回で触れた感染力の指標、基本再生産数(basic reproduction number, R0 )で比べますと、インフルエンザが1~3、新型コロナ禍(武漢発オリジナル株)は2~5、風疹は5~7、水痘は8~10、新型コロナ禍(オミクロン株)は9.5であるのに対し、なんと麻疹は12~18もあるのです(注3)。感染者と同じ閉鎖空間に、短時間いただけで感染すると言われ、免疫のない方が感染すると、ほぼ100%発症します。

(注3) 基本再生産数は、免疫を持たない集団の中で、一人の感染者から広がる感染者の人数を計算した統計データ。新型コロナ禍については、各株の世代間隔が短いため、データを取る集団やタイミングで計算結果が安定せず、既存の感染症ほどに正確な値とは言えない。特に、オミクロン株のR0は計算結果が5.5~24と大きくバラついており、9.5は平均値。

麻疹が、これほどまでに高い感染力を持っていることには理由があります。本コラム第55回で触れた水痘(水疱瘡)と同様に、感染者の呼気を通じた空気感染や飛沫感染といった上気道(鼻咽腔)や下気道(肺胞)を経由する感染、さらには接触感染でも、と様々な感染経路があることに加えて、麻疹ウイルスが感染する細胞と、感染後のウイルスの挙動が厄介なのです。

麻疹ウイルス(Measles morbillivirus)は、パラミクソウイルス科(Paramyxoviridae)モルビリウイルス属(Morbillivirus)に分類されます。モルビリウイルス属には、犬ジステンパーウイルス(Canine distemper virus)など、医学・獣医学的に重要なウイルスが含まれます。そもそも、モルビリ(morbilli)が、ラテン語の ”morbus(病気)”に由来します。これは、西洋社会で、麻疹が病気の代名詞だったことを示唆しています。麻疹には、それほどに誰しもが罹患していたのでしょう。

麻疹ウイルスの進化系統を遡ると牛疫ウイルス(注4)を起源としていることが分かります。かつて人類がウシを家畜化する過程で、牛疫ウイルスの祖先が突然変異し、ヒトへの感染能力を獲得したと思われます。このようなウイルスの分子進化(畜産⇒家畜の密集⇒突然変異の蓄積)については、鳥インフルエンザの解説を参照してください(本コラム第49回)。

(注4) 牛疫ウイルス(Rinderpest morbillivirus)
偶蹄類の感染症である「牛疫((独)Rinderpest, cattle plague, steppe murrain)」の原因となるウイルス。ウシやスイギュウ、特に、和牛の感受性が高く(≒感染しやすい)、ヒツジやヤギでは低い。牛疫は、古来より知られる家畜伝染病。1918年に蠣崎千晴が牛疫ワクチンの開発に成功。2001年ケニアでの発生を最後に、牛疫は確認されていない。2011年に国際連合食糧農業機関(Food and Agriculture Organization of the United Nations, FAO、本コラム第51回参照)から撲滅宣言が発表された。人類が撲滅したウイルス性感染症としては、天然痘に次ぐ2例目、ヒト以外の動物では初めて。

これまでにも、本コラムでは様々なウイルス性感染症を解説してきました。一般的には、他の生命体とは際立って異なる、ウイルスの最大の特徴は、次の3点に集約されます。

〇ウイルス種によって、感染する生物(細胞)は決まっている。
  ⇒ウイルスが結合する細胞表面の構造に依存する。
〇感染後の細胞内では、実態としてのウイルス粒子は消える。
  ⇒ウイルスの遺伝情報のみ機能する。
〇感染先の細胞機能を利用して自己増殖するため、元の細胞機能は障害される。
  ⇒細胞の機能障害が、疾病の病態を決める。

これを踏まえた上で、呼吸器感染症の原因ウイルスの挙動を幾つか見てみます。感染先の細胞ですが、ヒトインフルエンザウイルスは上気道と腸の上皮細胞です。水痘・帯状疱疹ウイルスは、扁桃(注5)に感染してリンパ節で増殖し、血流にのって肝臓や脾臓に二次感染し、全身に広がります。だから発疹が出るわけです。

(注5) 扁桃(tonsils)
かつては「扁桃腺」と呼ばれていたが、正確には「腺(分泌組織)」ではないので、現在は改められている。

次に触れておきたいのが、肺結核の結核菌です。これはウイルスではありませんが、マクロファージに感染するという危険な特徴があります。マクロファージは、本コラム第29回で解説したように、体内の異物を貪食する、重要な免疫細胞で、さらにマクロファージが上皮組織(皮膚/呼吸器粘膜/消化管粘膜など)で分化したものが樹状細胞です。上皮組織は外界に触れる部位なので、樹状細胞は、まさに免疫の最前線です。そして、マクロファージと樹状細胞は、獲得免疫の1次応答のために、T細胞に抗原提示するのですが、そのためにシャトルバスよろしく、上皮組織とリンパ節を往復します。つまり、この細胞に感染することは、免疫機能の根幹に関わる可能性があるということです。

そして、恐ろしいことに、麻疹ウイルスは、ここまで述べてきた、様々な感染症の危険な特徴を併せ持ち、それ以上に厄介な特徴も発揮するのです。まず、麻疹ウイルスは、呼吸器粘膜でマクロファージと樹状細胞に感染します(図1左)。そして、リンパ節に運ばれて、様々な種類の免疫系細胞にも感染し、増殖します。さらに血流にのって全身に広がるのですが、このとき、リンパ節で感染した免疫系細胞が呼吸器粘膜に再帰して、粘膜の上皮細胞にも感染を広げるのです。そのため、大量のウイルスが、患者の呼吸とともに外界へ排出されることになります(図1右)。これが、麻疹の感染力を高めている一番の原因です。

図1. 麻疹ウイルスの感染時(左)とカタル期(右) 
参考)  「モルビリウイルス:麻疹ウイルス,イヌジステンパーウイルスなど」
ウイルス 2012 年 62 巻 2 号 p. 175-182
https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsv/62/2/62_175/_article/-char/ja/  

麻疹の合併症とその影響
さらに、麻疹の怖いところは、その合併症にあります。免疫を持たない麻疹感染者の20%が入院治療を必要とします。子供だと5~6%が肺炎になりますし、麻疹での乳児の死亡は60%が肺炎に起因します。そして、厄介この上ないのは、この肺炎が、麻疹ウイルスに由来するものだけではないことです。先に述べたように、麻疹ウイルスは、免疫系細胞全体に感染し、増殖します。その結果、一時的に、ではありますが、免疫機能が著しく低下します。そのために、他の細菌やウイルスに対して無防備になって二次感染を起こし、様々な感染症を合併し、重病化するのです。

そして、中枢神経の合併症もあります。1000~2000例に1人の割合で脳炎を発症し、思春期以降の麻疹による死因では、むしろ肺炎より脳炎が多いようです。困ったことに、麻疹症状の軽重と脳炎発症には相関がありません。脳炎を発症した患者の6割は完全回復しますが、4人に1人は後遺症を残しますし、およそ6人に1人が亡くなります。栄養状態にも依存しますが、二次感染の結果、角膜穿孔からの失明や中耳炎からの難聴のリスクもあります。実際、第二次大戦頃まで、麻疹は主な失明の原因だったようです。

その上、重篤な中枢神経系の合併症に、亜急性硬化性全脳炎(subacute sclerosing panencephalitis, SSPE)があります。これは、先に説明した脳炎とは、少し違います。それは、麻疹の回復から発症までのタイムラグが4~8年もあり、予後が非常に悪いということです。すっかり治ったと思って安心していたら、数年後に進行性の神経症状(性格の変化/抑うつ症状/知能低下(学業成績低下、記憶力低下)/脱力発作(意思と無関係な脱力)/起立歩行障害など)が起こるのです。SSPEに治療法はなく、発症後の数か月から数年で、さらに視力の喪失や不随意運動、痙攣、摂食障害、自律神経の異常などの神経症状が進行し、数年から十数年で、意識消失から脳の損傷による発熱や心不全により死亡します。

SSPEの発症リスクは、免疫機能が低下している人(ステロイド製剤や免疫抑制剤で加療中)や2歳未満での麻疹の罹患で高まります。そして、発症者の9割以上が14歳以下(多くは6~8歳)の小児ですが、成人が発症しないわけではありません。麻疹感染者の十万~数十万人に1人が発症するというデータがあります。SSPEの原因は、麻疹ウイルスが、回復後も完全に体内から排除されず、中枢神経でSSPEウイルスに変異して維持された「持続感染(continuous infection / persistent infection)」と考えられます。SSPEの発症機序は研究途上なのですが、SSPEウイルスに持続感染している神経細胞は、感染性を持つウイルス粒子を産生しないということが分かっています(他人に感染を拡げない)。ただし、SSPEウイルスに感染した神経細胞は、隣接する他の神経細胞と融合しながら、じわじわと中枢神経を侵していくことが実験で確認されています。通常のウイルス感染は、粒子を撒き散らして一気に周囲へと広がるので、これがSSPEの潜伏期間が長い理由と考えられています。


予防策と公衆衛生への影響
ここまで、麻疹の恐ろしさを中心に解説してきましたが、真っ暗闇という訳ではありません。光明は、麻疹ウイルスが属するモルビリウイルス属の特徴にありました。実は、モルビリウイルス属の感染先は、かなり限られており、その血清型(抗原として免疫系が認識する部位)が単一かつ安定しているのです。つまり、良く効くワクチンを開発すれば、効果的に流行を制御できます。新型コロナ禍が、ウイルスの変位系統に振り回されていることを思えば、まさに不幸中の幸い、と言えるでしょう。実際に、注4で触れたように、麻疹ウイルスの親戚である牛疫は、この世から撲滅されています。そして、現在使われている麻疹ワクチンは、とても優秀です。特効薬や効果的な治療法がなく、対症療法で回復を待つことしかできない麻疹のような病気には、社会での流行を抑えるにも、個人の有効な感染対策としても、ワクチン接種が最も効果的です。ただし、麻疹を流行させないためには、地域社会のワクチン接種率を95%以上に保つ必要があるようです。なかなか難しい数字とは思いますが、日本も近いところまでは達成しました(注6)

(注6) 日本とブルネイ(Negara Brunei Darussalam)、カンボジア(Kingdom of Cambodia)の3国は、2015年3月27日に、WHO(世界保健機関)の西太平洋地域事務局(Western Pacific office, WPRO)から麻疹が排除されたと認定された。WHOの定める「麻疹排除状態の認定基準」は、以下の3点。
 ●麻疹の発生動向調査(サーベイランス)があること。
 ●3年以上、地域特有の麻疹ウイルス株に感染する者が現れないこと。
 ●サーベイランスにより地域特有の麻疹ウイルス株の遺伝子型が見つからないこと。

日本では、1978年から当時の1~6歳を皮切りに、麻疹ワクチンの定期接種が始まりました。そして、2006年4月から麻疹と風疹の混合ワクチン(MRワクチン)の2回接種が開始されています(1歳と小学校入学前)。MRワクチンの1回接種で95%の人に、2回の接種で100%近い人に麻疹と風疹の獲得免疫ができることが分かっています。この優秀なワクチンの定期接種が進んだことで、日本は「麻疹の排除された国」と認定されたのです。しかしながら、その優秀さが、一時的には裏目に出ることもあります。

少し話は逸れますが、俗に、「”はしか”のようなもの」という言い回しがあります(もう死語でしょうか?)。我を忘れるほどに甘酸っぱい恋愛や、保護者や周囲の大人の価値観/権威/制度に反発する第二反抗期、いわゆる「若気の至り」という括りでまとめられそうなアレコレに対して、「誰もが罹るもの」であり、「幼い頃、熱に浮かされておけば、そのうち成長して元に戻るもの」である一方で、「大人になってからでは、こじらせて大変になる」というアナロジー(analogy, 類似/類推)として、「はしか/麻疹」と表現しているのですね。実際の麻疹は、そんな生易しい話では済まないわけですが、日常表現になるほどに、当たり前の病気だったという訳です。


日本では、25~30年周期で麻疹が流行し、過去に感染した者が再感染しないことは、経験的に分かっていました。例えば、江戸時代の川柳には、

   麻疹(はしか)で
   知られる
   傾城(けいせい/けいせん)の年

と詠(うた)われています。いわゆる「五七五」ではないので面くらいますね。それはともかく、「傾城」は「絶世の美女」の代名詞(注7)。転じて「遊郭の花魁」を意味します。この川柳では、そこまで位の高くない遊女を皮肉っているのですが、ようするに「あの遊女、流行中の麻疹に感染しないなぁ。さては前回の流行前(25~30年前)には生まれていたのか?若ぶりやがって!」ということ。こんな艶笑譚(えんしょうたん)が広まり、「二度無し病」とも呼ばれるほど、ありふれた光景だったのですね。

(注7) 傾城: 漢書の外戚伝。歌人・李延年が、前漢の第7代皇帝・武帝に自分の妹を売り込むために作った下掲の歌に由来する。
  <絶世傾国の歌>
   北方に佳人有り
    (北に美しい女がいましてね。)   ※「北」は、李の故郷のこと。
   絶世にして獨立す   ※ 獨立 = 独立
    (世に並ぶ者なく、1人とびぬけているのです。)
   一顧すれば人の城を傾け
    (一度振り返れば、城主を魅了して城内の統治を乱し、)
   再顧すれば人の國を傾く
    (二度目には、国主を魅了して国家の存立を危うくするほどの美貌。)
   寧んぞ傾城と傾國とを知らざらんや
    (私は、そんな傾城・傾国と称される女をよく知っています。)
   佳人は再びは得がたし
    (こんな美しい女とは、二度と出会えませんよ?)

いずれにせよ、麻疹は「子供の頃に罹れば、二度と罹らない病気」と考えられてきましたが、回復せずに露と消える悲劇も絶えませんでした。しかし、優秀な麻疹ワクチンの開発で、幼い子供たちの悲劇は激減しました。ただし、これが悲劇の終幕ではありませんでした。

2007年のことです。日本の高校や大学は、一時パニックになりました。学生に、麻疹患者が現れ、瞬く間に広がったからです。学校や関係各局は混乱し、翻弄されました。「麻疹なんて小児科の領域だろうに、なぜ10代後半から20代前半という、大人と言って差し支えない年齢に流行するのか?!」と戸惑い、驚いたのです。1978年に麻疹ワクチンの定期接種が導入されて30年弱。その結果、患者数は、過去と比較して1/100~1/1000にまで減少し、周囲に麻疹の患者を見ることも稀になりましたから、尚のこと、関係者の驚きは大きかったでしょう。さらに驚きの事実が、感染者の調査から浮かび上がりました。子供の頃にワクチン接種しなかった者は当然としても、定期接種を受けていた者も感染していたのです。なぜ、ワクチン接種者まで、麻疹ウイルスから逃れられなかったのでしょうか。

その理由とメカニズムについては、実は、本コラムでも、過去に似た事例を解説しています。それは、水痘・帯状疱疹ウイルス(varicella zoster virus, VZV)です(第55回)。ザックリ説明すると、次のようなことです。

1) 子供の頃、VZVに感染して水痘を発症。
2) 回復後も、VZVが潜伏感染する。
3) 潜伏感染者の免疫機能が落ちると(高齢者など)、帯状疱疹を発症。
4) 通常は、VZVの再感染で獲得免疫が再活性化し(ブースター効果)、帯状疱疹を抑制。
5) ワクチンの定期接種で感染者数が激減し、ブースター効果を得る機会が減った。
6) VZVの獲得免疫が不活化してしまい、若い世代に帯状疱疹の発症が増えた。

そうです。実は、麻疹も話は同じで、定期接種の普及で麻疹の獲得免疫を比較的安全に得られるようになった一方、定期的な流行が抑えられてブースター効果を得る機会が減ったというわけです。ようするに、麻疹は「二度無し病」ではなく、麻疹ウイルスの獲得免疫も、時を経ると不活化するのです。2007年の感染者増の経験から得られた、貴重な教訓です。急遽、2008年から5年間、当時の中学1年生と高校3年生にもワクチンを接種しました。このワクチンによるブースター効果が功を奏して、2008年に1万1千人もいた麻疹感染者は、翌2009年には7百数十人に抑えられています。

実は、先に触れているのですが、MRワクチンの2回接種が始まったのは、2007年の麻疹流行の前年です。この2006年は、初年度ということもあったのか、2回目の接種(小学校入学前の5~6歳児)が低迷していました(対象児童の接種率79.9%)。ですが、翌年の流行で危機感を募らせたのか、2008年からは90%を超えました。しかし、先に述べたように、地域社会で95%の接種率を維持することが、流行している地域からウイルスが進入したときに抑え込める条件なのです。その意味で、実は、心配な出来事があります。今、MRワクチンの接種率が低迷しているのです(図2)


図2. MRワクチンの接種状況 
参考)  「乾燥弱毒生麻しん風しん混合(MR)ワクチン接種率の現状と課題について
https://www.jpeds.or.jp/modules/news/index.php?content_id=1369

確かに、現在の日本は「麻疹の排除された国」ではありますが、他の国から麻疹ウイルスが入ってこないわけではありません。新型コロナ禍があって、世界各国でも様々な感染症のワクチン接種が低下しており、問題になっています。冒頭に述べた「世界的な問題」とは、この、ワクチン接種の低下による世界的な麻疹流行の再燃なのです。

不十分な獲得免疫しか持たない者が麻疹に感染すると、典型的な麻疹の症状を示さないことがあります。これを修飾麻疹といいます。修飾麻疹は潜伏期間も長く(14日以上)、カタル症状も軽度、微熱で発疹も限局的になるなど、症状だけでは診断ができません(正確な検査診断が必要)。この場合、典型的な感染者には劣るものの、自身も気づかぬまま、危険な麻疹ウイルスを拡散することになりかねません。

一部に、子供たちの定期接種の分が足りなくなっているとの話も聞こえてきましたが、慌てずに子供たちへの定期接種を確実に行いましょう。もちろん大人で海外に渡航される仕事の方などは心配でしょうから、抗体検査を受けて獲得免疫が十分か確認し、必要に応じてワクチンの接種を検討してください。

麻疹に特効薬はありませんが、ワクチン接種とサーベイランスを継続して行えば、撲滅可能な病気のはずです。それは理論的にも、牛疫という例でも実証済みです。侮らず、ワクチンの接種を確実に行って、予防に努めましょう。