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Column


第58回 心理学と精神医学、神経科学
<質問>
本羅先生、こんにちは。先日、昼休みの職場で、同僚の女性たちが「心理テスト」や「占い」、「何とかセラピー」で盛り上がっていました。気を使ってくれたのか、彼女たちの1人が、近くにいた私に「ねぇねぇ、T.M.さんは、何か好きな占いとかあります?」と聞いてきました。

「雑誌やWebサイトの記事で見かけたら、チラ見する程度かなぁ。12星座占いとか?」
「男の人も、そういうの気になるんですね。ちょっと意外かも。ちなみに何座生まれですか?」

と、その後は、たわいもない雑談で終わったのですが、たまたま帰りの駅構内にある書店に立ち寄る用事がありまして、改めて意識すると、けっこう広いスペースの専門コーナーがあるものですね。売れ筋ランキングにも「~の心理学」や「脳科学の~」みたいな本が並んでいます。

女性に限らず、多くの人が興味を持っているんだなぁと思いました。ただ、中をパラパラとめくってみると、週刊誌や一般向けの簡単な書籍は、どれも似たり寄ったりな内容に思えました。本羅先生、素朴な疑問なのですが、実際の専門家や先生たちにとって、心理学や精神医学、脳科学は、それぞれ、どのように違うのでしょうか。(東京都 T.M.)
(2024年2月)
<回答>
心への興味の始まり
T.M.さん、ご質問ありがとうございます。そう言えば10年以上前、仕事の関係で知り合った出版社の編集者さんから伺ったのですが、同じ内容でもタイトルに「脳」や「心」が付くだけで本の売れ行きが伸びるんだとか。もしかすると、今でも事情は変わらないのかもしれませんね。

私たち人類が、自らの「心」に興味を持ったのは、いつのことでしょうか。もちろん、遥か昔のことでしょうし、おそらく、人類が誕生して、自分たちの「心」に気づいたときからに違いありません。では、どんなときに、私たちは「心に気づいた」のでしょうか。

私は、一つの例として「自分の周りが意のままにならないとき」ではないか、と考えます。それは、「自己が世界の中心でないことに気づいたとき」、言い換えると「他人が『自分と異なる感情/思考/意志を持つ』と気づいたとき」、です。このとき、「感情/思考/意志」が「自分や他人」とは独立した存在だと、ボンヤリと気づくのではないでしょうか。


心の複雑性と科学の取り組み
さて、特に断りなく、「心」を「感情/思考/意志」に置き換えてしまいましたが、もちろん、この3つが「心とは何か?」という説明になる訳ではありません。

本コラム第54回で触れたように、現代科学は「意識のメカニズム」を解き明かしていませんし、この辺りの言葉遣いは、それこそ文学者から心理学者、神経科学者で異なります。

また、同じ学問領域内でも研究者によって、「心」の意味するところを説明するに千差万別の面持ちがあります。とはいえ、お話しを続ける上で、「書く私(本羅)」と「読むT.M.さん」の間に、すれ違いがあってはいけません。

そこで、少し遠回りですが、「心の働き」に関連する英単語と漢字に注目して、私の言葉遣いを示してみます。

もちろん私は言語学者ではありませんので、トンチンカンな解釈がありましたらネイティブスピーカー(native speaker)にご指摘いただきたいのですが……。

まずは、寄り道は私の説明によくあることと、本コラムの読者には苦笑いしていただき、先に進むとしましょう。

心、意志、感情の探究
はじめに、「思考(mind)」です。”mind”は、古い意味に「記憶」を含むようで、今でも”remind(思い出させる)”に面影が残っていますね。

大きなイメージとしては「気持ちの向き方/状態」を意味する古語を語源とし、そこから「頭の中に整理された情報」、さらに発展して「精神や理性、知性を司る心の働き」に向けて使われるようになったようです。

ちなみに私は、もっと理屈立てた「思考」を表現するときは”thought”を、より抽象的な「考え方」のときは”thinking”を使うことが多いです。

次に、「意志(will)」です。私は中学英語で初めて助動詞として”will”を習ったときに、いわゆる文法の未来時制(Future tense)として「~だろう」と覚えてしまったもので、高校生になって、名詞で「意志/意図」と訳すと聞いたときは、「え、”未来”じゃないの?」と戸惑った覚えがあります。

”will”は「何かを欲する/望む/選ぶ」ことを意味する古語が語源であり、結果として「今から先の状態に意識が向く」ので、未来時制を表すために使われるようです。しかし、さらに私が戸惑ったのは、下記の例文でした。

Will you please open the window?
You will come to the staff room.

未来時制の「~だろう」に凝り固まっていた当時の私には、これを「窓を開けてくれませんか?」や「職員室に来てください」と「命令/要請」で訳すことが、不自然に思えてなりませんでした。

後年、古語に由来する”will”の成り立ちを教えてもらい、この”you will”は「あなたに望む」を意味するのだと知って、ものすごく腑に落ちた思い出があります。このとき、「今から先に向けた望み」が「意志」であることにも、シックリきました。

続いて、「感情(heart)」です。元々、”heart”が内臓の一つである「心臓」を意味することは、改めて説明するまでもないと思います。そして、漢字の「心」が、心臓の象形文字(注1)だと、ご存知の読者も多いのではないでしょうか。

(注1) 象形文字: 
ものの形を象(かたど)って作られた文字の体系。絵文字が発展して生じたと考えられる。ただし、絵文字が対象物そのものの表象であることに対し、象形文字は特定の単語(読み方や意味のまとまりがある言葉)と結びついている点で異なる。


心臓が、「心」の中の「感情」と結びついて言語化されたことは、素朴な経験則として、読者の皆さんにも実感が持てると思います。

興奮したり気が高ぶったりしたとき、心臓の鼓動は早くなり、脈拍は大きくなりますし、安心したり落ち着いたりしたときは、鼓動も脈拍も緩やかになります。

現代医学では、心臓を「体中に血液を巡らせるポンプ」と理解していますが、大昔の人々にとって、心臓の力強い拍動は、私たちに生命が宿っている証でもありました。その意味で心臓は、遥か古代から、一つの生命体における「心と身体」の接点だったと言ってよいでしょう。

呼吸と生命の密接な関係
そして、もう一つ、「私たちが生きていること」を意味し、密接につながる生理現象があります。それは、「息 / 呼吸(respiration)」です。日本語では、亡くなることを「息を引き取る」と言いますし、英語でも”take one's last breath”という表現があります。

どちらも、文化的背景や歴史こそ異なりますが、同じ人体の生理現象を描写しています。面白いですね。実際、今でも医師による死亡判定は、「呼吸停止」「脈拍停止」「瞳孔拡大」の3つを確認することによって行われます。

息と霊性の結びつき
特に、西洋文化で顕著だと思うのですが、息と生命の結びつきは強いようです。おそらく、キリスト教の影響でしょう。旧約聖書の創世記によると、最初の人間であるアダムは、創造主が土から形づくり、鼻から息を吹き込んで生き物となった、とされます。

つまり、人間は「神様から息を分け与えられた存在」というわけです。ですから、「息」に「聖なる性質」を感じても不思議ではないでしょう。ちなみに、ヘブライ語の聖書では、この「神様の息吹」と「神様から分け与えられた息吹」を、それぞれ「ルアハー(ルーアハ)」および「ネフェシュ」と表記しますが、現代では「風/空気/雰囲気」および「喉・首/息/意識・理性・感情」を意味します。

言語と象徴における「息」の役割
そしてルアハーとネフェシュは、古代ギリシア語の聖書で「息/風/空気」を意味する”pneuma(プネウマ)”および「息/生命/心・魂」を意味する”psyche(プシュケー)”と訳され、その後、古代ローマの聖書ではラテン語で、それぞれ「息・呼吸」を意味する”spiritus(スピリトゥス)”および「息/活気/精神/魂」を意味する”anima(アニマ)”と訳されました。

spiritus(スピリトゥス)は、現在の英語で”spirit(スピリット)”の語源となり、キリスト教では「精霊(Saint Spirit)/天使(Angel)」を意味しますが、一般的には「精神」を意味するようになり、派生して「情熱/本質/信念/価値観」のように多彩な使われ方をするようになりました。

ちなみに、anima(アニマ)が「アニメ作品(animation)」の語源であることは、ご存知の読者もおられるでしょう。


「息」と「心」の文化的および言語学的分析
一方で漢字の「息」は会意文字(注2)で、「鼻」の象形文字である「自」と、先に説明した「心臓」の象形文字「心」が組み合わさった、まさに「生きていること」としての「呼吸」を表しています。

(注2) 会意文字: 
2つ以上の漢字を組み合わせて、別の意味を表す文字の体系。

ちなみに「自」が「鼻」から「己/自分」の意味に転じたのは、「自分の鼻を指差す仕草」が「私/自分自身」を意味するから、と言われています。

余談ついでに、漢字では、同じ意味の文字を重ねて単語にすることがよくありますが、「生きていること」を意味する「生息」も、その一つです。そして、実は「精神」も、そのような単語の仲間で、「心」を意味する2つの漢字を重ねています。

「精」は、「稲穂」の象形文字である「米」と、音(読み方)を表す会意文字「青」の組み合わせです。ただし、「青」の意味も含まれているので、会意兼形声文字(注3)と言います。

(注3) 会意兼形声文字: 
形声文字が、意味を表す漢字と音(読み方)を表す漢字を組み合わせた文字の体系であるのに対し、音を表す漢字の意味も加えて会意文字としている文字の体系。


ところで「青」は、上部の「横三本と縦一本の線」と下部の「月」に分割できる会意文字です。上部は「草木が青々と生える様子」の象形文字である「生」ですが、「月」は「青色」に関係なく、旧字体の「靑」をご覧いただくと下部は「円」です。

しかし、「靑」の「円」は、「丸い図形」の漢字ではなく、「丹」を意味しており、「着色料(井桁の中の染料)」の象形文字です。少しややこしい構造ですが、「青」は「生命力あふれる植物由来の染料」が発する青色の「青そのもの」、晴天の空や海のように澄み渡る青色を意味する漢字です。

その「澄み」から派生して「濁りのない/混じりけのない/純粋な/清らかな」という意味も持つようになりました。つまり、「精」の元々の意味は「不純物のない、きれいな米/精白米」だったのです。そこから、「骨髄や油の種を絞った抽出物」、さらに「本質/真髄」と意味が派生し、「心の澄み切った部分」も指すようになりました。

次に「神」ですが、もともとは「申」だけで、「神様」を意味していました。「申」は、「雷電/稲光」の象形文字で、天を裂く雷電や地に伸びる稲光を「人知で計り知れぬ神秘的な存在」と捉え、「天の神様」を表したのです。

ところが、目上の人に話す謙譲語の「もうす」や、「のびる」「かさねる/くりかえす」と意味が派生したことから、「神様」の意味を強めるために「祖先を祀る祭壇」の象形文字である「示(ネ)」と組み合わせ、会意文字としました。

しかし、祖先の祭祀に神様を並べたことから、亡くなって神様の傍に行く祖先、つまり「人の霊魂」に意味が派生し、生きた身体に宿る霊魂の状態、つまり「心」も意味するようになりました。ちなみに、「精神」と同じ成り立ちの、「心」を意味する2つの漢字を重ねた単語に「心神」がありますが、これは万葉の昔から使われています。

さて、ここまでお読みいただくと、私たち人類は、言葉を駆使するようになった太古の昔より、「心」について「身体」から独立した存在と捉えていることが分かります。

「死ぬと身体から霊魂が離れる」と考えることは、素朴な体感と結びついているのかもしれません。このように「心は身体(脳)と別の、非物質的な存在」であり、「脳が無くなっても、心(霊魂)は残っている」という考え方を心身二元論(mind-body dualism)と言います。

しかし、「生きているとき」の私たちは、非物質である霊魂(心)と物質である身体(脳)が一体化しています。嬉しいときに笑い、悲しいときに泣くように、心は身体に作用します。逆に、疲れて気分が落ちこんだり、美味しく飲み食いして元気になったりと、身体も心に作用します。

言い換えると、二元論は「非物質(心)と物質(身体/脳)が相互に作用する関係」が説明できなくてはならないのです。

一方で、「心」を「脳の機能/はたらき」と捉え、「脳が無くなれば、心も消える」と考える、主だった現代自然科学の立場を「心身一元論(mind-body monism)」と言います。

しかし、繰り返しになりますが、現代科学は、心を解き明かしてはいませんし、霊魂も確認できていません。霊魂が未確認であるのは、物質から世界を説明する自然科学では、非物質的な存在である霊魂の扱いが難しいことが理由かもしれません。

ただし、もしかすると、霊魂の存在が確認されるか、心と脳の関係が解き明かされて、二元論が正解となるやもしれません。とはいえ、物質という実物を相手にできる分、研究が進めやすいのは一元論です。

しかし、難しいとはいえ、現代科学は、物質以外を相手にしないわけではありません。そもそも広義の「科学」は、ものごとの決まりや原理を(1)観察や実験などから発見し、(2)分類して体系化し、(3)理論的に説明すること、です。

つまり、科学とは「特定の何か」についての学問ではなく、方法論であり、ある意味、「全ての学問」の総称とも言えます。とはいえ、ざっくりと、研究対象が「自然の事物や事象」であれば「自然科学」、「自然と対比した、人間社会の様々な活動」であれば「社会科学」、自然科学にも社会科学にも属さない学問を「人文科学」と分類しています(注4)

(注4) 社会科学と人文科学に分類される代表的な学問:
社会科学(social science) 政治学・法律学・経済学・社会学・教育学・歴史学・民族学など
人文科学(cultural science) 哲学・文学・文化学・芸術学など
 ※元は「人文学(humanities)」だったが、他の2つとゴロを合わせて「~科学」と表記するようになった。

ちなみに「科学」という単語は、明治期を代表する啓蒙思想家/西洋哲学者の西周(にし あまね)が、ラテン語の 「知識(scientia)」に由来する英語の”science”を和訳するために造語したもので、 「百科の学」あるいは「分科の学」を略したと伝えられています。

さらに彼は、”psychology(サイコロジー)”の和訳として「心理学」も造語しました。先に見た古代ギリシャ語の「心/魂」を意味するプシュケー(psyche)の学問(-logy)ということですね。

 西周
出典:国立国会図書館「近代日本人の肖像」
https://www.ndl.go.jp/portrait/

哲学者の西周が造語したことから示唆されるように、近代科学では、心理学に対する学者の認識は哲学に近く、人文科学に分類されることから始まったようです。

実際、先に説明した「一元論/二元論」という言葉も、「心の哲学(philosophy of mind)」の基本テーマである「心身問題(Mind-body problem)/心脳問題(Mind-brain problem)」で、使われる用語です。

また、時代によっては「心理学を科学と呼べるのか?」という議論も行われたようです。しかし、先に説明したように「科学とは方法論」ですし、そもそも「何をもって科学か否かを定めるのか?」についても議論されました。

この辺りは、深入りしすぎると、それこそ哲学になってしまいます。そこで、以下に、私を含めて自然科学研究者の多くが拠り所にしている「科学的」な考え方を簡単にお示しするに留めたいと思います。

(1)仮説を立て、適切な方法で検証する。
(2)検証結果の”確からしさ”を統計解析で評価する。
(3)仮説を否定する方法が原理的に存在する(反証可能性)。
(4)否定しきれない限りにおいて、仮説を正しいものと扱う。

専門分野における心の研究
もちろん、現在のところ、心理学は科学として問題ありません。ただし、自然科学/社会科学/人文科学の、いずれに分類されるかについては、どれにも当てはまる要素があり、「心理学とは何か?」をお話しするだけで、分厚い本が書けるほどです。

ここにも深入りせず、ざっくり、「基礎心理学(心の一般的な研究)」と、その知見に基づいて現実の問題に取り組む「応用心理学」の2つに分けられるとお考えいただき、先に進みます。

さらに、本コラムが生命科学をテーマとしており、T.M.さんのご質問に沿って回答したいので、以降は自然科学に寄せた一元論的な内容になることをご了承ください。

さて、ざっくり分けた2つの内、「応用心理学」に親和性の高い学問が、「精神医学(psychiatry)」です。「心理学」と同じく、古代ギリシャ語の「心/魂(psyche)」と「治療(iatreia)」を語源としており、19世紀初頭にドイツ人医師のヨハン・クリスチャン・ライル(Johann Christian Reil)が造語しました(独:psychiatrie)。

古代から中世にかけて、精神病患者は、非人間的に扱われていました。ヨーロッパでは「悪魔憑き」、日本でも「物狂い」や「狐憑き」と呼ばれて迫害されていたことをご存じの読者もおられるでしょう。

しかし、17世紀に勃興し、18世紀にヨーロッパで主流となった「啓蒙思想(Enlightenment)」は、当時の文化/哲学/科学の近代化と連動して、「精神病とは、脳の疾患である」という認識を医学の世界に根付かせました。

ちなみに、「啓蒙(けいもう)」という単語は「蒙(もう)を啓(ひら)く」と読むこともでき、「蒙」が「幼い者/道理の通じないこと」を、「啓」が「閉じたものを開く/未知を解明する/教え導く」ことを意味します。英単語の”Enlightenment”の原義は「光で照らすこと」です。

中世までの因習や偏見に理性の光を当て、世界の根本法則と人間性を照らし出すという考え方です。そして、19世紀半ばには、ヨーロッパ各地の大学医学部に「精神科」が設置され、学問としての「精神医学」が整備されていきました。

一方で、19世紀は、生命科学(life science)としての「生物学(biology)」が、産声を上げた時期でもあります。

顕微鏡の発明が生命の基本単位を細胞と確定し、ルイ・パスツール(仏: Louis Pasteur)が生命の自然発生説を完全否定し、微生物によるアルコール発酵の研究から生命活動が酵素による化学反応であることが見出され、グレゴール・ヨハン・メンデル(独:Gregor Johann Mendel)が遺伝学の礎となる法則を発見し、チャールズ・ロバート・ダーウィン(Charles Robert Darwin)が進化論を提唱したのです。

このような生物学の発展は、啓蒙思想を背景として、医学にも影響しました。説明するまでもなく、「心理学」と同じく「医学」も、人体についての一般的な研究である「基礎医学」と、実際の治療に応用される「臨床医学」に、ざっくり分けられます。

特に、基礎医学の中で「解剖学」と「生理学」が発達し、そこから「神経科学(neuroscience)」が生まれました。


科学的アプローチと心の探求
もちろん、遥か古代から、人類は「心」以上に「生命」に興味を持ち続けてきましたし、動植物の研究はありましたが、素朴な道具しか使えなくては、できることも限られます。

それが現代では、分子レベルで生命活動を記述する「分子生物学(molecular biology)」が誕生し、高性能なコンピューターが発明され、その他様々な技術の発達が後押しすることで、神経科学は「脳科学(brain science)」へと発展しました。

ただし、今のところ、学問領域として神経科学と脳科学の間に大きな差はありません。また、新しい技術の後押しは、心理学や精神医学にも必要とされ、活かされています。

自分が脳科学を研究していたころを思い浮かべつつ、当時の研究者仲間や学会を思い出すと、それぞれの所属する組織は「心理学」や「精神医学」にとどまらず、様々な研究所や大学の学部学科と多岐にわたるものでした。こと、「心」や「脳」を研究対象とする限り、「〇〇学」と表記する学問の括りは極めて緩いのかもしれません。あえて言うなら、「学際(interdisciplinary)」というのでしょうか。

今回は、T.M.さんからご質問を受けて、改めて、私なりに言葉を整理し、筆を進めました。全ての研究者が、同じように考えているとは思いませんが、大きく外してはいないはずです。心理学と精神医学、脳科学の違いなんて、一般の人には分かりにくいと思いますが、参考にしてもらえれば幸いです。