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Column


第6回 猫のクローンについて(その2)
<質問>
読者の皆さま、こんにちは。
まずは、今回の執筆に先立ちまして、日本列島を蹂躙した、台風19号の被害に遭われた方々に、哀悼の意を表します。この原稿を書いている時点では(10/14)、いまだ各地で河川の氾濫による被害者の救護が続いています。少しでも早い諸設備の復旧と、皆さまが日常を取り戻されますことを祈念いたします。

さて、前回、神奈川県の K.N.さんからいただいたご質問(亡くなったペットの猫は再現可能か?)ですが、猫の毛色が遺伝子的にどのように決まるか、というところまで説明いたしました。今回は、それ以降の「クローンとは何か?」と「愛猫の再現は可能なのか?」の順に解説を続けたいと思います。
(2019年10月)

<回答>

「挿し木」って「クローン」だったの?
前回の終わりに、クローン(clone)については「人工的に生み出された、遺伝情報が全く同じ個体」と、簡単に説明しました。「人工的」とは書きましたが、正確には「天然のクローン」も存在します。たとえば一卵性の双子や三つ子が、そうです。あるいは、アメーバやゾウリムシといった単細胞生物が細胞分裂で増えた場合、これもクローンと呼んで差し支えありません(「無性生殖」と言います)。

歴史的には、植物の「栄養生殖」、いわゆる「挿し木」のことをクローンと呼んでいました。栄養生殖とは、ようするに「種子・胚」を経由せずに繁殖する様式のこと、つまり雌雄による「有性生殖」を介さずに個体を増やすことです。

そうした概念を植物から動物に拡張したのが、現在、生物学で用いられているクローンという用語です。ちなみに、栄養生殖の例としては、「匍匐茎(ほふくけい:竹)」や、「鱗茎(りんけい:園芸用語の“球根”)」、「塊茎(かいけい:ジャガイモ)」、「塊根(かいこん:サツマイモ)」などがあります。

「細胞の運命」を変えて羊のドリーが誕生
ここからは「動物個体」に絞って、クローンの話を続けます。
クローンの作出については、すでに畜産分野で利用が進んでいます。優良かつ安定した品質の供給を目的としているわけですが、その作出方法は大きく二種類に分かれます。一つは「受精卵クローン」で、もう一つは「体細胞クローン」です。

受精卵クローンは、その名の通り、受精卵を基にした方法です。受精卵から細胞分裂が数回進んだ初期の「胚(はい:Embryo)」は、まだ「分化全能性(あらゆる臓器になれる能力)」を持っています。たとえば4~5回の分裂を経た胚(16~32個の細胞塊)を利用すると、受精卵と同じ遺伝形質を持った動物が、細胞の個数だけ生まれるというわけです(もちろん成功率で左右しますが)。各細胞は冷凍保存可能で、出産は代理母になりますが、受精卵クローンは、まさに「人工的な多胎児」を作成しているといえます。しかしながら、遺伝情報としては親のクローンではないところには、注意が必要です。

もう一つの体細胞クローンは、逆に「親のクローン」を作る技術と言えます。体細胞は、ようするに「体の様々な臓器を作る、生殖細胞以外の細胞」のことです。通常、体細胞は、他の細胞に変化する能力「分化能」はありません。皮膚なら皮膚、心臓なら心臓と、分化が終われば、そのままです。分化全能性を持つ受精卵を頂点として、最終的な臓器の細胞を目指しながら、分化は進みます。これを「細胞の運命(cell fate)」と言います。文学的な表現に聞こえますが、生物学の専門用語です。かつては細胞の運命を変えることはできないと考えられていましたが、1996年に作出された羊のドリーを皮切りに、体細胞から取り出した細胞核を同じ動物種の卵細胞に移植することで、研究レベルでは様々な動物でのクローンが作出されています。


双子は指紋も同じ?
さて、ご質問のあった猫のクローンですが、実は2001年に米国のテキサスA&M大学でクローン猫が誕生しています。このとき雌の三毛猫を実験に使用したので、同じ遺伝情報を持っているクローン猫も三毛猫になりました。しかし、毛色のパターンは、元の猫と異なりました。なぜなら色素沈着の遺伝子発現パターンは、遺伝情報にくわえて環境要因やランダムな発現調節で決まるからです。

こうした、後天的な遺伝子発現の調節を「エピジェネティクス(epigenetics)」と言います。簡単に説明すると、エピジェネティクスとは「どの遺伝子が発現して、どの遺伝子が発現しないのかを、どのように制御しているのか?」ということであり、その謎を解く研究分野のことでもあります。人間でいうと「指紋」や「末梢血管の走行」などは、双子といえども異なることが知られています。同じ遺伝情報の持ち主で、形は大雑把に似るのですが、細かなところは偶然や環境への応答が左右して、柔軟さをもって外界に適応するわけです。エピジェネティクスの全貌については、まさに研究の最前線なので、これから面白い事実が、どんどん判明することでしょう。


クローンは体質や性格を引き継ぐの?
このように見た目(特に毛色のようなもの)が全く同じ個体を作成することは現在のところ難しいのですが、それでは体質や性格については、どうでしょうか?

体格や肉付きなどについては、おおむね遺伝情報で決まります。畜産や酪農で利用が進む理由です。しかしながら、それ以外の体質、たとえば病気への抵抗性や免疫などについては、遺伝性の疾患以外は、後天的(環境・食事など)に決まるでしょう。つまり、エピジェネティクスです。

また性格や行動パターンについても同様です。いくつかの遺伝子が、性格や行動パターンに影響するらしいことが分かりつつありますが、経験や学習などの後天的な要素で決まる方が、最終的な割合としては大きいのではないでしょうか。ここは研究者によって、様々な議論があるところです。

当然ながら、元の猫の生前の意識や記憶、体験などをクローン猫に引き継がせることも、今の科学では不可能です。なぜなら脳という複雑な神経ネットワークを解析することも、ましてや再構成することもできないからです。

結論としては、現状の科学技術では、クローン動物(遺伝子レベルでのコピー)を作出することは可能でも、それは元の動物とは違った個体である、ということになります。