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Column


第36回 スペイン風邪とウイルス学の始まりについて
<質問>
まだまだコロナ禍が幅を利かせていますね。いい加減にして欲しいと思いながら、毎日、満員電車に揺られています。改めて考えてみれば、これまでに何度もパンデミックは有ったわけですよね。そういえば、100年前のスペイン風邪が、感染者の規模や影響の大きさともに、今回より凄かったらしいと聞きました。

また、以前に「スペイン風邪は終息までに10年かかり、結局のところ、なぜ終息したのかは、いまだにハッキリとはわかっていない」というコメントをラジオの報道番組で聞いたことがあります。病気としては、今回の新型コロナ禍とは違うのでしょうが、パンデミックの規模や終息までの流れとしては、どうなのでしょうか。今の参考になるのなら、詳しく教えてください。(神奈川県 M.T.)
(2022年4月)
<回答>
M.T.さん、ご質問ありがとうございます。前回にお話したように、第6波のピークは過ぎたと思いますが、3月末から新規感染者数が緩やかに増加へ転じ、残念ながら7回目の波が始まりつつあると思います。ただし4月21日時点では、増加にブレーキがかかっているようですが、油断せずに見守りたいです。

日本国内のワクチン接種状況
4月18日時点では、新型コロナウイルスワクチンの接種完了者(2回)を年代別に見ると50歳以上65歳未満と70歳以上では9割を超えています。しかし20歳以上50歳未満と65歳以上70歳未満では、8割を超えたものの、9割に満たないまま数か月が過ぎています。

3回目接種(ブースター接種)は、70歳以上では8割半ばから9割近くに達しましたが、70歳未満は8割に達せず、40歳未満では3割に届きません。若い世代ではブースター接種の期間制限(2回目接種日から半年以降)があるので、これから増えるとは思いますが、まだ40歳代で4割弱、50歳代で5割強、60歳代で7割強しか接種していないのは、第7波の状況を気がかりにさせます。ちなみに5歳以上12歳未満は、1回目の接種で10.1%、接種完了者は4.5%です。

ブースター接種が第6波に遅れた批判を受けてか、現内閣が4度目接種(2度目のブースター接種)の準備を検討するという報道もありましたが、まずは今、若い世代のブースター接種や子供たちへの接種完了を大急ぎで進めてほしいです。

以前よりの懸念でしたが、10代以下の感染者数増加が夥しくなり、2月2日から4月19日までの全感染者数の17%弱、66万人を超えています。残念ながら、10代以下の死亡者数も4月19日時点で12名に増えています。重症化や死亡の確率が大人より低いとはいえ、感染しないに越したことはありません。後遺症の心配もあります。できるだけ早く、ワクチンによる獲得免疫で子供たちを守ってあげて欲しいです。

 (参考)  https://www.kantei.go.jp/jp/headline/kansensho/vaccine.html
   https://covid19.mhlw.go.jp/
   https://www3.nhk.or.jp/news/special/coronavirus/vaccine/progress/

スペイン風邪 ― その発生から第1波まで
さて、M.T.さんがご質問の「スペイン風邪」ですが、時代背景や科学技術のレベルが異なるので、現在との比較は難しいです。とはいえ、残された記録から当時の世界状況を振り返ると、医学がウイルスに注目し始めた時代でもありました。その辺りにも触れつつ、解説したいと思います。

記録によると、スペイン風邪の流行は大きく3つの波があり、第1波は1918年の春先に始まったようです。第1次世界大戦の末期です。

名前に「スペイン」と付いてはいますが、実際の発生源は、未だ不明です。100年以上前の防疫体制ですし、仕方ありません。記録として確認できる最初期の感染者はアメリカ陸軍兵で、1918年3月のことでした。

 1918年のスペイン風邪でマスクをする女性
(豪州メルボルン・パブリックドメイン)

以降、アメリカ全土やヨーロッパ各国での流行が、第1波になります。感染拡大の原因は「派兵」です。当時は大戦中で、関連諸国には報道管制が敷かれており、新たな感染症の報道は、当時の中立国スペインから、世界中に発信されました。特に、スペイン国王アルフォンソ13世(Alfonso XIII)の罹患は大きなニュースになり、疾患の発生源を世界に誤解させたようです。

第1波は、「若者や成人に重症者が多い(平時は乳幼児や老人)」「流行時期が春から夏(平時は冬)」という点で違和感があったものの、感染性や致死率は平時のインフルエンザを超えるものではなく、同年7月には何とか落ち着きました。

スペイン風邪 ― 第2波から第3波へ
ところが、同年8月の終わりから、ほぼ同時に3か国の港湾都市、「アメリカのボストン」「フランスのブレスト」「シエラレオネのフリータウン」で、猛毒化した変異株が発生しました(致死率が10倍!)。第2波の始まりです。

第2波も軍隊の移動に併せて瞬く間に世界中へと広まり、多くの若者を死に追いやりました。同年10月、死者数がスペイン風邪の被害全体でも最大となり、大戦の休戦協定が結ばれた同年11月に新規感染者数はピークを迎え、同年12月に勢いを下げました。

しかし、第2波を逃れていたオーストラリアが翌1919年1月に検疫を解除したとたん、第3波が発生します。第3波は、同月中に欧米まで広まり、同年4月にはパリ講和会議で、当時のアメリカ大統領トーマス・ウッドロウ・ウィルソン(Thomas Woodrow Wilson)を毒牙にかけます。

その後、第3波は、欧米では1919年の夏あたりで落ち着いたのですが、南半球やアジア諸国には遅れて襲いかかったため、世界全体としては翌1920年に終息したようです。「終息までに10年かかった」というのは少しオーバーですが、「終息した理由」を含め、まだまだ謎が多いことは確かです。

最終的には、スペイン風邪により世界人口の1/4から1/3が感染し(およそ4億人)、死亡者数は4千万~5千万人と推定されています。

また、一説によると、スペイン風邪は、第1次世界大戦の終結を促した一因なのだとか。世界中で徴兵対象の成人男性がパンデミックに倒れ、各国それぞれ、兵力を維持できなくなったのです。

加えて第1次世界大戦の戦後処理では、国際協調を訴えていたアメリカの外交補佐官団が第2波に倒れ、結果的に、フランスが中心となって、ドイツへの過大な戦後報復を決定しました。

つまり、スペイン風邪は、第1次世界大戦の幕を引くと同時に、第2次世界大戦の種をまいたとも言えるでしょう。

 スペイン風邪に罹患した兵士たち
(出典:Wikipedia

インフルエンザの変遷
第7回で触れましたが、インフルエンザという疾患は、すでに中世には知られていました。また、同様の病状が古代エジプトの記録にもあるそうなので、初期の人類にまで遡る可能性があります。

ただし、インフルエンザの病原体がウイルスと分かるまでは、臨床症状だけの診断ですから、厳密な意味では、過去のインフルエンザが今と同じ疾患か、判断は難しいです。

そもそも、感染症研究の開祖であるハインリヒ・ヘルマン・ロベルト・コッホ(独:Heinrich Hermann Robert Koch)が細菌培養法を確立し、疾病に特異的な細菌を同定するようになったのは19世紀半ばです。

そこから20世紀初頭まで、主な病原体とは細菌bacterium, (複) bacteria)であり、生物学的にも「細菌」が最小の生命体でした。したがって、スペイン風邪の当時、今でいうウイルスは、その存在すら知られておらず、研究者たちはインフルエンザの病原体として、細菌を探し続けていました。

実は、スペイン風邪の30年近く前、1889年に流行したインフルエンザのパンデミック(ロシア風邪)で、患者から分離された細菌を病原体として、インフルエンザ菌と名付けました。

これは、リヒャルト・フリードリッヒ・ヨハネス・ファイファー(独:Richard Friedrich Johannes Pfeiffer/医師・細菌学者)と、当時、ドイツに留学中だった北里柴三郎の研究成果です。ちなみに2人の成果は独立で、各々の論文が1892年の同じ論文誌に同時掲載されています(注1)。

(注1) 「インフルエンザ菌:誰が最初の発見者か」 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsb1944/50/3/50_3_787/_pdf

ウイルス発見前夜
ところがインフルエンザ菌は、インフルエンザの病原体ではありませんでした。実は、ウイルスに侵されて弱った呼吸器に、日和見感染opportunistic infection)する細菌だったのです。実に紛らわしいのですが、この細菌の名称は今でも残されています。

当然、インフルエンザ菌から開発されたワクチンは、全く効きませんでした。本当の病原体は、まだ知られざるウイルスなので仕方ありません。しかし、この時期、ようやくウイルスの影が見えはじめました。

実は、細菌の病原体は、細菌そのものが害するタイプと、細菌の分泌物(毒素)が害になるタイプがあります。当時、毒素の研究には、「シャンベラン型濾過器」を使いました。これは陶器製のフィルターで目が細かく、不溶性の細菌や細胞などを引っかけ、可溶性の物質は通過します。

つまり細菌と毒素が分離します。しかし、一部の疾病で不思議な現象が見つかりました。病変した生物組織に細菌が見えないのに、病変組織の培養液細胞破砕液には毒性(同じ病変を生じさせる性質)があり、さらに、その培養液や破砕液を濾過機に通しても毒性が消えないのです。

つまり、この疾病の病原体は可溶性です(細菌より遥かに小さい)。ただ奇妙なことに、その毒性は、希釈しても失われませんでした。組織に与えると増えるような毒素はありえません。

毒素は物質なので、薄まるにつれ毒性は弱まります。つまり「毒性が増殖する可溶性の毒物」という、新しくて奇妙な病原体が見つかったのです。研究者たちは、それに濾過性病原体filterable virus)と名付けました。

今でこそ“virus”は「ウイルス」ですが、元々はラテン語で、「毒/毒液」を意味します。当時の常識で「最も小さな生命体」の細菌ではなく、物質である毒素でもなく、感染毒性を持つ液体。研究当初の濾過性病原体は、まさに謎の病原体でした。

ちなみに1892年に世界で初めて発見された濾過性病原体は、植物の病原体であるタバコモザイクウイルス(tobacco mosaic virus)です。動物の濾過性病原体としては偶蹄目(注2)の口蹄疫ウイルス(Foot-and-mouth disease virus)が世界初で1898年、ヒトの疾病では黄熱ウイルス(yellow fever virus)が1901年に初めて確認されました。各ウイルスにまつわる話も面白いのですが、主題から外れるので、別の機会に譲ります。

(注2) 別名ウシ目。蹄が二股の哺乳類で、蹄を持つ動物全体の9割を占める。

ちなみに、先ほど話に出た北里柴三郎ですが、インフルエンザ病原体の確認こそ叶なかったものの、間接的にウイルス研究へ貢献しています。

(出典:Amazon 

それは北里式タンパク質濃縮器の発明です。これは、シャンベラン型濾過器を改良したもので、培地や培養液から毒素を濾過して濃縮できますが、濾過性病原体も濾過できたのです。

これは、とても重要です。濾過性病原体が「液体」ではなく、フィルターに引っかかる「粒子」と分かったからです。実験対象が粒子、つまり大きさのある物質なら、物理学や化学で研究できます。

実験機器の発明が研究を加速するのは、科学によくあることです。ウイルス関係では、超遠心機や電子顕微鏡の話も面白いのですが、別の機会に譲ります。

さて、そもそも濾過性病原体は、「シャンベラン型濾過器を通過する病原体」という意味でした。しかし「北里式タンパク質濃縮器は通過できなかった」ので、以降は、濾過性病原体を「ウイルス」と称して話を進めます。

物理的ないし化学的に性質を調べていくと、ウイルスは、種類ごとに決まった大きさを持つ、タンパク質の粒子だろうと推測できました。タンパク質なら、濃縮や精製ができます。そして1935年、タバコモザイクウイルスで、世界初の結晶(ウイルスの純粋な塊)を作ることに成功しました。

結晶化できるほどウイルス量を集めるには、膨大な病変組織が必要です。タバコモザイクウイルスのように植物のウイルスなら何千枚、何万枚と病気の葉を集められますが、動物やヒトの疾病では困難です。

そもそも細菌は培地や培養液で増殖できますが、ウイルスでは無理です。しかし、感染してウイルスの毒性は増えます。もしかして、ウイルスは組織(=細胞)に寄生して増殖するのかもしれません。

そう考えて、1931年に、有精鶏卵の胚を使った動物やヒトのウイルス増殖に成功したのがアーネスト・ウィリアム・グッドパスチャー(米:Ernest William Goodpasture)でした。彼の方法は、様々なウイルスを無菌状態で大量に増殖できる点で、優れていました。

インフルエンザウイルスの発見
こうしてウイルス研究が深まる中、インフルエンザの病原体がウイルス(正確には、濾過性病原体)と、実験的に証明されたのは1933年です(注3)。当時の患者から得た検体の濾液をフェレットferret, イタチ科の小型哺乳動物)の鼻腔に塗布すると、フェレットにインフルエンザの症状が現れたのです(鼻汁、咳、発熱など)。同じ研究では、以下のことも確認されました。

(注3) “A virus obtained from influenza patients” the lancet. bd. 222, 1933, s. 66?68.  https://www.thelancet.com/journals/lancet/article/PIIS0140-6736(00)78541-2/fulltext

●患畜から別の健康なフェレットに感染を広げられた。 → 感染性有
●回復後の患畜は再感染しなかった。 → 感染による獲得免疫
●濾液の皮下注射(注4)で、フェレットは発症しなかった。 → 感染経路は呼吸器系のみ
●上記のフェレットは、患畜からの感染を予防できた。 → 生ワクチンによる獲得免疫

(注4)濾液(ウイルス)を皮下注射することは、今で言うところの「生ワクチン」に相当。

さらに1936年には、ニワトリ胚の培養細胞でインフルエンザウイルスの増殖に成功しました(注5)。このとき、11ヵ月間160回も増殖を繰り返して弱毒化にも成功しました。さらに、フェレットの実験結果に基づいて、自由意志の実験参加者に生ワクチン(弱毒化ウイルス)を接種すると、参加者の血清にウイルス中和作用(≒感染防御能)が確認されました。

また1940年には、有精鶏卵の胚によるインフルエンザウイルスの大量増殖が可能になりまし(注6、注7)。そして同年、アメリカ陸軍が、インフルエンザの不活化ワクチン開発に取り組みました。スペイン風邪の反省と第二次世界大戦(1939年~45年)の勃発も背景にあったのでしょう。

不活化ワクチンは、薬剤処理などで感染性を失わせたウイルスのことで、生ワクチン(弱毒化ウイルス)よりも短時間で作成できます。1943年のインフルエンザ流行では、陸軍特別訓練隊で予防接種を行い、一定の成果を得ました(注8)。

 (注5)  “The Antibody response of human subjects vaccinated with the virus of human influenza”  J Exp Med. 1937; 65 (2): 251?259.
 (注6)  “Influenza Virus Infections of the Chick Embryo Lung” Br J Exp Pathol. 1940 Jun; 21(3): 147?153.
 (注7)  “Growth of Influenza Virus in the Allantoic Cavity of the Chick Embryo” Australian Journal of Experimental Biology & Medical Science. 1941 Dec; 19 (4): 291-295.
 (注8)  「インフルエンザワクチンの歴史」 https://www.jstage.jst.go.jp/article/jsv1958/35/2/35_2_107/_article/-char/ja/

しかし、これ以降、インフルエンザは克服されたかといえば、皆さんがご存知の通りです。第7回で説明したように、インフルエンザは突然変異が早いため、ワクチン開発は常に後追いですし、それ以前に、当時の技術的限界(ウイルスの製造/精製/ワクチンの最適化など)からも、インフルエンザのワクチン開発は難航しました。状況を打開するには、分子生物学の誕生が必要だったのです。

分子生物学の誕生
分子生物学は、1938年にウォーレン・ウィーバー(Warren Weaver)が提唱した学問分野で、生命現象を分子レベルで説明することを目指します。ちなみにウィーバーは、当時ロックフェラー財団の自然科学部門責任者で、世界で初めて機械翻訳を思いついたことでも有名です。

初期の分子生物学の目標は遺伝現象の解明であり、必然的に、研究者たちは核酸(DNAやRNA)に注目しました。

そして、遺伝子・染色体がDNAの二重らせんであること(1953年)、遺伝情報が「DNA ―(転写)→ RNA ―(翻訳)→ タンパク質」の一方通行であること(セントラルドグマ、1958年)、さらに一部のウイルスがRNAをDNAに逆転写する酵素を持つこと(セントラルドグマの例外、1970年)など、大まかな生命の謎を解明してきました。

ちなみに逆転写酵素ですが、第11回で説明した新型コロナウイルスのPCR検査で、検体の下処理(ウイルスのRNAをDNAに変換する)に利用されています。

分子生物学の興隆に前後して、ウイルスに核酸が含まれると分かりました。しかし、生命現象の基礎物質である核酸を持ちつつ、ウイルスは単体で生命現象(エネルギー代謝など)を起こしません。

ウイルスは、別の生命体に感染したときに姿を消し、遺伝情報(核酸)だけが活動します。この奇妙な性質から、ウイルスが生命体か物質かは、未だに議論が絶えません。いずれにせよ、ウイルスという病原体に、私たちの手が届きだしたのです。


A型インフルエンザウイルスだったスペイン風邪
ようやく、スペイン風邪の病原体がA型インフルエンザウイルスだったと同定されたのは、1997年でした(注9)。ちなみに、この研究では、アメリカの陸軍病理学研究所(The Armed Forces Institute of Pathology)に保存されていた1918年の米兵被害者の肺(ホルマリン固定後にパラフィン包埋(注10)されたサンプル)と、同じく1918年にアラスカの永久凍土に埋葬されたイヌイットの感染被害者から、ウイルスのRNAを検出したそうです。

さらに、スペイン風邪のインフルエンザウイルスRNAを全て解読し、逆遺伝学(reverse genetics)の手法で、当時のウイルスを再現できたのが1999年です(注11)。再現ウイルスを使って、様々な動物実験が進んでいるようですが、やはり平時に流行するタイプよりも強毒だそうです。

 (注9)  “Initial genetic characterization of the 1918 "Spanish" influenza virus” Science. 1997 Mar 21;275(5307):1793-6. 
https://www.science.org/doi/abs/10.1126/science.275.5307.1793
 (注10)  組織切片(数マイクロメートル厚)を作るための下処理。
 (注11)  “Generation of influenza A viruses entirely from cloned cDNAs” PNAS. 1999 August 3, 96 (16) : 9345?9350.
https://www.pnas.org/doi/full/10.1073/pnas.96.16.9345

スペイン風邪終息の謎について
詳細は専門的過ぎるので、ここでは、ざっくりとした説明に留めます。上記したように、インフルエンザの最も大きな特徴は、突然変異の速さです。それは第7回で触れましたが、人間のウイルスと水鳥のウイルスが、重なって感染した豚の中で遺伝子組換えを起こしているからです。

ただ、人間にとっての毒性の強さを感染性と重病化で評価すると、平時に流行するウイルスの変異は、自動車のモデルに例えれば、マイナーチェンジです。つまり、中和抗体を騙して感染する程度の変異ではあっても、獲得免疫(過去の免疫経験)の無効にまでは至らないのです。

しかし、スペイン風邪など、パンデミックになるウイルス変異は、フルモデルチェンジです。つまり、水鳥が持ち込んだ鳥類ウイルスの断片が、人類に未経験、つまり誰も免疫を持たないウイルスであることが、強毒性の原因と研究者たちは考察しています。

そして、社会全体が免疫を得た時にパンデミックは収束し、平時の感染状況となるのでしょう。つまり、スペイン風邪は、感染拡大で社会が自然に免疫を得ることで終息したと考えて不自然ではないようです。

私はウイルス研究の専門家ではないので断言はできませんが、この考察は、今回の新型コロナウイルスとも合致するような気がします。

ただ、前回に説明したように、インフルエンザウイルスは「マスク」「手洗い」「三密回避」で制圧できましたが、新型コロナウイルスの感染性には及びません。

さらに新型コロナウイルスは、ヒト-ヒト感染が続く限り、新たに凶悪な変異株の現れることが懸念されます。したがって、スペイン風邪のように感染拡大で終息を望むより、ワクチンによる獲得免疫で社会を満たすべきだと思います。