翻訳会社 ジェスコーポレーション

技術翻訳 特許翻訳 法務・法律翻訳 生命科学翻訳 マンガ翻訳 多言語翻訳   
翻訳会社JES HOMEColumn > archive

Column


第17回 幹細胞コスメについて
<質問>
私は、コロナ禍で自宅勤務が増えた上に、遊びの外出も減ったせいで、すっかり化粧しなくなりました。その分、いわゆる基礎化粧品で肌のお手入れをすることが趣味みたいになっています。美容成分には、様々なものがあるのですが、最近は「幹細胞コスメ」というものが出回っていて、評判が良いとも聞きます。

私の中では、「再生医療にも使われるくらいだから、アンチエイジングにも効果があるのかな」くらいの理解しかないのですが、実際のところ、どうなのでしょうか。それと、少し話が飛ぶのですが、小保方晴子さんとSTAP細胞は、結局、どうなったのでしょうか。(埼玉県 H.K.) 
(2020年9月)
<回答>
H.K.さん、ご質問ありがとうございます。今回、初めて「幹細胞コスメ」という言葉をお聞きして、正直、驚きました。幹細胞(stem cells)が、そんなに身近な存在となりつつあるのですね。

私は、とんと化粧に縁のないオジサンですから、Googleで「化粧品」と「幹細胞」をキーワードにして検索したのですが、なんと数百万件もの情報にヒットしました。いやはや、そんなに流行っているとは知りませんでした。

ただ、いくつかのホームページをざっと眺めた限りでは、薬機法(化粧品としての訴求内容)や景表法(優良誤認などの不当表示)に抵触しないかな、と思わなくもありません。

とりあえず、行き過ぎた広告表現は行政の取締まりにお任せするとして、私からは、美の追求にかける女性達の熱意に鑑み、科学的に幹細胞コスメを考察することにしましょう。とはいえ、幹細胞全般について丁寧に解説すると教科書のような分量になるので、ここではザックリとした説明に留めます。

再生医療とは
まず、H.K.さんも触れておられましたが、幹細胞研究における医学的なアプローチは、やはり再生医療(Regenerative medicine)です。

再生医療とは「臓器や組織の欠損および機能不全を回復させる医療全般」のことで、再生医療における幹細胞研究は「臓器や組織の再生」を目指しています。生物学的には「身体の作られかた/成長のメカニズム」といった発生学の研究になります。

それぞれの研究は道半ばですが、幹細胞が何であるのかを理解するのは、それほど難しいことではありません。順を追って、説明してみましょう。

どの細胞も元をたどれば受精卵
大前提として、臓器や組織は細胞から出来ています。細胞と一口に言っても、それぞれの臓器や組織に特有な、色んな種類の細胞があります。一説には約270種類とも言われますが、どの細胞も、元をたどれば受精卵です。

受精卵から「細胞分裂(cell division)」し、最終的に臓器や組織の細胞にまで変化することを「細胞分化(cellular differentiation)」といいます。そして、分化の途中段階にある、未分化な細胞を幹細胞と呼んでいます。つまり幹細胞とは、「細胞分裂(つまり自己増殖)」できて「未分化」な細胞全般のことなのです(図1)。

 

細胞の運命
以前、クローンについての解説で触れたのですが(第6回)、受精卵と、そこから数回、細胞分裂した胚には、どんな臓器・組織にもなれる「分化全能性(totipotency)」があります。

そこから少し分化の進んだ細胞である「内部細胞塊」を分離して培養した細胞株(cell line)が、ES細胞胚性幹細胞、embryonic stem cells)です。

ES細胞は、胎盤など個体発生に必要な器官を作ることはできませんが、様々な臓器や組織に分化することができる「多能性(pluripotency)」を持っています。

幹細胞は、分化が進むにつれ、何の臓器・組織になるのか、可能性が狭まっていきます。これを「細胞の運命(cell fate)」といいます。

iPS細胞とSTAP細胞
基本的に、分化は一方通行で、未分化な状態に戻ることはありません。この常識を覆したのが、「iPS細胞人工多能性幹細胞、induced pluripotent stem cells)」でした。

iPS細胞は、皮膚のような「分化した組織」をES細胞と同じ程度まで、人工的に細胞を未分化な状態にした細胞株で、この操作および現象を「初期化(reprograming)」と言います。

iPS細胞は、再生医療の必要な患者から作出することで、原理的に移植の拒絶反応を避けられることが画期的でした。

しかし、iPS細胞を作るには遺伝子導入が必要です。それを簡単な培養操作のみで初期化できた、と発表されたのが「STAP細胞刺激惹起性多能性獲得細胞、Stimulus-Triggered Acquisition of Pluripotency cells)」でした。

世界中に大反響を巻き起こしたSTAP細胞ですが、論文データに捏造が見つかり、再現実験も成功せず、研究者の間では「STAP細胞は存在しなかった」と判断されています。小保方氏については、私にも友人にも状況を知る直接の伝手がなかったのでコメントは控えます。

各組織を部分的に再生できる幹細胞
ところで、図1を見ただけだと、臓器や身体が出来上がった後は、すべての細胞の分化が終わってしまった印象を持つかもしれません。

しかし、実のところ、身体のあちこちには、各組織を部分的に再生できる幹細胞が控えています。それらは、どんな組織にもなれるわけではないのですが、いくつかの決まった細胞に分化できる能力があり、細胞分裂もします。

よく知られているのが、骨髄(血液や免疫の細胞など)、皮膚、毛、脂肪や筋、神経などの組織に幹細胞が含まれています。

化粧品の成分表示とエビデンス
駆け足で幹細胞について解説してきましたが、ここからが化粧品の話です。

令和2年9月時点で、日本化粧品工業連合会に届出のある「化粧品の成分表示名リスト」によれば、幹細胞に関連する成分表示名には「ヒト幹細胞順化培養液」「ヒト骨髄幹細胞順化培養液」「ヒトサイタイ間葉幹細胞順化培養液」「不死化ヒト歯髄幹細胞順化培養液」の4つがあります。

「順化」という言葉の意味は「細胞が体外環境(取り出した培養条件)に適応した」という意味です。「サイタイ」は「臍帯(へその緒/胎盤を含むこともある)」を意味します。

要するに、化粧品の成分としては「幹細胞そのもの」ではなく、「培養液」か「培養液に含まれるもの」が本態のようです。

 

実際のところ、分裂の盛んな培養細胞、中でも幹細胞は、周辺環境(つまり培養液)に様々な化学物質を分泌しています。

たとえば細胞増殖や分化を促進する「成長因子」や「栄養因子」など、研究レベルで注目されているものが、たくさんあります。しかし、それらが美容領域(つまり表皮)にとって、どのくらい有効な成分であるのかは「正確には分からない」ということが現状だと思います。

しっかりしたエビデンス(実験から臨床に連続する科学的な証拠)は、どうも今のところ存在しません。実際のところ、「プラセボ(仏語:placebo)」といった、いわゆる「偽薬効果(効果のない薬が作用する現象)」があるので、大規模な調査研究を行わないと白黒つけるのは難しいのです。

今回、私が調べた限りだと、医薬品などと違って化粧品は、そこまで厳密なエビデンスを国から求められないようです。

結論、多少なりとも幹細胞について研究経験のある身からすると、「幹細胞コスメ」の成分表示名からは「何が効果を発揮するのか、良くわからないなぁ」という感じです。美容成分としては、曖昧なものではないでしょうか。