History
 2006年2月から4月にかけblogで連載したJES Historyの保存版です。
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 第 1回 技術翻訳のパイオニア
 第 2回 パンナムでのランチタイム
 第 3回 50通の葉書と初仕事(その1)
 第 4回 50通の葉書と初仕事(その2)
 第 5回 6畳間からのスタート
 第 6回 タイピストと赤ん坊
 第 7回 羽田空港へ猛ダッシュ
 第 8回 竹内均先生
 第 9回 仕事の安定と営業活動
 第10回 プロは常に基本に返る
 第11回 将来は確実に見えている
 第12回 散歩と草笛
 第13回 心に空虚
 第14回 黙想ノート(その1)
 第15回 黙想ノート(その2)
 第16回 黙想ノート(その3)
 第17回 米国人捕虜と終戦
 第18回 利益と税金
 第19回 福利厚生、横浜市第一号
 第20回 学問に王道なし
 第21回 スペイン語
 第22回 新製品が大好き!
 第23回 商売と山っ気
 第24回 JFK
 第25回 ニクソン・ショック
 第26回 オイル・ショック
 第27回 父からの手紙(その1)
 第28回 父からの手紙(その2)
 第29回 俺は医者になる!
 第30回 この世に人類が存在する限り・・・
(最終回)

2006/02/27

第1回 技術翻訳のパイオニア

私の父、丸山藤男はまさに技術翻訳という未開の荒野を切り拓いたパイオニアでした。

その父も18年前の1988(昭和63)年に亡くなり、ジェスコーポレーション(JES)創業の日からすでに42年もの年月が経過しました。

記憶の風化が進む前に、残された資料と私の記憶の中にある父の話とをつなぎ合わせ、JES創業期の記録を残しておきたいと思います。

これから約30回にわたり、主に最初の10年間(昭和40年代)を中心に、このブログに記していくつもりです。

これは志半ばにして、59歳で病に倒れた父へ捧げる鎮魂歌であり、同時に私自身に対する鎮魂歌であるのかもしれません。

父、丸山藤男はJESの創業前にパンアメリカン航空に9年間勤務していました。3人の募集枠に3,000人が応募するという難関の入社テストに合格し、得意の英語と技術知識を活かし、地上エンジニアとして働いていました。

当時のパンナムは、マネージャー以上がすべてアメリカ人だったため、英会話能力も優れていた父は、やがて労働組合の主要メンバーに選出されます。

そしてアメリカ人役員たちを相手にタフな交渉を繰り広げた結果、相当煙たがられたようですが、本人はそんなことは一向に気にしていませんでした。

なぜならその時にはすでに「ある決心」があったからです。



<丸山藤男(まるやまふじお、1929−1988)>
1983(昭和58)年頃オフィスにて撮影。
父の死後、JESのロゴを藤色に変えた。


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