History
 2006年2月から4月にかけblogで連載したJES Historyの保存版です。
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 第 1回 技術翻訳のパイオニア
 第 2回 パンナムでのランチタイム
 第 3回 50通の葉書と初仕事(その1)
 第 4回 50通の葉書と初仕事(その2)
 第 5回 6畳間からのスタート
 第 6回 タイピストと赤ん坊
 第 7回 羽田空港へ猛ダッシュ
 第 8回 竹内均先生
 第 9回 仕事の安定と営業活動
 第10回 プロは常に基本に返る
 第11回 将来は確実に見えている
 第12回 散歩と草笛
 第13回 心に空虚
 第14回 黙想ノート(その1)
 第15回 黙想ノート(その2)
 第16回 黙想ノート(その3)
 第17回 米国人捕虜と終戦
 第18回 利益と税金
 第19回 福利厚生、横浜市第一号
 第20回 学問に王道なし
 第21回 スペイン語
 第22回 新製品が大好き!
 第23回 商売と山っ気
 第24回 JFK
 第25回 ニクソン・ショック
 第26回 オイル・ショック
 第27回 父からの手紙(その1)
 第28回 父からの手紙(その2)
 第29回 俺は医者になる!
 第30回 この世に人類が存在する限り・・・
(最終回)

2006/02/28

第2回 パンナムでのランチタイム

父はそれまでに幾度となく、ランチタイムにアメリカ人マネージャー達が何かを回覧してクスクス、クスクス笑っている光景を目にしました。回覧物を覗いてみるとそれはたいていの場合、日本語から英語へ翻訳された取扱説明書やパンフレットの類でした。

彼らからみれば吹き出してしまうような英語があまりにも多く記載されていたからです。しかもそれらはどれも日本の一流大企業の製品に添付されている文書ばかりでした。

「おい、今日はこんな面白い表現を見つけたぞ」

「これって英語なの?」

「よくこんなものを印刷して外へ出せるな」

「これで本当に製品が売れると思っているのか?」

「根本的にこれは何を言いたいんだ?」等々。

そこで父は確信したのでした「英語と技術の両方に堪能な翻訳者がいれば、必ず仕事の需要がある。パンナムを辞め、独立して一流の技術翻訳者になろう」。

会社の同僚、友人、親戚たちにその話を相談すると返ってくる答えはすべて同じでした。

「大企業には優秀な人間が沢山いて、英語のできる人間も沢山いる。一時的に翻訳の仕事が来たとしても、そんなものが継続するわけがない」

「君も現在35歳で妻子4人の扶養家族がいるんだろ、独立なんてバカな考えはやめろ、やめろ」

「パンナムみたいな一流企業を辞めてそんな不安定な仕事を始めるなんて馬鹿げている」

「だいたい翻訳で飯食っている人間なんて世の中に一人もいないじゃないか」等々でした。

当時翻訳といえば大学の先生方のアルバイトと、誰もが考えていた時代でした。

ちなみに上記にある扶養家族4人とは、母、姉2人と私の4人のことですが、父が会社を辞めて2年後には私より10歳年下の弟が生まれたので、扶養家族は5人になりました。

また、パンナムはその後1985(昭和60)年に日本市場から撤退し、ユナイテッド航空に吸収されましたが、父がいた当時はまだ誰もがうらやむ一流企業だったのです。

それでも父はパンナムを辞め、技術翻訳業を開始しました。1964(昭和39)年3月のことでした。



<1964(昭和39)年9月 丸山藤男、英検1級合格>
新しい英語の資格試験が実施されたという記事を新聞で発見。早速第2回目の試験を受験し一発合格。


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