History
 2006年2月から4月にかけblogで連載したJES Historyの保存版です。
>HOME  
 第 1回 技術翻訳のパイオニア
 第 2回 パンナムでのランチタイム
 第 3回 50通の葉書と初仕事(その1)
 第 4回 50通の葉書と初仕事(その2)
 第 5回 6畳間からのスタート
 第 6回 タイピストと赤ん坊
 第 7回 羽田空港へ猛ダッシュ
 第 8回 竹内均先生
 第 9回 仕事の安定と営業活動
 第10回 プロは常に基本に返る
 第11回 将来は確実に見えている
 第12回 散歩と草笛
 第13回 心に空虚
 第14回 黙想ノート(その1)
 第15回 黙想ノート(その2)
 第16回 黙想ノート(その3)
 第17回 米国人捕虜と終戦
 第18回 利益と税金
 第19回 福利厚生、横浜市第一号
 第20回 学問に王道なし
 第21回 スペイン語
 第22回 新製品が大好き!
 第23回 商売と山っ気
 第24回 JFK
 第25回 ニクソン・ショック
 第26回 オイル・ショック
 第27回 父からの手紙(その1)
 第28回 父からの手紙(その2)
 第29回 俺は医者になる!
 第30回 この世に人類が存在する限り・・・
(最終回)

2006/03/09

第9回 仕事の安定と営業活動

苦労しながらも仕事量は順調に増えていきました。しかしまだ安定しているという状況でもなかったようで、時々は父自ら方々へ営業活動に出かけていったようです。

1966(昭和41)年9月頃、富士通信機製造(現在の富士通)の川崎工場へ飛び込み営業に行きました。広い工場内には知る人もなく、「さてどこの誰と会えばよいのやら」と工場内をあてもなく歩いていると、一人の男性が向こうから歩いてきます。Y氏でした。

父 :「すみません。技術文書の翻訳発注担当者にお会いしたいのですがどこへ行けばよいのでしょうか?」

Y氏:「技術文書の翻訳発注担当者?もし翻訳を発注するとしたらそれは私ですよ」

ウソのような本当の話です。

広い工場内の沢山の社員の中で、いきなりY氏に出会えたというのはなんという幸運だったのでしょう。

Y氏は富士通研究所の社員で、社内で自らも翻訳をされている方でした。

数十年後、私がY氏にお会いした際にこの話を聞いてみると、Y氏もはっきりと覚えていて、ニコニコしながらその時の状況を話してくれました。

父によるとこの時のY氏の言葉がとても気にいったようです。

「これを試しに翻訳してみてください。うまければお金を払います。下手だったら払いません」。

父は翻訳の実力を試す前に履歴書の吟味ばかりをする大手電機メーカー購買部の発注担当者たちに嫌気がさしていたからでした。

結局そのトライアル翻訳はY氏から絶賛され、手探りで始めた技術翻訳業もようやく事業として軌道に乗り始めます。



<社員旅行で日光へ>
1967(昭和42)年6月頃。創業から3年目。右から2人目が父。


Copyright(C) 1999 JES Corporation. All Rights Reserved.