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技術翻訳 ジェスコーポレーション

JES History

2006年2月から4月にかけblogで連載したJES Historyの保存版です。

第29回 俺は医者になる!
<2006/4/10>
私がジェスコーポレーションに入社して3年後の1984(昭和59)年頃だったと思います。父が突然「医者になる」と言い出しました。

私より10歳年下の弟、哲郎は2歳の時事故で頭を強打し、それ以来てんかんの発作がおこり始めました。

名医と呼ばれる医師のいる大病院をいくつも訪ね歩き、ありとあらゆる治療法を試し、長期・短期の入退院を繰り返しました。

しかし病状は悪化する一方でした。

「溺れるものは藁をもつかむ」で最後は怪しげな祈祷師にまで頼ったのですが、やはりだめでした。

そんな状況の中、ある日突然父が冒頭の言葉を言い出したのです。

「どの医者もまったくあてにならん!横浜市大の医学部で脳神経外科の勉強をして俺がこの手で哲郎を治す」と言い張りました。

父は趣味のためお金を払って予備校の数学の授業を聞きに行くくらい、数学が好きで得意でしたし、理科系の科目も得意でしたから、英語での高得点を考えれば、医学部に合格することは、あながち不可能ではなかったかもしれません。

私の父なら本当にやりぬいてしまう、という”確かな不安”があったため、私は本気で止めました。

「残念だけど今から勉強していたのではとても哲郎には間に合わない。第一そんなことをされたらジェスコーポレーションがつぶれてしまう」と。

激しい発作は1回ごとに弟の脳細胞を蝕んでいたからです。

その時初めて父の涙を見ました。

ところが実はその時すでに、癌細胞が父の身体そのものを蝕んでいたとは、その時の二人は夢にも考えていませんでした。


<私の弟、哲っちゃん>
1982(昭和57)年5月5日撮影