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技術翻訳 ジェスコーポレーション

JES History

2006年2月から4月にかけblogで連載したJES Historyの保存版です。

第13回 心に空虚
<2006/3/15>
自分のやりたい仕事、技術翻訳業を始め、収入も安定し、見通しも明るくなっていきました。正に順風満帆です。

しかし父の心の中にはどうしても満たされない空洞が残っていました。若き日に断念せざるを得なかった大学進学です。

戦争により高校卒業ができなかった父は大検を受け大学受験の資格を取りました。その後長崎にある小さな島で数学の教師補佐をしながらお金を貯めていたのですが、その頃母と出会い21歳で結婚。結婚式で貯金を使い果たしました。

余談ですが私は大学生の頃、その生月(いきつき)と呼ばれる小さな島をひとりで訪れたことがあります。

観光地ではないので定期船がなく、漁師に頼んで船に乗せてもらったのですが、島に下りると明治時代にタイムスリップしたかのような錯覚に陥る場所でした。

丘の上に小さな教会があり見事な大海原が見えました。

若き日の父はこんなところで雌伏していたのかと感慨深いものがありました。

さて、父は1957年(昭和32)年、横浜国立大学工学部二部を受験し学科試験に合格しました。しかし本人の弁によると2次試験の面接で

「28歳で子供が3人もいるのに4年間授業料を払い続けられますか?」

と聞かれ

「正直わかりません」

と答えてしまったため、補欠にまわされ落とされてしまいました。

1967(昭和42)年、神奈川大学第二経済学部貿易学科に入学しました。

ジェスコーポレーションを始めて3年目という超多忙の時期にもかかわらず入学を決意したのですからやはり大学進学への思いは相当強かったのでしょう。

ここで父は38歳にして初めてスペイン語を学び始めます。そしてこのスペイン語が後のジェスコーポレーションを大いに救うことになるのですが、スペイン語に関してはまた後日詳述します。

ともかく父は昼働き、夜学校へ通い、1971(昭和46)年3月無事大学を卒業しました。


<横浜国大からの通知>
1957(昭和32)年4月12日、補欠待機者に対する最終的な不合格通知。
まさにこの1週間前に私が生まれています。
今から思うと私が生まれた頃、父は失意のどん底にいたのでしょうね。