アイルランド(その2)

ギネス・ストアハウス

アイリッシュ・ウイスキーが世界5大ウイスキーのひとつであり、世界的に有名であることは間違いないのですが、アイルランドと言えばやはり「ギネスビール」ですね!

ちなみに麦芽(発芽した大麦・モルト)を醸造したのが「ビール」なら、麦芽を醸造して蒸溜したのが「ウイスキー」です。そのため両者ともアイルランドの大麦が原点という共通点があります。

ギネスビール創業者のアーサー・ギネスは、1759年にダブリンのセント・ジェームズ・ゲート醸造所を年間45ポンドで9,000年間賃貸するという契約を結びました。今から260年も前のことですから、まずはその歴史の長さに驚きます。

ギネスビールの醸造所(ダブリンのセント・ジェームズ・ゲート・醸造所)

そして9,000年契約という正気の沙汰とは思えない年数にも驚かされますが、その後敷地を拡張する際に土地を買収したので、現在この賃貸契約は有効ではないとのことです。

醸造所の入口で記念撮影

ギネスビール醸造所(Guinness Brewery)は、ダブリン市街地に26ヘクタールという広大な敷地を持っていて、これはヨーロッパでも最大の規模だそうです。その敷地内にギネス・ストアハウス(Guinness Storehouse)という地上7階地下2階の建物があり、ギネスビールの歴史や製造工程の説明、歴代の広告、その他様々な展示やアイリッシュ・ダンスなどの催しが行われています。

7階の “GRAVITY BAR”

私たちが行ったときは土曜日でもあり、観光客で大変な混雑ぶりでしたが、入場料を払うとビール1杯無料券がついてくるので、中のレストランでランチを食べながら新鮮なドラフトギネスを堪能することができました。

ランチで食べたキッシュとドラフトギネス

ストアハウス内部

ストアハウス内部

醸造所前ではタクシー代わりに馬車が走ってました

ダブリンでは、1592年にイングランドのエリザベス1世によって創設されたトリニティ・カレッジ(Trinity College)やダブリン城(Dublin Castle)なども行きましたが、やはりダブリン一の繁華街であるテンプル・バー(Temple Bar)で友人たちと飲んだことが一番の思い出となりました。ダブリンは古きヨーロッパの街を彷彿とさせる雰囲気のある街でした。

アイルランド(その1)

アイリッシュ・ウイスキー博物館

私たちはスコットランドのアイラ島を後にして次なる目的地、アイルランドのダブリンへ向かいました。

まずはダブリン市街地にあるアイリッシュ・ウイスキー博物館(Irish Whisky Museum)を訪ね、アイリッシュ・ウイスキーの歴史とその製法や特徴の説明を受けました。

Irish whisky Museum 入口

ウイスキーの発祥の地が、アイルランドなのかスコットランドなのかの論争はいまだ決着がついていないようですが、「ウイスキー」という言葉が最初に文献上に登場したのはアイルランドだったようです。

こんな感じで説明を受けました

かつてアイリッシュ・ウイスキーは、世界のウイスキー生産量の6割を占めるウイスキー大国だったのですが、戦争、ジャガイモ飢饉、政変、アメリカの禁酒法などに翻弄された結果、1980年代には、ミドルトン蒸溜所(The Old Midleton Distillery)とブッシュミルズ蒸溜所(Old Bushmills Distillery)の2つにまで激減してしまいました。

いくつかの部屋をまわって説明を受けました

しかし、その2つの蒸溜所が上質なウイスキー造りを続けたことにより、近年アイリッシュ・ウイスキーの評価が見直され、現在では世界的ブームとなっています。そのため、かつて操業を停止した蒸溜所が次々に復活をとげ、現在では18の蒸溜所が操業し、さらに16の蒸溜所が今後新たに操業を開始する予定になっています。

テイスティングルーム

アイリッシュ・ウイスキーが人気のワケ

アイリッシュ・ウイスキーの最大の特徴はシングルポットスティルにあります。シングルポットスティルとは、大型のポットスティル(単式蒸留器)で3回蒸溜する製造方法のことです。

スコッチ・ウイスキーの場合、モルト・ウイスキーであれば通常2回蒸溜しますが、アイリッシュ・ウイスキーの場合は3回の蒸溜にこだわります。なぜならば、原材料に大麦麦芽、未発芽の大麦、オート麦、小麦、ライ麦などを使用するため、大麦麦芽(モルト)のみの場合よりもクセが強くなるからです。

この時、グレーン・ウイスキーのように連続式蒸溜器を使わずにあくまでも単式蒸溜器を3回使うところにアイリッシュ・ウイスキーのこだわりがあります。なぜならばそれによって、よりまろやかでより心地よい酒質が造れるからです。

テイスティングの説明を受けています

もうひとつアイリッシュ・ウイスキーがスコッチ・ウイスキーと大きく異なる点にピート使用の有無があります。スコッチ・ウイスキーはアイラモルトに代表されるようにピート香を前面に押し出した商品もあり、大部分のブレンデッド・ウイスキーに大なり小なり、ピートを使ったモルトがブレンドされています。

その点、アイリッシュ・ウイスキーの場合はほとんどがノン・ピートのウイスキーです。この辺はスコッチ・ウイスキーを意識したアイルランドの戦略なのかもしれません。ただし、例外としてカネマラ(Connemara)があります。このカネマラだけはアイリッシュ・ウイスキーの中では異色の存在なのですが、ピーテッド・シングルモルトとして人気も上昇中です。

いよいよお待ちかねのテイスティングタイムです

3種類のウイスキーをテイスティングしました

お土産で日本に持ち帰ったミニボトルも含め9種類ほど試飲しましたが、なるほどアイリッシュ・ウイスキーはどれも飲み心地がまろやかで軽快という印象でした。正直今まではスコッチやバーボンにばかり目がいってましたが、これからはもう少しアイリッシュに目を向けてみようと思っています。

<次回へ続く>

アイラ島(その2)

シングルモルト、シングルカスク、カスクストレングス

ウイスキーの話題になると必ずと言ってよいほど出てくる言葉に、シングルモルトがあります。この「モルト」は麦芽(通常は大麦)、「シングル」は「一つの蒸溜所」を意味します。

つまりシングルモルト(Single Malt)とは、「一つの蒸溜所で造られた麦芽を原料としたウイスキー」のことを意味します。したがって複数の蒸溜所で造られたモルトウイスキーをブレンドした場合は、シングルモルトとは呼びません。

また、シングルカスク(Single Cask)という言葉も聞いたことがあるかもしれません。「カスク」とは樽のことなので「一つの樽から取り出されてボトル詰めされたウイスキー」という意味になります。

さらにカスクストレングス(Cask Strength)という言葉も聞いたことがあるかもしれません。「ストレングス」とは強さ、つまりアルコール度数の強さを意味します。したがって樽から取り出したウイスキーに加水することなく、樽から出したままのアルコール度数でボトル詰めされたウイスキーということになります。

まさに「何も足さない、何も引かない」状態なので、通常50度~60度という高いアルコール度数になります。ウイスキーファンにとってはあこがれの「至極の一杯」となります。

シングルモルトのシングルカスクのカスクストレングスをボトル詰め(ラフロイグ蒸溜所)

さて、私たち大学時代の友人3人は「死ぬまでにできる限り多くの世界の蒸溜所と醸造所を訪ねてみたい」という共通の夢を持っています。その夢を叶えるべく遠路はるばるアイラ島までやってきて、あこがれのカスクストレングスのボトル詰めを実現しました。

蒸溜所の見学ツアーのあとお待ちかねのテイスティング・タイムとなるわけですが、その時はガイドの女性に倉庫の中へ案内され、3つのカスク(樽)をテイスティングさせてもらいました。

そして3つの中から自分の気に入ったウイスキーを選び、樽の中に巨大なスポイトのようなものを差し込んでコップに注ぎ、コップから所定のボトルへ移し替えるのです。

移し替えた LAPHROAIG のビンが下記の写真です。Cask No. 51、樽詰めされた年:2005年、アルコール度数:55.1%、容量:250ml、ボトルNo.22というように自分でタグに書き込みしました。現在自宅の自分の机の上に置いてあるのですが、時々あの時を思い出しながらチビリチビリとスモーキーな深いコクを楽しんでいます。

樽から直接ボトル詰めしたカスクストレングス ラフロイグ14年 アルコール度数55.1%

ブナハーブンのハンドフィルボトル

上記のラフロイグ(LAPHROAIG)蒸溜所では、樽から直接自分の手でボトル詰めしたわけですから、まさにそれはハンドフィルボトルということになります。しかし、直接自分の手で「ハンドフィル」しなくても、現地の蒸溜所限定で販売されているボトルのことを指す場合もあるようです。

いずれにせよ、わざわざ蒸溜所まで足を運んで、テイスティングしてから購入するような人たちが対象なので、かなり出来の良いカスク(樽)が厳選されていると聞いています。また、一つのカスクがなくなってから、別のカスクを空けるわけですから、蒸溜所へ行った人だけが、その時だけの限定品を買えるという魅力もあります。

さて、私たちはブナハーブン(BUNNAHABHAIN)でも蒸溜所の見学ツアーに参加し、最後に蒸溜所のショップで数種類のテイスティングをさせてもらい Hand-Filled Exclusive のボトルを購入しました。

私が購入したのは下記の2本です。ひとつは16年モノでアルコール度数が55.4%、もうひとつは12年モノでアルコール度数が60.4%です。

両者ともアルコール度数は高いのですが、口当たりの柔らかな飲みやすいモルトウイスキーです。なぜならブナハーブンはピート(泥炭)をほとんど炊かずに造られているため、アイラモルトの中では異色の存在で、スモーキーさは控えめでクセの少ない「最も飲みやすいアイラ」と言われているからです。

そう言った意味では、最初に紹介したラフロイグはピート香の強い、典型的なアイラモルトですが、対照的な存在としてブナハーブンがあり、その両方の「ハンドフィルボトル」を自宅で味わえるというのはとても幸せなことです。

カスクストレングス ブナハーブン16年 アルコール度数55.4%

カスクストレングス ブナハーブン12年 アルコール度数60.4%

アイラ島(その1)

遅い夏休みを利用して、大学時代の友人たちと3人でスコットランドのアイラ島とアイルランドのダブリンへ行きました。目的はもちろんウイスキーとギネスビールの本場を訪ねることです。

4年前にも3人でスコットランドのハイランド地方を訪ねたことがあるのですが、その時は聖地とも言えるアイラ島へ行くことができませんでした。

そのため今回のスコットランドの旅はアイラ島の蒸溜所だけを目的に向かいました。と言っても、東京⇒ロンドン⇒グラスゴー⇒アイラ島と3本の飛行機を乗り継ぐことになるので、やはりアイラは遠い場所です。

スコッチウイスキーの6つの地域

スコッチ・ウイスキーの生産地は、スペイサイド(Speyside)、ハイランド(Highland)、アイラ(Islay)、ローランド(Lowland)、キャンベルタウン(Campbeltown)、アイランド(Island)と言う6つの地域に区分けされています。そしてそれぞれの地域で、それぞれの特徴を活かしたウイスキーが造られています。

なかでもアイラのウイスキーは非常に個性的な特徴を持っています。潮風と独特なピート(Peat)の香りが造り出すスモーキーな味わいは実に強烈で「ヨード臭がする」とか「正露丸みたい」と敬遠する人も少なくありません。しかし、ひとたびその個性にはまってしまうと「やみつき」になってしまうほど、奥底に不思議な魅力を秘めています。

アイラ島は独特の自然を持つ島

川の水もピートの色をしています

なぜアイラのウイスキーはそんなにも個性的なのでしょうか?

その答えはアイラ島の気候風土そのものにあります。アイラに木はほとんどなく島全体が草原と岩に覆われているのですが、その草が潮風にあたりながら、また大昔の地層内に含まれる海藻などが何億年もの時を経てピートと呼ばれる泥炭(でいたん)に変化していきます。

泥炭とは石炭になる前のドロ状の炭のことで、乾かせば暖房などの燃料としても使うことができます。そしてアイラは島の多くがそのピートで出来ているのです。

ウイスキーには大麦麦芽を水につけ発芽させ、その後乾燥させるという工程があるのですが、アイラではその乾燥工程においてピートを使い煙で燻します。

したがって、アイラモルトのあの強烈で個性的な香りと風味は、ピートによる乾燥工程により生み出されているというわけです。

大麦の発芽床(ラフロイグ蒸溜所にて)

ピート炉の説明をしてくれるガイドの女性
(ラフロイグ蒸溜所にて)

アイラ島の9つの蒸溜所

アイラ島に9つある蒸溜所のすべてを訪問しました。

1. ボウモア(BOWMORE)
2. ブルックラディ(BRUICHLADDICH)
3. キルホーマン(KILCHOMAN)
4. アードナホー(ARDNAHOE)
5. ブナハーブン(BUNNAHABHAIN)
6. カリラ(CAOL ILA)
7. ラフロイグ(LAPHROAIG)
8. アードベッグ(ARDBEG)
9. ラガヴーリン(LAGAVULIN)

「9つの蒸溜所」と聞くと、「アイラ島の蒸溜所は8つでしょ?」と思う人もいるでしょうが、実は9つあるのです。今年の4月にオープンしたばかりの「アードナホー」という出来立てほやほやの蒸溜所も訪ねました。

蒸溜所の説明をしてくれたガイドの女性(ボウモア蒸溜所)

私が生まれた年(1957年)に造られたBOWMORE、確か1,200万円と記憶(ボウモア蒸溜所にて)

念願だったアイラ島で牡蠣にボウモア!(BOWMOREレストラン)

ブルックラディ蒸溜所にて

ンチでアイラエール(キルホーマン蒸溜所にて)

今年4月にオープンしたアードナホー蒸溜所は大樽の木がまだ若い

ポットスティル(ブナハーブン蒸溜所にて)

カリラ蒸溜所にて

地元のバーで4種類のシングルモルトを飲み比べ

ラフロイグ蒸溜所にて

ポットスティルの前で(ラフロイグ蒸溜所)

アードベッグ蒸溜所にて

5種類を試飲。なんと23年モノを飲ませてくれました(アードベッグ蒸溜所にて)

ラガヴーリン蒸溜所にて

<次回へ続く>

ラグビーワールドカップの経済効果

劇的な日本の逆転勝利

いやあ、しびれました!!ラグビーワールドカップ2019、日本は第2戦で世界ランキング2位の優勝候補アイルランドに勝利しました。初戦のロシア戦に続いて2連勝とし、現在プールAの首位に立っています。

アイルランドはここ最近で2回、あのラグビー王国ニュージーランドに勝っている国です。そのアイルランドを降したわけですから、日本の悲願である決勝トーナメント進出(ベスト8)ばかりか、準決勝や決勝進出までをも欲張りたくなるような一戦でした。

と言いながらも、私も年に一度ラグビー早明戦を観戦に行く程度の「なんちゃってラグビーファン」なので正直詳しいことはなにもわかっていません(笑)。高校時代の体育の授業でラグビーを多少かじったのですが、その後激しくルール変更がされたこともあり、ますますわからなくなりました。だいたい私たちが体育の授業で習っていたころは、トライは5点ではなく4点でしたし、ラインアウトで人を持ち上げるようなこともありませんでした。

<日本 対 アイルランド> 日本勝利まで残り30秒

果たしてその経済効果は?

公益財団法人ラグビーワールドカップ2019組織員会は、監査法人の協力のもと今回のラグビーワールドカップの日本国内への経済効果を下記のように試算しています。

・ 経済波及効果 4,372億円
・ GDP増加分 2,166億円
・ 税収拡大効果 216億円
・ 訪日観光客 40万人

しかし当初監査法人がこの試算をした時は、正直日本が優勝候補のアイルランドに勝つとは想定していなかったのではないでしょうか?日本がプール戦(予選リーグ)を突破し、決勝トーナメントで南アフリカかニュージーランドに勝てば、ベスト4に進出することになります。そうなれば日本は勝てば決勝戦、負けても3位決定戦を行うので最後の最後まで日本中が盛り上がることでしょう。しかも決勝トーナメントは全て土日(3位決定戦のみ金曜の夜)なので、最高潮の盛り上がりを見せるはずです。そうなれば経済効果は計り知れないほど上昇すると思います。

ところで、このラグビーのワールドカップで優勝すると賞金をいくらもらえるかご存知ですか?

答えは0円、つまり「なし」です。ラグビーワードカップに賞金はありません。あるのは名誉のみとなります。

ちなみに2018年にロシアで行われたサッカーのワールドカップでは、FIFA(国際サッカー連盟)から下記の賞金が出たそうです。

・ 優勝国   3,800万ドル(約43億円)
・ 準優勝国  2,800万ドル(約32億円)
・ 3位     2,400万ドル(約27億円)
・ 4位     2,200万ドル(約25億円)
・ ベスト8   1,600万ドル(約18億円)
・ ベスト16   1,200万ドル(約14億円)
・ 17位~32位  800万ドル(約 9億円)

さらに、全32出場国に大会準備金150万ドルが支払われるため、出場国は最低でも950万ドル(約11億円)の分配金が保証されています。そのため賞金+分配金の総額は、4億4,800万ドル(約506億円)となっています。

ラグビーとサッカーの違い、あまりにも大きいですね!

<日本 対 アイルランド> 日本勝利の瞬間!!

訪日外国人の増加を実感

さて、最初に話題にした日本対アイルランドは第2戦でしたが、その8日前に行われたロシアとの開幕戦でも、日本はみごとにロシアを降し、ボーナスポイント1を加えた勝ち点5をゲットしました。

私はその試合を大学時代の友人たちと横浜関内にあるアイリッシュパブで観戦したのですが、結構広いそのスポーツパブは、外国人が3分の2、日本人が3分の1という感じでまさにアウェイ状態でした(笑)。

大勢のアイルランド人に加え、スコットランド人、ロシア人、日本人が店全体で応援して、日本の大勝に大いに盛り上がりました(もちろんロシア人はロシアを応援していましたが・・・)。

<日本 対 ロシア> 日本勝利の瞬間!!関内のスポーツバーはなぜがほとんどアイルランド状態でした(笑)。

ラグビーファンはサッカーファンの6倍ビールを飲むそうですが、そういえば彼らもたくさんビールを飲んでいました。ラグビーは上流・中流階級のスポーツだと聞いていますが、まわりのおじさん、おばさんたちもこころなしかなんとなく品が良いように感じました(笑)。いずれにせよラグビーワールドカップによるインバウンド効果を肌で実感できた夜でした。ニッポン頑張れ!!

現代中国語の7割は日本語?

中国の現代生活に欠かせない基本概念の多くは日本語

ある中国語の翻訳者から「医学・薬学の日中翻訳はやりやすい、なぜなら専門用語の9割は日本語だから」と聞いたことがあります。

明治時代に西洋医学をいち早く取り入れた日本の知識人たちが、数多くの専門用語を漢字で創作したからです。

たとえば、下記のように。
diabetes(英語) ⇒ 糖尿病(日本語) ⇒ 糖尿病(中国語)
pneumonia(英語) ⇒肺炎(日本語)⇒肺炎(中国語)

しかしながら、実際には医薬の専門用語のみならず、現在の中国人が日常的に使用している中国語のなかにかなり高い割合で日本語が使われているようです。

そのような中国語になった日本語の数は1,000語ほどのようですが、とても使用頻度の高い語彙が数多く含まれているため、それらを使わずには会話が成り立たないほどの存在感があるようです。もっとも当の中国人がそのような事実を知らず日常的にそれらの言葉を使っているようですが。

さて、南京大学文学部教授の王彬彬氏(1962年~、肩書は当時)の「中国語の中に非常に多い“日本語外来語”」という論文に下記のような一節があります。この方は、中国の近現代史、文化批評、文化史を主に研究されている学者です。

「現代中国語の中の“日本語外来語”は、驚くほどの数がある。統計によれば、わたしたちが現在使用している社会・人文科学方面の名詞・用語において、実に70%が日本から輸入したものである。これらはみな、日本人が西洋の相応する語句を翻訳したもので、中国に伝来後、中国語の中にしっかりと根を下ろしたのである。わたしたちは毎日、東洋のやり方で西洋の概念を論じ、考え、話しているのだが、その大部分が日本人によってもたらされたものである。(中略)最後にわたしは言いたい。わたしたちが使用している西洋の概念について、基本的には日本人がわたしたちに替わって翻訳したものであり、中国と西洋の間には、永遠に日本というものが挟まっているのである。」(日本語訳:松永英明氏)

また、上海外国語大学日本語学部教授の陳生保氏(1936年~、肩書は当時)の「中国語の中の日本語」という論文の中にも下記のような一節があります。

共産党、幹部、指導、社会主義、市場、経済という文は、 すべて日本製漢語語彙でできているといったら、 これらの語彙をさかんに使っている普通の中国人は信じかねるだろうし、 これらの語彙の原産地の日本人も、 たぶん半信半疑だろうが、 しかし、 それは事実である。(中略)日本語来源の語彙のほとんどは現代生活に欠かせない基本的概念であり、使用頻度の高いものであり、しかも造語力のあるものが多い、ということを考えると、現代中国語における日本来源語の影響が非常に大きいといわねばならない。

西洋文明を漢字化した日本人

日本では江戸時代末期以降、西洋から多くの思想、学問を導入し、西洋の知的抽象語を既存の日本の概念に置き換えるのではなく、漢字を使ったまったく新しい言葉に置き換えました。

そして20世紀初頭、日清戦争で日本に負けた清国は遅れを取り戻すべく、合計61,230名という数多くの留学生を日本へ送り、多数の日本の書物を中国語へ翻訳しました。あの有名な魯迅もその中の一人です。それらの留学生が日本で生まれた新しい言葉を中国へ伝え、それが現代の中国に今でも脈々と受け継がれているのです。

たとえば下記はそのほんの一例です(Wiktionary 和製漢語より)

暗示、意識、遺伝、入口、右翼、運動、栄養、演出、演説、鉛筆、温度、階級、会計、概算、回収、会談、概念、解放、科学、活躍、化膿、環境、関係、間接、簡単、幹部、議員、議院、議会、企業、喜劇、気質、基準、規則、基地、規範、義務、共産主義、協定、業務、教養、共和国、記録、金額、銀行、金融、空間、偶然、組合、軍国主義、計画、計器、景気、経験、経済、経済恐慌、警察、芸術、系統、経費、劇場、化粧品、決算、権威、現役、現金、原作、現実、現象、原則、建築、原理、講演、効果、抗議、工業、広告、講座、交際、光線、交通、肯定、公認、高利貸、効率、小型、国際、克服、故障、固定、債券、財閥、債務、作者、作家、雑誌、左翼、紫外線、時間、茂樹、施行、施工、市場、指数、思想、実感、実業、失効、実績、質量、失恋、指導、支配、資本、社会、自由、宗教、集団、終点、就任、主観、出発点、出版、蒸気、乗客、商業、証券、条件、常識、承認、消費、情報、私立、資料、進化、人権、信託、新聞記者、人民、信用、心理学、侵略、制限、政策、清算、生産、精神、性能、積極、絶対、接吻、繊維、選挙、宣伝、総合、想像、速度、体育、退化、大気、代議士、対局、対象、体操、代表、立場、棚卸、単位、探検、単純、蛋白質、知識、抽象、直接、定義、出口、哲学、電子、電車、伝染病、電波、電報、展覧会、電流、電話、動員、投資、独裁、図書館、内閣、内容、日程、任命、熱帯、年度、能率、背景、派遣、覇権、場所、発明、反響、反射、反対、反応、悲観、悲劇、美術、必要、否定、否認、批評、備品、評価、標語、広場、舞台、物質、物理学、不動産、文化、文学、分子、分析、分配、文明、方案、方式、放射、方針、法人、法則、方程式、法律、保険、母校、保障、本質、漫画、蜜月、密度、民族、民放、無産階級、明確、目的、目標、唯物論、輸出、要素、拉致、理想、理念、了解、領海、領空、領土、理論、倫理学、類型、冷戦、歴史、労働組合、労働者、論理学

漢字の知的財産権は?

中国においても西洋の概念を中国の既存の概念に置き換えようと試みた時期があったようです。しかし、日本人の作った漢字の造語の方が色々な意味で分かりやすく心地よかったのでしょう。

「中華人民共和国」という国名のうち、「人民」と「共和国」は日本で生まれた言葉だと知っている中国人はどれほどいるでしょうか?実際、日本から輸入された言葉を使わなければ、毛沢東の「毛沢東語録」は存在し得なかったでしょう。

ある時、日本の知的財産権を侵害する中国に憤りを感じた日本人が「中国は日本に知的財産の対価を支払うべきだ」と言ったところ「それならば日本は中国に漢字の使用料を払え」と言い返されたそうです。

しかし、現代中国語の7割が日本から輸入された言葉だと知れば、少なくとも漢字の使用料に関しては、平和裏に「フィフティー・フィフティーでよろしいのでは」ということになるのではないでしょうか。

デジャヴ体験と超能力

若いころに多くの人が体験するデジャヴ

フランス語のデジャヴ(déjà vu)は、「既視感」と翻訳され、今では広く知られた言葉になっています。その意味は、初めて見るものなのになぜか過去に見たことがあると感じてしまう不思議な「体験」のことだと私は理解しています。

皆さんも過去に1度や2度ならず、何度もそのような経験をしたことがあるのではないでしょうか?特に若いころに。

なぜ「若いころ」なのかと言うと、かつて読んだ本のなかに確かデジャヴ体験は、若いころに頻繁に経験し、年とともにだんだんと少なくなっていき、いずれまったく感じなくなってしまうと書いてあったからです。実際私自身がそうでした。

なかでも私が経験した最も強烈なデジャヴ体験は、高校2年生(17歳)の夏休み、北海道旅行をしていた時のことでした。テントを背負って、一人勝手気ままに広い北海道を回遊していた時、気まぐれに富良野駅(45年前の話なので記憶は不確かですが)に降りてみました。

広い道路には、人影も車も見えず、行く当てもなく一人ぶらぶらと歩いていると、目の前にのんびりとした田舎の街並みが見えてきました。そしてふと「この光景、以前どこかで見たことがある」と感じたのです。

しかし、私がその光景をそれ以前に見たはずがありません。なぜなら私はその時生まれて初めて北海道へ行ったのですから。

そのため「これは単なる気のせいだ」と考え直し、さらにまっすぐ歩き続けました。しばらく行くと今度は数百メートル先に突き当りのT字路が見えてきました。

「この光景は確かに以前見たことがある。確か、あのT字路を右に曲がり、しばらく行くと右手に大きな郵便局があるはずだ」と感じました。しかも、かなり具体的な郵便局の外観イメージが頭の中に湧いてきたのです。

「そんな馬鹿な!生まれて初めてこの土地に来たのにそんなはずがない」・・・・そう心の中で呟きながら、T字路を右に曲がり、直進し・・・絶句して立ち止まりました。

私がイメージした通りの郵便局が右手に見えたのです。

「俺には予知能力があるのか?」・・・真剣に考え、真剣に心躍らせました・・・、が、残念ながらその予知能力は、その後再び現れることもなく現在に至っています(笑)。

鎌倉時代の徒然草にデジャヴ体験!

さて、その夏からしばらくして高校の古文の授業で吉田兼好(1,283年~1,352年)の徒然草に出会い、すっかりそのファンになってしまいました。

そして驚くことに徒然草に今でいう「デジャヴ体験」の記述があることを知り、またまた驚きました。

下記は徒然草71段の原文とそれを現代語に私なりに訳したものです。

<徒然草 第71段 原文>
また、如何なる折ぞ、ただ今、人の言ふ事も、目に見ゆる物も、我が心の中に、かかる事のいつぞやありしかと覚えて、いつとは思ひ出でねども、まさしくありし心地のするは、我ばかりかく思ふにや。

<現代語訳>
また、今自分の目の前で人が話したことを以前どこかで聞いたことがあるとか、今目の前に見えているものが、以前どこかで見たことがある、などとふとした瞬間に感じることがある。それがいつのことなのかは思い出せないのだが、まちがいなく過去に同じ経験をしているなどと感じてしまうのは私だけだろうか。

700年近くも前に書かれた徒然草にそのような不思議体験が記述されていることや、20世紀初めにデジャヴという言葉を提唱した学者がフランス人だったということを考えあわせれば、まさにデジャヴは古今東西に存在する超常現象と言ってよいでしょう。

動物の予知能力

デジャヴに関連あるかどうかはわかりませんが、未だに科学の力で解明できない動物の不思議能力のひとつに「地震予知能力」があります。

昔私がスキューバーダイビングをやっていたころの話ですから、今から35年くらい前の話ですが、あるインストラクターから不思議な話を聞いたことがあります。

その人がいつものように伊豆沖でダイビングの練習をしていたとき、いつもたくさんいる魚がその時はまったく見えなかったそうです。

海はとても穏やかだったので、「不思議だな」と思ったそうですが、その直後伊豆近海で大きな地震が発生しました。やはり魚たちは地震を予知してどこかに避難していたのでしょう。

そのほかにも山火事が起こる前に山から大挙して逃げ出す野生の動物たちの話や、もっと不思議なのは、沈没する船から事前にねずみが逃げ出していた、などという大昔の都市伝説のような話も聞いたことがあります。

どのくらいの確率でそれが当たっているのかはわかりませんが、まったく根拠がない話とも思えません。人間の赤ん坊や子供はより動物に近いので、なんらかの野生の能力が残っているのかもしれません。

人間の超能力

草食動物は、生後1~2時間たらずで自力で立ち上がることができます。アフリカのウシ科に属するヌーなどは、生後15分で立ち上がり、1時間後には母親と一緒のスピードで走り出すそうです。

人間の赤ん坊が生まれて15分後に立ち上がり、1時間後に大人と一緒に全力疾走で病院から逃げていった・・・なんて考えられませんね(笑)。

同様にスズメは生後10日~2週間で、巣から飛び立ち大空を羽ばたきます。飛び方は誰に教わるでもなく生まれながらに備わっています。

生後すぐに走ったり、飛んだりできる動物や鳥たちに比べ、人間の赤ん坊はどうでしょうか?大人と一緒に行動できるようになるまでには、少なくとも十数年は必要でしょう。

このように体力的には愚鈍な人間の赤ん坊ですが、代わりに特殊な能力が授けられています。それが「言葉」の理解力です。

人間の赤ん坊はつぶらな瞳でじっと人の話を聞いているだけですが、あるとき堰を切ったように言葉を話しだします。ただ聞いているだけで何ヶ国語もの言語を理解し、自在に操ることができるようになります。

赤ん坊はまさに語学の天才ですが、これこそが人類に与えられた特殊能力であり、他の動物たちから見れば、恐るべき人間の持つ「超能力」なのかもしれません。

逆に野生動物だけが持つ特殊な予知能力が、なにかの拍子に人間に蘇る、なんてミステリー小説のような出来事が絶対に起こらないとは言い切れないかもしれません。

宇宙ビジネスは拡大が続く

宇宙に刻む「新たな一歩」

アメリカのアポロ11号が月面に着陸し、人類が初めて月に降り立ったのが、今からちょうど50年前の1969年7月のことでした。

私が小学校6年生の時にテレビで見た「人類月に立つ」瞬間の興奮が今でも忘れられません。

そして2017年12月、アメリカのトランプ大統領は、有人月面探査や火星などをターゲットにした宇宙探査ミッションの大統領令に署名しました。宇宙開発においてもロシアや中国に決して遅れをとってはならない、というこれもある意味ではアメリカファーストのひとつなのかもしれません。

さて、それを受け2019年5月には、米国航空宇宙局(NASA)が、2024年までに男女2人の宇宙飛行士を月へ送るアルテミス計画を発表しました。これが実現すれば、初めて女性が月に降り立つことになります。

今後はアメリカを中心に民間企業を含めた宇宙関連ビジネスが活発化することは必至でしょう。

ところで私の書棚に1969年に発行されたLIFE誌の “SPECIAL EDITION” があります。父の遺品ですが、B4より若干大きなサイズなので、見開きでB3サイズという迫力ある写真満載の雑誌です。

料金が、”$1.00″ と書いてあります。当時は1ドルが360円だったので、今の物価水準になおせば3,600円くらいでしょうか。あくまでも米国内での料金なので、日本に輸入したときの値段は当然もっと高くなっていたことでしょう。

全部で92ページもあるそこそこ分厚い雑誌ですが、雑誌内に広告がひとつもありません。 “SPECIAL EDITION” だからかどうかはわかりませんが、広告だらけの現在の雑誌と比べれば、その違いに驚きます。「人類が初めて月に立つ」という偉大な瞬間を記した書物なので、永久保存版としてその内容に敬意を表して一切の広告を排除したのでしょうか?もしそうだとしたらその雑誌社の姿勢に私の方から敬意を表します。

さて、一昨日の日本経済新聞の記事で宇宙ビジネスに関するとても興味深い記事が出ていたので、下記にご紹介させていただきます。

2019年7月9日 日経新聞朝刊より

「5月に観測ロケットの宇宙までの打ち上げに成功したインターステラテクノロジズ(IST、北海道大樹町)が、13日にも再びロケットを打ち上げる。同社はわずか23人の技術者集団。ネット通販も使いながらコスト削減を徹底し、打ち上げ費用を従来の6分の1程度にするめどをつけた。価格破壊でロケットの世界に風穴を開けつつある。(中略)

世界では民間が主導し宇宙ビジネスは拡大が続く。宇宙関連NPOの米スペースファンデーションによれば、17年の市場規模は3835億ドル(約41兆円)と12年比で4割増えた。40年に1兆ドルを超えるとの予測もある。(中略)

ロケットの価格競争で宇宙輸送のハードルが下がれば、衛星データの販売や宇宙資源の開発などの可能性は広がり、日本勢の参入への期待も大きい。(後略)」

(記事の引用はここまで)

ホリエモンの会社

インターステラテクノロジズと言えば、ホリエモンこと堀江貴文氏が出資するロケット開発で有名な宇宙ビジネスベンチャーです。その堀江氏が、かつてある番組のインタビューで以下のような話をしていました。

ロケットは工業製品なので量産すれば安くなる。だからたくさん打ち上げれば安くなるという非常に簡単な話。ロシアのソユーズなんて1960年代の技術を使って、一人70億円の料金をとって宇宙旅行ビジネスをしている。しかし、その時代から相当な技術革新がされているので、ロケットに必要な部品も今ではかなり安くなっている。

一番わかりやすいのはコンピューターやセンサーの類でものすごく安くなっている。実はスマートフォンの中に入っているコンピューターやセンサーで問題なくロケットを制御できる。アビオニクス(航空機等に搭載される電子機器)系の部品もどんどん安くなっていて、素材技術もどんどん向上している。

国がロケット開発をやるとなにがまずいって、国は無駄に高い技術を使おうとする。なぜなら最先端の技術じゃないと予算がおりないからだ。かつて『2番じゃだめなんですか?』って言った人がいたが、あれはまさに核心をついている。国がやる科学技術って1番じゃないと予算がつかない。僕たちはジェネリック薬品的な、もう特許が切れた、枯れた、安い技術を使って性能の低いロケットを作っている。

国が作っているのがF1マシンのスーパーカーだとしたら、僕らが作っているのは(原付バイクの)スーパーカブだ。人が乗って走れればそれでいい。安くてしょぼくてもそれで十分使える。」

さすがホリエモン、目のつけどころが違いますね。これからの展開が本当に楽しみです。ぜひこのビジネスを成功させ、近い将来、日本中が宇宙関連ビジネスで湧きかえるようになってほしいものです。

食料の安全性について

フランスのドキュメンタリー映画「モンサントの不自然な食べもの」とアメリカのドキュメンタリー映画「フード・インク “Food, Inc,” 」を観ました。両映画とも公開年は2008年ですが、その内容は全世界に衝撃を与えるものでした。

そこで改めて自分なりに「遺伝子組み換え作物」や「モンサント社」や「家畜用肥育ホルモン」を調べてみました。

遺伝子組み換え作物

遺伝子組み換え作物には「除草剤耐性品種」と「害虫抵抗性品種」およびその両方を組み合わせた「スタック品種」の3種類があります。

◆除草剤耐性品種
アメリカのモンサント社(Monsanto)が開発したラウンドアップ(Roundup)という除草剤を広大な農場に散布すると、雑草などの植物は全て枯れ死しますが、遺伝子を組み換えられた大豆やトウモロコシなどの農作物は育ちます。

これはラウンドアップに耐性のある土中バクテリアの遺伝子をトウモロコシや大豆の遺伝子の中に組み入れているからです。この人為的な操作による遺伝子の変化は、自然交配では起こりえないことと言われています。

◆害虫抵抗性品種
同じくモンサント社により開発されたあるトウモロコシの品種は害虫被害を受けません。ヨーロッパアワノメイガというトウモロコシを食い荒らす蛾の幼虫を殺す細菌 Bt (Bacillus thuringiensis) から取り出した遺伝子物質を含んでいるからです。この人為的な操作による遺伝子の変化もまた、自然交配では起こりえないことと言われています。

「スーパーに行って棚を見渡すと90%の製品に遺伝子組み換えコーンか遺伝子組み換え大豆成分が含まれている。たいていはその両方だ。ケチャップ、チーズ、乾電池、ピーナッツバター、スナック菓子、ドレッシング、ダイエット甘味料、シロップ、ジュース、粉末ジュース、オムツ、鎮痛剤、ファーストフード・・・・」(映画 “Food, Inc.”より)

モンサント社

モンサント社は2018年6月にドイツのバイエル社に買収され「モンサント」の企業名は現在では消滅しましたが、「遺伝子組み換え作物」以外でもいろいろと世間を騒がせています。

◆PCB(ポリ塩化ビフェニール)
「電気器具の冷却剤や潤滑油として使われていたPCBは50年以上にわたりモンサント社の主力商品でした。しかし人体に有害であることが明らかになり、欧米では1980年代初めに製造販売が禁止されました。

2001年、アラバマ州アニストンの住民2万人がモンサント社を相手取り2件の訴訟を起こし、結局モンサント社と子会社のソルシア社は7億ドルを支払うことで和解しました。2002年、ワシントンポスト紙は『モンサント社 環境汚染を数十年間隠ぺい』と報道しました(映画『モンサントの不自然な食べもの』より)」。

日本においてもPCBはその毒性(ダイオキシン、発がん性物質など)により1975年に製造、輸入が禁止されています。

枯葉剤
ベトナム戦争時、アメリカ軍は、猛毒のダイオキシンを含む大量の除草剤(枯葉剤)をベトナムの森にばら撒きました。ジャングルに隠れるベトコンのゲリラに手を焼いたアメリカ軍は、森を枯らして空からゲリラを発見しようと考えたからです。

ベトナム政府の発表によると、これにより300万人のベトナム人が枯葉剤にさらされ、奇形児等の深刻な健康被害に苦しむ人々がいまだに増え続けているそうです。現在では、この猛毒のダイオキシンがガンや重度の遺伝的機能不全を引き起こすことが明らかになっています。

モンサント社はこの枯葉剤を製造していた企業の中の1社です。1984年、アメリカのベトナム帰還兵4万人に集団訴訟を起こされ、モンサントを含む化学メーカー7社が1億8,000万ドルを支払うことで和解が成立しました。

◆データの捏造
1949年、アメリカのウエストバージニア州で、強力な除草剤2,4,5Tを製造するモンサント社の工場で爆発があり、従業員228人に塩素挫創と呼ばれる皮膚の疾患が発症しました。原因は、除草剤を製造する時に生成される、猛毒のダイオキシンでした。

モンサント社は工場爆発事故で、ダイオキシンを浴びた従業員と浴びなかった従業員では、ガン発症率に違いはなかったとする研究結果を裁判所に提出しました。しかし、この研究結果については、1990年代になって、データの捏造があったことが判明しています(映画『モンサントの不自然な食べもの』より)」。

家畜用肥育ホルモンと遺伝子組み換え飼料

アメリカでは、遺伝子組み換え作物を牛、豚、鶏、養殖魚に飼料として与えるばかりでなく、その成長を早めるため肥育ホルモンが使われています。

◆鶏肥育ホルモン
「全米の食肉業界を支配しているのはわずか3~4社。これほど巨大で強大な企業はかつて存在しなかった。たとえばタイソン社は史上最大の精肉会社。養鶏を根底から変えた企業だ。

ヒナは50年前の半分の日数で育つ。だが大きさは2倍。消費者は胸肉を好む。だから胸の大きな鶏を作る」(映画 “Food, Inc.”より)

映画 “Food, Inc.”より

「これは養鶏じゃない。工場で作られる製品と同じよ。ヒナから7週間で2.5キロの成鶏に育つの。骨や内臓は急激な成長に耐えられない。ほとんどの鶏は数歩 歩くと倒れてしまう。自分の体重を支えきれないからよ。

飼料に抗生物質を混ぜるから、当然鶏の体内に入る。細菌は抵抗力を増し、抗生物質が効かなくなる。私は抗生物質のアレルギーになったわ」(キャロル・モリソン氏、米国の大手精肉会社の契約養鶏業者:映画 “Food, Inc.”より)

◆牛肥育ホルモン
「肥育ホルモンを投与した米国産牛は、およそ20カ月齢のメスで400~450キロの枝肉重量があるのに対し、投与しない日本国産牛は29カ月齢くらいまで太らせてやっと450キロ程度になる(米国産牛肉、『肥育ホルモン』の衝撃的な実態:山本謙治氏著)より

誕生から出荷までの期間が約3分の2に縮まるわけですから、牛肉生産者にとってはとてもありがたい話です。ちなみに「枝肉」とは、皮と内臓を取り出し、脊柱の中央に沿って切断されたものだそうです。

しかし、次のような指摘もありました。
「米国産牛と日本国産牛のホルモン残留濃度を計測すると、米国産牛は日本国産牛に対して、赤身で600倍、脂肪で140倍のホルモン残留が検出された」(前出のサイトより)

◆O-157
「遺伝子組み換えトウモロコシで安価な飼料ができたおかげで、現在コーンは家畜飼料の主原料となっている。おまけに良く太る。しかし、牛はもともとコーンを食べるようにはできていない。草を食べる動物だ。

牛の第一胃には、無数のバクテリアがいる。動物は草を消化するように進化した。研究によればコーンの多い飼料を続けると大腸菌が耐酸性を持つようになり、より危険な大腸菌に変わる。コーン飼料によって普通の大腸菌が進化し、突然変異を起こした。そして大腸菌O-157という株が登場した」(アイオワ州立大学の反芻動物栄養学専門家、A・トランクル氏:映画 “Food, Inc.”より)

農林水産省のデータによると2014年の日本の飼料の自給率は27%となっています。そのため73%が輸入飼料ということになりますが、その大部分は、アメリカ、ブラジル、アルゼンチンなどの遺伝子組み換え飼料生産国です。

また、肥育ホルモンについては、やはり農林水産省のHPによれば、日本国内では、承認されていないため使用されていないとのことです。

米中貿易戦争と日本の翻訳業界

翻訳会社と世界情勢

もう37~38年前の話ですが、そのころよく都市銀行の営業マンたちと私との間で下記のようなやり取りがありました。

銀行員:「ジェスさんは、神奈川県や横浜市で規模的には何番目くらいの翻訳会社ですか?」

丸山:「んー、わかりません」

銀行員:「それでは神奈川県あるいは横浜市に翻訳会社はいくつあるのですか?」

丸山:「んー、まったくわかりません」

そう答えると大銀行の担当営業マン達は、決まって「御社も近隣のライバル情勢を把握しておいた方がいい」という趣旨のアドバイスをしてきました。

しかし、私はいつも次のように答えていました。

丸山:「近隣にいくつ翻訳会社があるか知りませんが、ほとんど興味はありません。重要なことは常に世界情勢ですから」

「何をエラソーに」という態度を露わにする銀行マンもいましたが、当時ジェスコーポレーションは、マンションの1室の有限会社でしたからそう思われてもしかたがなかったでしょう。

当時は日本の中小企業の多くを土木建築業が占め、地元の公共投資の予算がいくらで、地元にライバル企業が何社あって、自社はそこで何番目・・・それがとても重要な指標だったのです。

そのため私はエラソーな気持ちで「重要なのは世界情勢」と答えていたわけではありません。事実、その後幾度となく繰り返される世界情勢の激変に多大な影響を受けながらも、風を読み、潮の流れを読み、太平洋に浮かぶ木の葉のような船を操りながら、38年間サバイバルしてきました。

つまり翻訳会社にとって重要な指標は、国内情勢や公共投資や個人消費ではなく、国際情勢ということです。現在であればアメリカ、中国、アジア新興国、ヨーロッパの経済、それに影響を与えるエネルギー、国際紛争というところでしょうが、特に株価や為替の動きはとても重要です。

米中貿易戦争

さて、昨今マスコミを騒がせているいわゆる「米中貿易戦争」ですが、これは両国の関税の掛け合いによる我慢比べという問題だけではありません。よく言われているようにその裏に両国の世界への覇権争いや安全保障が潜んでいるやっかいな問題です。

そしてこの問題の中心となっているのが、中国によるアメリカの技術・情報の盗用疑惑、もっと具体的に言うと、中国の巨大企業ファーウェイによるバックドア疑惑です。

バックドアとは、正規のセキュリティ手順を踏まずにパソコンやスマートフォンの内部へ侵入するドア、つまり裏口(backdoor)のことで、ファーウェイはそれを各機器に忍ばせていると言われています。実際2019年3月にはマイクロソフトがファーウェイ製ノートパソコンの中にバックドアが設置されているのを発見したと報道されています。

次世代通信網である第五世代(5G)へ向けて、ファーウェイ製品は着々と世界中に浸透しつつあるため、将来へ向けて安全保障上大変な脅威になる、とアメリカは主張しています。 そして、この主張はあながち不当だとも言えない事情があるのです。

それは中国が2017年6月に施行した「国家情報法」で、その第7条に以下の文言があります。

「第 7 条 いかなる組織及び国民も、法に基づき国家情報活動に対する支持、援助及び協力を行い、知り得た国家情報活動についての秘密を守らなければならない。」

この条文は一般的には、以下のように解釈されています。

「第7条 いかなる組織および個人も、国家の情報活動に協力する義務を有する」

今から数年もすれば全世界に第5世代の通信網が行きわたるでしょう。そのときに中国という巨大国家に後押しされた巨大企業ファーウェイが価格競争をしかけて、世界中のライバル企業を蹴落とし、第五世代の覇者になっていたらどうなるでしょうか。世界中の通信部品メーカーは、ファーウェイなしには存在し得ない状況になっていることでしょう。

そのためファーウェイを操る中国共産党の世界支配を止めるには、今しかないとアメリカは現在やっきになっています。

いや、「時すでに遅し」という声も聞かれます。「中国は必要な部品をすべて自国で賄い、より力をつけ、13億人という自国の巨大マーケットだけで十分食っていける」・・・そう主張する人もいます。「いや、そんなことは不可能だ」と主張する人もいます。さて、どうなるでしょうか。

天正遣欧少年使節

最近ひょんなことから改めて「天正遣欧少年使節」の存在を知り、興味を持ったので色々と調べてみました。

なかでもNHKの「その時歴史が動いた~天正遣欧使節 ~」は、わかりやすく解説されていて、またその中に非常に興味深い内容があったのでここでとりあげてみたいと思います。

天正遣欧少年使節とは?

天正10年(1582年)2月20日、イエズス会の重鎮でもあるカトリック教会の司祭アレッサンドロ・ヴァリニャーノに連れられ、ポルトガル船に乗った12歳から14歳の4人の日本人少年たちが長崎を出港した。

以後彼らが日本に帰国するまでの8年5カ月の間に、当時圧倒的な富と武力で世界を支配していたスペイン国王フェリペ2世に謁見する。その4ヶ月後の1585年3月23日には、カトリック教会で全世界に絶対的な影響力を持つローマ教皇に謁見を許される。

その時、少年たちはローマ兵、楽隊、華やかに飾られた馬車が連なる3キロにもおよぶ行列に先導されヴァチカンに向かい、沿道には数千人の見物人たちがあふれ、方々から祝砲が打ち鳴らされた。

少年たちは王侯を招くときに使われるヴァチカン宮殿の王の間に通され、全ヨーロッパの枢機卿が参列する中、カトリック世界の最高権威、ローマ教皇グレゴリオ13世が、はるか極東から来た3人の少年を迎える。

教皇との謁見の後、少年使節に関する印刷物がヨーロッパ各地で50種類以上も発行され、はるか極東の未知の国日本は、ヨーロッパ全土に認知されていった。
(以上、NHK「その時歴史が動いた~天正遣欧使節~」より編集して抜粋)

4人の少年使節のうちの一人、伊東マンショの肖像
(出典)⇒世界初公開「天正遣欧少年使節 伊藤マンショの肖像」東京国立博物館で開催中

大歓迎された少年たち

日本で選抜された4人の日本人少年たちは、ヴァリニャーノによりキリスト教の教義はもちろんのこと、ラテン語などの語学や西洋の礼儀作法、楽器の演奏などの西洋文化を徹底的に叩き込まれます。

謁見当時、16歳から17歳くらいだった4人の少年たちは、“文明国”としての日本の文化・技術や高い知性をヨーロッパの人々に示しました。礼節と威厳を兼ねそろえた少年たちの名声はますます高まり、やがてその評判はローマの教皇庁までをも動かし、ローマ教皇との謁見にまで至ります。

現在にたとえて言うならば、誰も知らない小国の高校1年・2年の少年たちが、ホワイトハウスでアメリカ大統領に謁見し、大レセプションで歓迎される。その後オープンカーに乗って、熱狂的なパレードで迎えられ、国連総会で全世界の代表から拍手喝采をあびながら、世界へ向けてスピーチをする、みたいな感じでしょうか。

日本ではあまり知られていませんが、その時のヨーロッパの人々の熱狂ぶりは、われわれの想像をはるかに超えてすごいものだったようです。4人は、それらの大きな成果の他にも当時最新鋭だったグーテンベルク印刷機や楽器などの西洋の文化・文明を日本に持ち帰りました。

しかし、彼らがヨーロッパへ向けて日本を発った3ヶ月半後に本能寺の変があり、西洋文明との交易に大きな興味を示していた織田信長が殺されました。その後、豊臣、徳川と続く為政者たちは皆キリスト教を禁止・迫害したため、4人の少年たちがせっかく命がけで日本へ持ち帰った西洋の文化・文明はほとんどが活かされることもなく、歴史の闇に葬り去られることになります。

さて、さて、前置きが非常に長くなってしまいましたが、冒頭で述べたNHK「その時歴史が動いた~天正遣欧使節 ~」で私が非常に興味深いと感じた内容とは下記となります。

当時の欧州人を驚嘆させた日本人の能力

16世紀に世界の覇権を握っていたポルトガルとスペインは、次々と世界各国の先住民を屈服させ植民地とし莫大な利益を得ていました。

そのため当時日本に来ていたキリスト教宣教師の中には「日本人は文明を理解できない野蛮人」と決めてかかる者もいました。したがって日本人の信者にはただ祈りの言葉を暗唱させるだけでその意味すら教えようとはしませんでした。

スペイン、マドリッドの王宮内の天井。少年たちもこの同じ天井を見上げたのでしょうか(2018年10月撮影)

そんななか、イエズス会巡察師アレッサンドロ・ヴァリニャーノが来日します。ヴァリニャーノも日本は野蛮な国との報告を受けていました。しかし自分の目で見る日本にヴァリニャーノは驚きます。清潔で整然とした街並み、礼儀を知り勤勉で優れた技術を知る人々、日本は今まで見てきた国とは違うのではないか。

そんなある日、ヴァリニャーノは、カトリックの洗礼を受けた戦国大名大友宗麟に出会います。禅などの仏教を学んでいた宗麟は、キリスト教の神学論をみごとに解釈してみせたのです。ヴァリニャーノは確信します。日本人は未開人ではない。独自の教養と文化を持っている。だからこれまでのような布教の無理強いには意味がない。

天正8年(1580年)、ヴァリニャーノはそれまでの日本人への布教方法を改めるため、長崎有馬に初等学校セミナリオを設立しました。日本で初めて西洋の学問を教えるセミナリオには、22人のキリシタン武士の子供たちが入学しました。

学校が始まるとヴァリニャーノは少年たちの能力に驚かされます。ローマ字を教えると幼い子までたちまち暗記し、使いこなしたのです。

「日本の子供の理解力はヨーロッパの子供たちより優れている。少年たちは、地球は丸いという西洋の最新知識もすぐに理解した。彼らにはわれわれの教義を理解する十分な能力がある。」(以上、NHK「その時歴史が動いた~天正遣欧使節~」より編集して抜粋)

当時から優れていた日本人のモノづくりの技術

16世紀後半、世界を支配していたスペインの国王フェリペ2世は、天正遣欧使節の4人の少年たちが着ている着物や草履の仕立てに感心したあと、日本刀をながめて「この刀を鍛える技術、そして細工の精密さは実に見事なものだ」と言い、極東の島国の文明の高さに驚いたそうです。

昨年(2018年)10月にマドリッドの王宮を訪ねた時の写真

実際、1543年にポルトガルから日本の種子島に伝わった鉄砲は、半世紀も経たぬうちに日本全国に広まり、あっという間に量産体制ができあがっていたのです。

少年たちがヨーロッパを訪ねた1500年代後半、つまり「16世紀後半の日本は、非西欧圏で唯一、鉄砲の大量生産に成功し、西欧のいかなる国にもまさる鉄砲使用国になっていた」(米国ダートマス大学教授ノエル・ペリン著「鉄砲を捨てた日本人」中公文庫より)。

また、同著によると、16世紀の日本刀によって近代ヨーロッパの剣が真二つに切られたり、15世紀の日本の名刀によって機関銃の銃身が真二つに切り裂かれたりしたという事実があるそうです。

日本人は400年以上も昔から、モノづくりにおける高い技術力と優れた理解力、勤勉さ、礼儀正しさで西洋の人々を驚かせていたのです。

二百数十年ものあいだ鎖国を続けた日本が、明治時代に入って突然にして西洋の文明を吸収し、急速に追いつき追い越せで繁栄できたのも、すでにベースとなるさまざまな能力を身に着けていたからなのでしょう。

なぜ日本人にはそのような能力や性質がもともとそなわっていたのでしょうか?その理由を探るには最近世界の古代研究者たちを驚愕させている日本の縄文時代まで遡る必要がある気がしますが、その話はまた後日ということにしておきます。

スペインワイン

ペネデス(Penedés)のワイナリー

遅い夏休みを利用して、大学時代の友人たちと3人で、スペインのペネデスのワイナリーを訪ねました。

ペネデスはカタルーニャ(Cataluña)地方を代表するワインの生産地で、バルセロナから西へ車で1時間から2時間ほどの場所にあります。

私たちは、バルセロナからバスツアーを利用して3つのワイナリーを訪ねたのですが、バスには、イギリス、アメリカ、オーストリア、デンマーク、オーストラリア、ニュージーランド等々、7~8ヶ国から30名ほどの人たちが参加していました。

ジャン・レオン(Jean Leon

最初に訪れたのは、日本でもジャン・レオンというブランドでおなじみのワイナリー、ジャン・レオン社でした。

Jean Leon ワイナリーの正面玄関

創業者のジャン・レオン氏は、19歳の時にスペインを飛び出し、世界各地の放浪の旅に出かけます。その後、アメリカのハリウッドにおいてウェイターから身を起こし、レストラン事業で成功を収めます。そこで数多くのハリウッドの映画スターから信奉を集め、やがて祖国スペインのカタルーニャ地方、ペネデスに自前のワイナリーを持つことになります。

ナビゲーターの男性が、ワイナリーの説明をしてくれています。

ジャン・レオン氏はそれまでスペイン国内では栽培されていなかった、カベルネ・ソーヴィニョンやシャルドネ等の様々な種類の国際品種を自らのワイナリーに植樹しました。

様々な種類のブドウの樹の前で

その後、彼の作るワインは次第に評価を高めていき、1980年の米国レーガン大統領の就任式では、「カベルネ・ソーヴィニヨン・レゼルヴァ 1975年」がパーティーで採用されるまでになったそうです。

ラッキーなことに搾汁のシーンを目の前で見学できました。

ジャン・レオンでは2008年から有機農法を採用していて、2012年からはすべてのワインがオーガニック認定(CCPAE)を受けています。

美しいブドウ畑をバックにワインを注いでくれています。

最初の試飲タイムを待つ私

試飲のワインとおつまみ

トーレス(TORRES

次に訪れたのがスペイン最大手のワイナリー、トーレス社でした。300年以上もの長きにわたりブドウ栽培やワイン造りを続けてきた名門ワイナリーです。ここはスペイン最大のワイナリーというだけでなく、家族経営のワイナリーとしても世界最大とのことです。

TORRES社の正面玄関

TORRES社のブドウ畑

広大な敷地をこんなトレイン風のバスで案内してくれました。

当主であるミゲル・トーレス氏は、スペインの伝統的スタイルのワイン造りには将来性がないとみて新しいスタイルのワイン造りに挑戦を始めました。スペインでもいち早くステンレスタンクや温度調整装置を導入するなど、徹底的に醸造所の近代化を図っています。

近代的かつ大規模な設備でした。

TORRES社のワイン貯蔵庫。広大な貯蔵庫にはクラシック音楽が流れていました。

それによりトーレスは、ヨーロッパにおける数々の権威ある賞を受賞しています。とりわけ、2014年、2015年、2017年の3回にわたり、英国の権威ある雑誌 ”Drinks International” にて「世界で最も称賛されるワインブランド」No.1に選出される快挙をなしとげています。

また、トーレスは量産で成功しているだけでなく、マス・ラ・プラナ(Mas La Plana)という名のカベルネ・ソーヴィニョンの逸品を生み出しています。マス・ラ・プラナは、1979年のパリのワイン・オリンピックにおいて、ボルドーの5大シャトーを押さえて世界の頂点にたったことがあるそうです。

TORRES社内にあるワイン博物館にて-その1

TORRES社内にあるワイン博物館にて-その2

試飲の準備をする女性

試飲のワイン4杯とおつまみの4種のチーズ

フレシネ(Freixenet

3つ目に訪ねたワイナリーは、スパークリングワインのカバ(CAVA)で有名な、フレシネ社です。

Freixenetワイナリーの駐車場

スペインワインが世界的に大成功した理由の一つにカバの存在があり、スペインで生産されるカバの95%がカタルーニャ産です。

カバの発泡性は、シャンパンと同じで瓶内発酵により自然に生まれたものであって、人工的に炭酸ガスを注入したものではありません。

瓶内貯蔵熟成期間は最低9カ月が義務付けられていて、一般的には1年から2年、高級品では3年から4年寝かせているそうです。長く熟成させるほど泡は細かくなり、香りや風味に洗練さを帯びてきます。

ワイナリーの説明をしてくれた女性

カタルーニャ語のCAVAは、「洞窟」または「地下蔵」を意味しているため、なるほど私たちが案内された場所は、確かに暗い地下の「洞窟」で、おびただしい数のボトルが貯蔵されていました。

まさに洞窟

こんなトレインに乗って貯蔵庫内を移動しました。

また、2007年に改定されたスペインのワイン法では、レゼルバ(Reserva)と表示する場合は15ヶ月以上、グラン・レゼルバ(Gran Reserva)は30ヶ月以上の瓶貯蔵・熟成期間が義務付けられているそうです。

ところで1960年代までは、スペインはじめ他の国でも発泡性ワインのことを「シャンパン」と呼んでいました。しかし、その後フランスが「シャンパンと呼べるのは、フランスのシャンパーニュ地方で生産されたもののみ」と抗議をし、1970年代にはそれが認められることになりました。

私が高校1年生の時(1973年)、地理の先生が少々興奮気味に下記のような話をしていたのを覚えています。

「シャンパンという呼び名をめぐってフランスが訴訟を起こし勝ちましたね!これにより、フランスのシャンパーニュ地方で生産されたものしか、シャンパンという名前を使えなくなりました。ハイカラなサントリーさんがどんな名前をつけるのか、とっても興味深いですね!!」

それはさておき、CAVAが一大産業として世界的に成功している理由は、シャンパンに比べて値段が安いだけでなく、口当たりがソフトで飲みやすく、果実味がいきいきとしているからでしょう。

試飲のワインとおつまみの生ハムやチーズなど

瓶内発酵されているため、いつまでたっても泡が出てきます。

さて、最後に蛇足ではありますが、今回スペインへ行った最大の理由は、私の長男が住むバレンシアを訪ねることでした。バレンシアは、スペイン随一の米どころで、パエリア(Paella)の発祥の地でもあるため、とても美味しいパエリアを食べることができました。

バレンシア風パエリアは、ウサギの肉と鶏肉の出汁がよく効いていました。

人口減少と外国人労働者

2018年5月30日 日経新聞の1面TOPより

いよいよ日本はここまで追い込まれてきたのか、というのが率直な感想です。

国立社会保障・人口問題研究所の資料によると、日本の人口ピラミッドは、1980年⇒ 2020年⇒ 2050年の間に下記のように変化していくそうです。

1980年_日本の人口(国立社会保障・人口問題研究所の資料より)

2020年_日本の人口(国立社会保障・人口問題研究所の資料より)

2050年_日本の人口(国立社会保障・人口問題研究所の資料より)

2050年代に日本の総人口は1億人を切り、生産年齢人口はピーク時より3,500万人も減少し、人類史上どの国も経験したことのない「棺桶型人口ピラミッド」になるそうです。

そのため将来的な生産年齢人口確保のためには、外国人労働者を積極的に移民として受け入れていこうということでしょう。

世界からさまざまな民族を受け入れ、異文化流入という摩擦や軋轢を乗り越えながらも、新しい活力を創造していくという試みはやはり必要でしょう。日本が他国との競争に打ち勝っていくためにもそのような姿勢はとても重要だと感じます。

しかしながら、日本語も満足に話せず、単純労働しかできない外国人もなりふり構わず受け入れてしまうという方針にはやはり相当な不安が残ります。

ヨーロッパ諸国の例を見てみると、その国の言葉を話せなくても構いません、というかなり寛容な態度で移民・難民を受け入れた国は、のちのちさまざまな問題に直面しているようです。

たとえば国民一人当たりのGDPで常に世界トップクラスにあるベルギーの場合、長い間政策として国境を越えた「多民族共存」という理想主義を掲げてきました。これは移民出身国の文化・習慣の維持を容認するという多文化主義です。

そのためベルギーの首都ブリュッセルの西郊にあるモレンベークという地区は、人口9万人のうち8割がイスラム教徒という「イスラム教徒の街」となっています。

2015年11月に起きた「パリ同時多発テロ」のあと、そのモレンベークという地区がIS(イスラム国)への戦闘員供給地区になっているということが広く知れわたりました。ベルギーでの差別に不満を持つ移民の子孫たちが「ホームグロウン・テロリスト」になっていったわけです。

それに対し、移民に対しての同化政策(出身国の言葉や文化を受け入れ国に合わさせる)を推し進めているフランスなどの国は、比較的そのようなことは少ないようです。

アメリカも建国以来、移民に対して同化政策をとってきたわけですし、日本も今までは移民に対してある意味同化政策とも言える姿勢を貫いてきました。

その日本が突如、単純労働しかできない移民を多く受け入れ、結果として「多民族共存」とも言える理想主義政策をとってしまうことに一抹の不安を覚えます。

余市蒸溜所

今年(2018年)2月に大学時代の友人たちとニッカウヰスキー余市蒸溜所を訪ねました。彼らとシングルモルトの蒸溜所を訪ねるのは、スコットランドのDewar’s Aberfeldy 蒸溜所とGlengoyne 蒸溜所、山梨県北杜市にあるサントリー白州蒸溜所に続いて4度目となります。

私にとって北海道は29年ぶりだったので、余市のあと皆で小樽に泊り、翌日は「札幌雪祭り」を見学して帰ってきました。

さて、余市蒸溜所です。

ご存じドラマ「マッサン」のモデルとなった、ニッカウヰスキー創業者の竹鶴政孝とその妻リタが丹精込めて造り上げた至極の蒸溜所です。雪の余市蒸溜所は静寂な中にも豊かな自然の恵みを感じさせる穏やかな場所にありました。

余市蒸溜所正門の前にて

正門から入ったところ

リタハウス

貯蔵所内

1968(昭和43)年、日経新聞に連載された竹鶴政孝の「私の履歴書」によると「余市は積丹半島の入り口にある町で、余市川が日本海の石狩湾に流れる河口にあった。ニシンの漁場としても有名であったが、リンゴやぶどうの産地でもあり、北海道でも珍しく恵まれた土地であった。(中略)付近からピートがとれ、ウイスキーづくりにはうってつけの条件をそなえた場所であった。」とあります。

竹鶴政孝はスコットランドのハイランドにできるだけ近い自然環境の場所を探し、ここ余市にたどり着いたようです。一年を通じて寒冷かつ湿潤な気候の余市は樽熟成に欠かせない好条件を備えているのでしょう。

ポットスチルに火をくべていた

見学中に職人さんがポットスチルに火をくべるシーンを見ることができました。これはかなりラッキーなことです。

ウイスキー博物館内

ウイスキー博物館内

ウイスキー博物館内

ウイスキーが出来上がるまでの工程の説明やニッカウヰスキーの歴史、そして竹鶴政孝とリタの思い出の品々や写真などがたくさん展示されていて、とても興味深かったです。

3種類が無料で試飲できます

ウイスキー博物館見学の最後に3杯の無料試飲ができます。看板商品であるシングルモルトウイスキー「余市」と「スーパーニッカ」と「アップルワイン」の3種です。どれもおいしかったのですが、やはり「余市」は別格です。いまや世界で大きな存在感を持ちつつある “Japanese Whisky”  の原点がここにありました。ストレートでキュッとやる「余市」はたまりません。

無料試飲のあとはもちろん有料試飲へ

バーテンダーさんもまた洗練されていました

当然のことながら3杯の無料試飲だけではもの足りないので、皆で有料試飲の立ち飲みバーへ行きグラスを傾け、余市を後にし小樽へと向かいました。

大学時代の友人たちとは、それぞれが仕事のスケジュールのすきまを縫って、これからもできるだけ多くの国内・国外の蒸溜所、醸造所巡りをしたいと願っています。

札幌雪祭りにて

最後に蛇足ですが、かねてより行きたかった「札幌雪祭り」を見てきました。大通り公園の隅から隅まで1.5kmを歩き、大小とりまぜて100基以上ある雪像を見てきました。今年は雪が多かったため、より迫力のある巨大な雪像を見ることができてとてもラッキーでした。

(この項、終わり)

翻訳業界、昔あって今ないもの(その4)

版下作成

翻訳から印刷までの工程を大雑把に言うと、翻訳⇒ デザイン⇒ 版下⇒ 製版⇒ 印刷となります。印刷は「版」にインクをつけ紙に転写して行うのですが、この「版」を作成する工程を製版と言います。そしてその製版前の原稿が版下となります。

したがって版下は、文字や表や図などのレイアウトが最終形として完成している状態の原稿のことを言います。

このデザイン、版下作成、製版という印刷前の一連の工程をすべて机の上のパソコンで行うことをDTPといいます。 これはDesktop publishingの略で、直訳すれば「机上出版」となります。

DTPは、1980年代半ばにアメリカで誕生し、日本でも1990年前後から急速に普及しはじめたのですが、DTPが普及するまでは、印刷前のそれぞれの工程を人海戦術でこなさなければならずこれが結構大変でした。

これまでご紹介してきたように、タイプライターからワードプロセッサーへ移行することにより、文字の追加、変更、削除や作表は、電子データ上でできるようになり、修正作業はとても楽になりました。

しかしながら図がある場合にはそうはいきません。図は紙のコピーをとり所定の箇所へ糊で貼り付ける図の貼り込みという工程が必要だったからです。

特に技術文書は図が多いので大変ですが、CAD (computer-aided design) 、つまりコンピューターによる設計支援ツールなどがない時代には、技術者が手で書いた設計図や回路図などのラフな図を清書するトレースという工程も必要でした。

トレースや図の貼り込みの工程は以下の通りです。

はじめに、トレース台の上にラフな図の書かれた紙を置き、その上にトレーシングペーパーを重ねます。トレース台は、ガラスの下に蛍光灯が入っていて、図の線が透けて見えるので、烏口(からすぐち)やロットリングという製図用のペンを使って線をなぞって清書をしていきます。

トレース台(出典:こちら

烏口(出典:こちら

トレースが完了したら、その図を複写機でコピーし、カッターナイフで該当部分を切り抜きます。次に、タイプライターで別紙に打ち込んである訳文をカッターナイフで細かく切り取り、続いて、その紙片をピンセットを使って所定の箇所に糊で貼り付けます。最後に図全体を文書の所定の箇所へ貼り込み、これでやっとこの図の貼り込みという作業が完成します。

このように版下作成における図の処理には多くの人手間がかかっていたのですが、その後、設計の世界にCADが普及していき、クライアントから支給される図も機械で作成されたものが急増し始めました。そのためトレーサーという職業もあっという間になくなってしまいました。

ただし、「機械で作成された図」と言ってもそれはまだ電子データではなく、紙で支給されたものだったので、原文の文字をホワイトで消し、その上に糊とピンセットを使って訳文を貼り付けるという図の貼り込み作業はしばらくのあいだ続きました。

しかし、1990年代も半ばになると安価で優れたレイアウトソフトや画像描画ソフトが次々と現れ、アップルの Macintosh (Mac) に PageMaker や Illustrator を載せてデザインや制作を行うようになりました。

その後 Mac に Adobe のレイアウトソフトやデザインソフトを載せて制作を行うという流れは、多くのプロのデザイナーに受け継がれ現在に至っています。

一方、複雑なレイアウトを求められない一般文書や超大量の文書でなければ、今では MS-Wordが事実上のスタンダードとなっています。 基本的にMS-Word はワープロソフトであり、DTPソフトではないのですが、DTPソフトに求められる数々の基本的な機能を兼ね備え、最も世の中に普及しています。そのため支給された MS-Word のデータ上に上書き翻訳するというやり方が、翻訳業界の中心になっています。

(この項、終わり)

翻訳業界、昔あって今ないもの(その3)

和文ワードプロセッサー専用機

1982年、和文ワードプロセッサーを購入しました。キヤノンのキヤノワードというワープロ専用機で、現在の複合機ほどの大きさがありました。これはローマ字入力で日本語を入力できるという点において、従来の和文タイプライターや写植機とは比べようもないほど使いやすい商品でした。買った当初このキヤノワードは330万円もしたのですが、半年後に半額になり、そのまた半年後に100万円を切りました。

キヤノワード (出典:こちら

その後しばらくして業務用ワープロでもっともシェアを持っていた富士通のOASYSを購入したのですが、1980年代なかば頃になると日本中の電機メーカーはどこもかしこも和文ワープロ専用機を売り出していました。そしてあっと言う間に30万円を切り、それを契機に一般家庭にも一気に普及し始めました。

OASYS 100GS (出典:こちら

パソコンのワープロソフト

1980年代なかば、和文ワープロ専用機と共に大量に世に出回り始めたのが、NECのPC-9800シリーズ、いわゆるPC98と言われるパソコンでした。「ピーシーキューハチ」もしくは単に「キューハチ」と呼ばれ、多くの日本人に親しまれました。一時期は日本のパソコンシェアの過半数を優に超す「伝説の国民機」でした。

PC-98 DO (出典:こちら

その伝説の国民機に搭載され、一時期一世を風靡した日本語ワープロソフトが、ジャストシステムの一太郎でした。

PC-98に一太郎を搭載すれば、パソコンとして表計算ソフトや経理ソフトその他、パソコン本来の機能を使え、かつワープロとしても使えるということで徐々に世の中に浸透しはじめました。

一太郎 (出典:こちら

しかし、その後すぐにマイクロソフトが独自のワープロソフト、MS-Wordの日本語機能を強化し、他製品との抱き合わせ販売などで大攻勢をかけたため、日本語ワープロソフトのシェアは一気にMS-Wordへと傾いたのでした。

両者の戦いは1990年代なかばにはほぼ決着がつき、ワープロソフトのシェアではMS-Wordが一太郎その他を圧倒し現在に至っています。同時に日本の電機メーカーが販売していたOASYSなどの日本語ワープロ専用機もほぼ時期を同じくして市場から消え去っていきました。

このように英文ワープロ専用機と和文ワープロ専用機がパソコン用のワープロソフトへ収斂し、一太郎はじめ数多くのワープロソフトもMS-Wordへと収斂し現在に至っています(ただし、一太郎は現在でも販売され頑張ってはいますが・・・)。

以上、ここまでわが業界におけるワープロ変遷の一部をご紹介させていただきましたが、DTPに関しては、また次回以降述べさせていただこうと思います。

(この項続く)

翻訳業界、昔あって今ないもの(その2)

英文ワードプロセッサ―専用機

1981年、会社に入って初めてワードプロセッサーという言葉を知りました。もちろん見るのも初めてだったのですが、米国IBM製の “Displaywriter” という英文ワードプロセッサーでした。

タイプライターで文字を打ち間違えれば、直すのは大変です。そのため「一打入魂」で早く正確に打つ職人芸が求められました。しかし、ワードプロセッサーでは、ディスプレイ上で文字を自由に追加、変更、削除でき、しかも文字情報を記憶し、あとからいくらでも修正が可能となりました。そのため英文タイピストという職業のあり方そのものを大きく変えるきっかけとなりました。

また、IBM Displaywriter には、スペルチェックの機能も備わっていました。しかし、辞書に入っている語彙数がわずかで、”Japan” や “Japanese” などの言葉さえも入っていない代物だったので、まったく使い物になりませんでした。コンピューターによるスペルチェックがそれなりに機能するようになるのは、その後7~8年経ってからだったと思います。

IBM Displaywriter (出典:こちら

その後しばらくして客先の要望により、CPT の英文ワードプロセッサーを2台購入しました。確か1台で400万円くらいした記憶があります。それに加えてメンテナンス料金が1台につき年間40万円以上かかり、かつ消耗品類もかなり高かったという記憶があります。

CPT (出典:Wikipedia

その後しばらくして、Wang の英文ワードプロセッサーが急速に日本でシェアを伸ばし始めました。ワードプロセッサーは、機能や値段よりもそのシェアが最も重要でした。つまり、客先が使っているワードプロセッサーの種類にあわせなければ、納品するデータつまりフロッピーディスクを納品することができないからです。

結局ジェスコーポレーションでも、1985年ころに3台の Wang を1,200万円以上かけて購入しました。まさに清水の舞台から飛び降りる覚悟だったのですが、なんとかブームの最後に乗っかることができ、とりあえず投資資金プラスアルファくらいは回収することができました。

Wang (出典:こちら

当時はどの英文ワードプロセッサーも8インチのフロッピーディスク(IBMでは、ディスケットと呼んでいましたが)を使っていましたが、その後、8インチ ⇒ 5インチ ⇒ 3.5インチと順次縮小されていき、かつ記憶容量は飛躍的に増大していきました。それにしてもフロッピーディスク容量のピークは1.44 MB だったわけですから、現在のギガやテラの世界は、あの当時は想像もできませんでした。

その後しばらくすると富士ゼロックスが J-Star を発売し始めました。これは、マウスやアイコンやマルチウィンドウを備えたワークステーションで、文字ばかりでなく、複雑な表や画像までもデジタルデータとしてとりこみ、編集することができる画期的な商品でした。

ただし、この J-Star の一番の問題点は、とにかく金額が高い、メンテナンス料金も高い、いや高すぎるという点でした。そのため私はさすがにこの導入には二の足を踏み、しばらく様子を見ることにしました。

実際 J-Star を導入したライバル各社は、かなり苦戦している様子でした。その後、パソコンやApple の Macintosh の急速な普及を考えるとあの時に勢いで J-Star を購入せずによかったと思います。

いずれにせよ、当時英文ワードプロセッサーはどれにしてもたいへん高価だったため、設備投資の機種の選定とタイミングは、非常に重要でした。

和文ワープロやDTPに関しては、次回述べてみたいと思います。

(この項続く)

翻訳業界、昔あって今ないもの(その1)

タイプライター

翻訳業界に昔(1980年代~1990年代)あって今ないものと言えば、まず最初にタイプライターが思い浮かびます。

私がこの業界に入ったのは1981年ですが、当時はちょうどマニュアルタイプライターから電動タイプライターへ移行する真っ最中でした。私も下の写真のようなタイプライターを渡され、自宅でタイピングの練習をした記憶があります。

当時は翻訳者もタイピストも紙と紙のあいだにカーボン用紙を挟み、カーボンコピーを残していたのですが、打ち間違いなどすると2枚ともホワイトで修正しなければならず非効率でした。ワープロが当たり前となっている現在ではとても考えられないことです。

マニュアルタイプライター (出典:Wikipedia

そして、その後急速に世の中に普及し始めたのが、電動タイプライターでした。当時圧倒的シェアを誇っていたのがIBMの電動タイプライターで、タイプボール(写真下)を使っていました。このボールが電動でくるくると回り、紙とボールの間に挟まれたインクリボンをたたいて文字を印字するのです。

電動式はマニュアル式に比べて、あらゆる点で機能的に優れていたのですが、とても大きく、重く、うるさくて、オフィス内で数十台が一斉に打たれ始めるとうるさくて電話の声を聞き取るのも大変でした。また、当時IBMの電動タイプライターは1台20万円から30万円もしたので、数十台を買いそろえ、かつ高額な消耗品を買い続けることも金銭的負担になりました。

特にタイプボールは、客先の要望に応じて4~5種類のフォントをそろえなければならず、また、落としたりするとどこかの文字が欠けるようこともあり、突然タイプボールが足りなくなるなんてこともありました。販売会社に電話しても在庫がなく、あわてて横浜港の倉庫まで受け取りに行ったなんてこともありました。

IBMのタイプボール (出典:Wikipedia

その後しばらくして、デイジーホイール(写真下)を使ったイタリアのオリベッティ―製の電動タイプライターが発売されたので購入しました。私たちは、このデイジーホイールのことを「おせんべい」と呼んでいましたが、間違えて落としても簡単には壊れずその点は良かったと思います。

デイジーホイール (出典:Wikipedia

さて、上記のタイプライターはすべて英文タイプライターの話ですが、和文タイプライターとなるとまた話が違ってきます。

1980年代初めころだったと思いますが、日本語のタイプを打ってもらうためにある小さな印刷屋さんへ行ったことがありました。

B5の用紙1枚に文字のベタ打ちだけだったのですが、2万円以上の費用がかかり、びっくりした記憶があります。翻訳の料金よりもずっと高かったからです。

その小さな印刷屋さんの中に入ると、薄暗い場所で猫背の女性が5~6人、下の写真のような和文タイプライターに向かって一心不乱に文字を打っていました。昔の話なので記憶も定かではないのですが、これよりももっと大きな機械だった気もします。

和文タイプライター (出典:和文タイプライター

英語で使われる文字は、アルファベットの大文字と小文字52文字+その他の記号だけですが、少なくとも数千文字を使う日本語ではそうはいきません。活字の棒ひとつひとつをつまみあげてインクをつけて紙に打ちつけるわけです。当然ほしい漢字がなければ、活字の在庫のなかから探して入れ替えなければなりません。

気が遠くなりそうな作業ですが、当時和文タイプライターの職人さんたちは特殊技能者としてそれなりの賃金を得ていたことでしょう。しかしその後すぐにワードプロセッサーつまりワープロが急速に世の中に普及したため、和文タイプライターはあっという間に市場から消え去りました。

もっとも印刷業界においては、和文タイプライターに代わって写真植字機(写植)というものが普及したようですが、ワープロとDTPの急速な普及により、単なる文字入力だけという仕事に対する対価が、その後つるべ落としとなったことは言うまでもありません。

英文ワープロ、和文ワープロ、DTPに関しては、次回以降述べていきたいと思います。

(この項続く)

世界の武器輸出国

「世界の武器輸出額国別ランキング」が世銀(World Bank)から発表されました。
下記は、上記サイトの表を私がグラフにしたものです。

3番目にドイツが入っているのは意外でしたが、いずれにせよ上位6ヶ国のうち、ドイツを除く5ヶ国は、国連の常任理事国(アメリカ、ロシア、フランス、中国、イギリス)であり、その5ヶ国のすべてが「核保有国」です。

ちなみに日本は「武器輸出禁止三原則」により、武器を輸出できない国だったのですが、2014年4月に制定された「防衛装備移転三原則」により、「防衛装備」という名の「武器」が輸出されています。したがって建前上「武器」ではないため、このグラフの「その他」の国の中にも日本は含まれておりません。

さて、このグラフを見て、ニコラス・ケイジ主演の2005年のアメリカ映画、「ロード・オブ・ウォー(Lord of War)」を思い出しました。これは実話をもとに作られた「史上最強の武器商人と呼ばれた男」の物語です。

ニコラス・ケイジ扮する主人公のユーリ・オルロフは、ウクライナからアメリカへ移民してきた家族の長男で、やがて武器商人となり、「世界の10大戦闘地の8ヶ所で私の武器が活躍している」と言わしめた男です。

米軍は戦地を去る時、輸送に金がかかるため、大量の物資を放置していくので、米軍が捨てていった、大量のマシンガンなどをトン単位でたたき売りしながら、武器商人としての存在感を高めていきます。

その後、東西冷戦が終わると、旧ソ連製の戦車や軍用ヘリコプター等々、ありとあらゆる武器を紛争国へ売りまくります。なかでもカラシニコフ自動小銃47年モデル、別称“AK47”を売って大もうけをします。

そして国際刑事警察機構の刑事がこう叫ぶシーンがあります。
「戦争犠牲者の9割が銃で殺されている。核兵器じゃない、“AK47”こそ、真の大量破壊兵器なんだ。」

その後、ユーリ・オルロフは、上記の刑事に動かぬ証拠を押さえられ、アメリカ国内で逮捕されるのですが、次のようなセリフを吐き、すぐに釈放されてしまいます。

「私は残虐な指導者たちと仕事でつきあってきたが、その何人かは君たちの敵の敵だ。最大の武器商人は君のボス、つまりアメリカ合衆国大統領だ。輸出量は1日で私の1年分。証拠が残るとまずい取引もある。そんな時は私のようなフリーランサーに委託する。だから私を悪と呼ぶのはいい。だが君らにとって私は必要悪なんだ」

そして映画は、次の言葉を残して終わります。
「最大の武器供給者は米・英・露・仏・中である。この5ヶ国は国連安保理の常任理事国でもある」

国連の常任理事国5か国は、世界の紛争国、それもその両陣営へ武器を売り、戦争を煽り、大もうけをしている、という事実から目を離していけないでしょう。

 

ヨーロッパ言語とGoogle翻訳(その6)

最後に他のヨーロッパ諸語から距離を置く言語、つまり言語学的にグループを形成していない独立した状態の言語を試してみます。具体的にはギリシャ語とアルバニア語がそれにあたります。また、リトアニア語はバルト語派に属する言語でお隣の国の言葉、ラトビア語と同じ語派ですが、バルト語派自体が他のヨーロッパ諸語とは少し距離をおく位置にあります。

ギリシャ語派
<ギリシャ語 原文①>
Πού είναι η ιαπωνική πρεσβεία;
(人間訳)
日本大使館はどこですか?
(Google訳 日本語)
日本大使館はどこにありますか?
(Google訳 英語)
Where is the Japanese embassy?

日本語も英語もきちんと訳されています(英語の方は “embassy” が “Embassy” になっていればより良かったという細かい問題はありますが)。


<ギリシャ語 原文②>
Τι μέρα είναι σήμερα;
(人間訳)
今日は何曜日ですか?
(Google訳 日本語)
今日は何の日です
(Google訳 英語)
What day is today;

日本語は「何曜日」が「何の日」になってしまい最後の「か?」も抜けているため使えません。英語は最後につける ”?” が ”;” になってしまったところが残念です。


アルバニア語派
<アルバニア語 原文①>
Ku është nevojtorja?
(人間訳)
トイレはどこですか?
(Google訳 日本語)
トイレはどこですか?
(Google訳 英語)
Where is the needle?

日本語の方はきちんと訳されていますが、なぜか英語のほうは唐突に “needle” (針)が現れてきます。完全に誤訳です。ただ不思議なことにGoogle翻訳に ”nevojtorja? だけを入力するとちゃんと「toilet?」と訳されます。ちなみに日本語の方も「トイレ?」となります。


<アルバニア語 原文②>
Mund të përdorni telefonin tuaj?
(人間訳)
あなたの電話を使ってもよろしいですか?
(Google訳 日本語)
あなたの携帯電話を使用することができますか?
(Google訳 英語)
Can you use your phone?

日本語の方は意図するところは伝わりますが、英語の方は “I” とすべきが “you” となり意味が逆になっています。


<アルバニア語 原文③>
A mund të më ndihmoni ju lutem.
(人間訳)
助けてください。
(Google訳 日本語)
あなたは私を助けてくださいすることができます。
(Google訳 英語)
Can you help me please.

日本語では話者の意図するところは伝わりませんが、英語の方では伝わるでしょう。


<アルバニア語 原文④>
Unë kam nevojë për një doktor.
(人間訳)
医者が必要です。
(Google訳 日本語)
私は医者を必要とします。
(Google訳 英語)
I need a doctor.

日本語も英語もきちんと訳されています。


バルト語派
<リトアニア語 原文①>
Ką jūs studijuojate? Studijuoju lietuvių kalbą.
(人間訳)
あなたは何を学んでいるのですか? リトアニア語を学んでいます。
(Google訳 日本語)
あなたは何を教えていますか? リトアニア語を学びます。
(Google訳 英語)
What are you studying?  I study Lithuanian language.

日本語の方は、なぜか「学ぶ」が「教える」と意味が真逆になっています。英語の方は話者の意図するところは伝わっています。


<リトアニア語 原文②>
Man parėjus namo, paskambino draugė.
(人間訳)
私が家へ帰ると、女友達が電話してきました。
(Google訳 日本語)
私は友人を呼び出し、家に帰りました。
(Google訳 英語)
When I got home, a girlfriend called.

日本語の方は完全な誤訳ですが、英語の方は話者の意図するところはちゃんと伝わるでしょう。


<リトアニア語 原文③>
Atsiprašau, gal galite pasakyti, kur yra knygynas?
(人間訳)
すみません、本屋がどこにあるか教えてもらえますか?
(Google訳 日本語)
本屋がどこ申し訳ありませんが、あなたは私を伝えることができますか?
(Google訳 英語)
Sorry, can you tell me where is the bookstore?

日本語の方はまるで意味不明です。英語の方は “is” の位置がおかしいですし、もちろん”Sorry,” は “Excuse me,” にすべきですが、とりあえず相手に意味は通じるでしょう。


さて、ここまで17のヨーロッパ言語をGoogle翻訳で試してきましたが、この辺でこのシリーズを終了したいと思います。

全体を通して感じたことは、文章がシンプルであったり、定形表現であったりすれば、かなりきちんと訳されているということでした。

また、中には驚くほど見事に訳されている文章があるかと思えば、トンチンカンな訳になっていたり、意味が真逆に訳されていたりというケースもありました。

試した言語がどれもヨーロッパ言語の中では比較的マイナーな言語だったので、コーパスの少なさゆえにこのようなギャップが生じたのでしょうか。

また「日本語への翻訳」と「英語への翻訳」はどちらがより正確か、という観点から考えるとやはり「英語への翻訳」の方がずっと正確に訳されているという印象があります。

これは英語がヨーロッパ言語のひとつであるという理由に加えて、世界最大の流通言語である英語への翻訳ほうが、日本語への翻訳よりもより多くのコーパスが存在しているからということなのかもしれません。

Google翻訳は、使えば使うほど進化するディープラーニングという手法を用いたAIなので、今後良質のコーパスがもっと蓄積されていけば完成度はより高まっていくのでしょう。

しかし、現状においては、意味が正反対に訳されたり、まったく意味不明の訳になったりするので、人間によるチェックはまだまだ不可欠と言わざるを得ません。

(この項終わり)

ヨーロッパ言語とGoogle翻訳(その5)

次にフィン・ウゴル語派に属するハンガリー語とフィンランド語をGoogle翻訳してみましょう。両言語とも言語の形態論上、トルコ語、モンゴル語、日本語、朝鮮語、その他のアジア言語と同じ膠着語(こうちゃくご)に分類されています。

つまり英語から見れば、ヨーロッパ言語の中では、一番文法的に離れた存在の言語と言えるのかもしれません。

フィン・ウゴル語群
<ハンガリー語 原文①>
Kicsit rosszul érzem magam. Tudna adni valamilyen orvosságot?
(人間訳)
少し気分が悪いです。何か薬をください。
(Google訳 日本語)
私は少し病気を感じます。あなたはどんな薬を持っていますか?
(Google訳 英語)
I feel a bit bad. Can you give me some medicine?

上記は変な日本語ではありますが、なんとか意図は伝わるかもしれません。英語のほうは話者の意図するところはきちんと伝わるでしょう。


<ハンガリー語 原文②>
Szeretném megváltoztatni a foglalás létszámot.
(人間訳)
予約の人数を変更したいのですが。
(Google訳 日本語)
私は私の予約人員を変更したいです。
(Google訳 英語)
I would like to change the booking number.

日本語も英語もなんとか意図するところは伝わるのではないでしょうか。


<ハンガリー語 原文③>
Hol van a bevásárlónegyed ebben a városban?
(人間訳)
この街のショッピング街はどこですか?
(Google訳 日本語)
市内の商店街はどこですか?
(Google訳 英語)
Where is the shopping district in this city?

日本語も英語も意図するところは伝わるでしょう。


<ハンガリー語 原文④>
Elvesztettem a pénztárcámat. Benne volt a hitelkártyám.
(人間訳)
クレジットカードの入った財布をなくしました。
(Google訳 日本語)
私の財布を失くしました。それは私のクレジットカードにありました。
(Google訳 英語)
I lost my wallet. My credit card was in it.

日本語の方は、「財布がクレジットカードの中にあった」と意味が逆になっています。それに対し英語の方は、きちんと訳されています。

<ハンガリー語 原文⑤>
Körülbelül mennyibe kerül a taxi a városközpontig?
(人間訳)
市の中心までタクシー代はいくらくらいですか?
(Google訳 日本語)
市内中心部までどのくらいのタクシーについて?
(Google訳 英語)
About how much does the taxi cost to the city center?

日本語は残念ながら意味不明です。英語の方はかろうじて意味は通じるのではないでしょうか。


<フィンランド語 原文①>
Tämä katu on liukas.
(人間訳)
この通りは滑りやすい。
(Google訳 日本語)
この通りは滑りやすいです。
(Google訳 英語)
This street is slippery.

日本語も英語もきちんと訳されていると思います。


<フィンランド語 原文②>
Poliisi sulki kadun.
(人間訳)
警察は通りを封鎖した。
(Google訳 日本語)
警察は通りを閉じました。
(Google訳 英語)
Police shut the street.

日本語も英語もなんとか話者の意図するところは伝わると思います。


<フィンランド語 原文③>
Uskotko aaveisiin?
(人間訳)
あなたは幽霊の存在を信じますか?
(Google訳 日本語)
あなたは幽霊を信じますか?
(Google訳 英語)
Do you believe in ghosts?

日本語も英語もきちんと訳されていると思います。


<フィンランド語 原文④>
Hän sai kirjan vanhalta opettajaltaan.
(人間訳)
彼(あるいは彼女)は年取った先生から本をもらった。
(彼、彼女という表現はなく、男性も女性もhänと言う)
(Google訳 日本語)
彼は昔の先生から本を受け取りました。
(Google訳 英語)
He got the book from his old teacher.

日本語のほうは「年取った先生」が「昔の先生」になってしまっているところが残念です。英語の方は “his old teacher” が良いのか “an old teacher” が良いのか “the old teacher” が良いのか、この文章だけでは判断がつきませんが、話者の意図するところは伝わるでしょう。


以上、ヨーロッパ言語の中で英語と最も離れていると思われるフィン・ウゴル語派に属するハンガリー語とフィンランド語のGoogle翻訳を試してみましたが、その出来栄えについては、スラヴ語などと比べても特に際立った違いがあるとは感じませんでした。

(この項続く)

ヨーロッパ言語とGoogle翻訳(その4)

それでは続いて、南スラヴ語群に属するブルガリア語、セルビア語、クロアチア語、スロベニア語をGoogle翻訳してみます。

南スラヴ語群
<ブルガリア語 原文①>
Обичам класическа музика.
(人間訳)
私はクラシック音楽が好きです。
(Google訳 日本語)
私はクラシック音楽が大好きです。
(Google訳 英語)
I love classical music.


<ブルガリア語 原文②>
Къде е тоалетната?
(人間訳)
トイレはどこですか?
(Google訳 日本語)
トイレはどこですか?
(Google訳 英語)
Where is the toilet?


<ブルガリア語 原文③>
Не мога да говоря Български.
(人間訳)
私はブルガリア語を話すことができません。
(Google訳 日本語)
私はブルガリア語を話すことができません。
(Google訳 英語)
I can not speak Bulgarian.

上記3つの例文は、どれもがシンプルな定形表現であるからかもしれませんが、話者の意図するところは伝わっていると思います。


<セルビア語 原文① ラテン文字の場合>
On je došao kući juče u dvanaest.
(人間訳)
彼は昨日家に12時に帰ってきました。
(Google訳 日本語)
彼は12で昨日帰ってきました。
(Google訳 英語)
He came home yesterday at twelve.

上記のセルビア語⇒日本語は「彼は昨日帰ってきた」ことはわかりますが、残念ながら「12で」が意味不明です。セルビア語⇒英語の方は、話者の意図は伝わるでしょう。


<セルビア語 原文② ラテン文字の場合>
Ovo je Japanac koji često dolazi kod mene.
(人間訳)
これは私の家によく来る日本人です。
(Google訳 日本語)
これは、多くの場合、私に来る日本人の男です。
(Google訳 英語)
This is a Japanese man who often comes to me.

これは男の写真を指さしながらの会話シーンなのでしょうか。セルビア語⇒日本語もセルビア語⇒英語もなんとか話者の意図するところは伝わるのではないでしょうか。


<セルビア語 原文③ ラテン文字の場合>
Piši kao što govoriš i čitaj kako je napisano.
(人間訳)
話すように書き、書いてある通りに読め。
(Google訳 日本語)
あなたが話すよう書いて、それが書かれていると読みます。
(Google訳 英語)
Write as you say and read how it is written.


<セルビア語 原文④ キリル文字の場合>
Пиши кao што говориш и читaј кaкo je нaписaнo.
(人間訳)
話すように書き、書いてある通りに読め。
(Google訳 日本語)
あなたが話すよう書いて、それが書かれていると読みます。
(Google訳 英語)
Write as you say and read how it is written.

セルビア語③と④のGoogle日本語訳は意味不明です。英語のほうも “as” にすべきが “how” になっていて、やはり使えないでしょう。
セルビアではキリル文字とラテン文字の両方が使われていて、それぞれのアルファベットが一対一で対応しています。そのため原文がキリル文字であってもラテン文字であってもGoogle翻訳の結果は当然のごとくまったく同じでした。


<クロアチア語 原文①>
On uvek govori japanski.
(人間訳)
彼はいつも日本語を話しています。
(Google訳 日本語)
彼はいつも日本語を話します。
(Google訳 英語)
He always speaks Japanese.


<クロアチア語 原文②>
Javite se obavezno, kad budete došli.
(人間訳)
到着したら必ず連絡してください。
(Google訳 日本語)
あなたが来たときに、必ずするレポート。
(Google訳 英語)
Be sure to come back when you come.

クロアチア語の①は、日本語も英語もきちんと訳されています。②の方は、日本語はかろうじて意味を類推できそうという意味では、英語よりはまだましと言えるでしょうか。


<スロベニア語 原文①>
Sem Japonec. (男性の場合) Sem Japonka. (女性の場合)
(人間訳)
私は日本人です。
(Google訳 日本語)
私は日本人です。 私は日本人女性です。
(Google訳 英語)
I am Japanese.  I’m Japanese.

スロベニア語⇒日本語の方は、わざわざ「日本人女性」と訳しているところに感心しました。英語の方は、”I am” と “I’m” で使い分けているところを笑ってしまいました。たまたまコーパスがそうなっていたのでしょうか。いずれにしても意味は正しく伝わっています。


<スロベニア語 原文②>
Izgubil sem dokumente.
(人間訳)
私は自分の書類を無くしてしまいました。
(Google訳 日本語)
私はマイドキュメントを失いました。
(Google訳 英語)
I lost the documents.

日本語のほうは、英語の ”document” の意味を知らない日本人にとっては、「???」となってしまうので、やはり問題ありでしょう。
英語のほうは、意味は伝わるのではないでしょうか。

(この項続く)

ヨーロッパ言語とGoogle翻訳(その3)

ウクライナ語はロシア語、ベラルーシ語にきわめて近い東スラヴ語群の一員で、かつ歴史的、地理的関係から西スラヴ語群のポーランド語とも多くの語彙を共有しています。さて、そんなウクライナ語をGoogle翻訳するとどうなるでしょうか?


東スラヴ語群
<ウクライナ語 原文①>
Зробивши домашнє завдання, він пішов до друга.
(人間訳)
勉強を終えると彼は友人のところへ出かけた。
(Google訳 日本語)
宿題をやって、彼は友人に行ってきました。
(Google訳 英語)
Doing homework, he went to a friend.


<ウクライナ語 原文②>
Вона значно краще пише українською, ніж англійськю.
(人間訳)
彼女は英語よりもウクライナ語の方がはるかに上手に書けます。
(Google訳 日本語)
彼女は英語よりもはるかに優れウクライナを書き込みます。
(Google訳 英語)
She writes much better Ukrainian than English.

上記2つのウクライナ語の文章ともなんとか意味のわかる日本語になっています。英語に関して言えば日本語よりずっと良くできているのではないでしょうか。


次に西スラヴ語群に属する3つの言語、ポーランド語、チェコ語、スロバキア語を試してみます。この3言語はきわめて複雑怪奇な文法構造を持ち、ヨーロッパ言語の中で最も難解な言語と言われているそうです。そんなポーランド語、チェコ語、スロバキア語をGoogle翻訳するとどうなるでしょうか?


西スラヴ語群
<ポーランド語 原文①>
Chcialbym zarezerwować stolik dla sześciu osób na dzisiaj na dziewiętnastą.
(ちなみにChcialbym は、話者が男性の場合/話者が女性の場合は、Chcialabym を使います)
(人間訳)
今晩7時に6人で予約したいのですが。
(Google訳 日本語)
私は、19の上に、今日6人用のテーブルを予約したいと思います。
(Google訳 英語)
I would like to book a table for six people today for the nineteenth.

日本語も英語も時間を正確に表現できないところが残念ですが、それ以外は話者の意図が伝わる言葉になっているのではないでしょうか。


<ポーランド語 原文②>
Czy może mnie Pan poinformować o miejscach, które są warte zwiedzenia w tym mieście?
(ちなみに、Pan は、相手が男性の場合/相手が女性の場合は、Pani を使います)
(人間訳)
この街のみどころを教えてください。
(Google訳 日本語)
あなたはこの街に訪れる価値のある場所について教えてもらえますか?
(Google訳 英語)
Can you tell me about places that are worth visiting in this city?

日本語も英語も話者の意図は伝わっているのではないでしょうか。


<チェコ語 原文①>
Dobře. Dejte, prosím, celní prohlášení úředníkovi u východu.
(人間訳)
結構です。この申告書を出口の係官に渡してください。
(Google訳 日本語)
わかりました。出口から公式宣言を喜ば与えます。
(Google訳 英語)
Good. Please give the customs declaration to an official at the East.


<チェコ語 原文②>
Odneste mi, prosím, toto zavazadlo na stanoviště taxi (autobusovou zastávku).
(人間訳)
この荷物をタクシー乗り場(バス停)まで運んでください。
(Google訳 日本語)
タクシー(バス停)に、この荷物を行って下さい。
(Google訳 英語)
Please take this luggage to the taxi station (bus stop).


<チェコ語 原文③>
Chtěl bych poslat tento balík do Japonska.
(Chtěl は、話者が男性の場合/話者が女性の場合は、Chtěla)
(人間訳)
この小包を日本へ送りたいのですが。
(Google訳 日本語)
私は日本にこのパッケージを送信したいと思います。
(Google訳 英語)
I would like to send this package to Japan.

チェコ語⇒日本語に関して言えば、①は×、②は△、③は〇といったところでしょうか。
チェコ語⇒英語に関して言えば、①は×、②は△に近い〇で、③は〇といったところでしょうか。


<スロバキア語 原文①>
Dobrý deň. Prepáčte, prosím, hľadám hlavnú stanicu.
(人間訳)
こんにちは。すみません、中央駅を探しているのですが。
(Google訳 日本語)
今日は。すみません、私は中央駅を探していますしてください。
(Google訳 英語)
Good day. Sorry, I’m looking for the main station.


<スロバキア語 原文②>
Hlavnú stanicu? Hlavná stanica je veľmi ďaleko. Nemáte auto?
(人間訳)
中央駅ですか?中央駅はだいぶ遠いですよ。車はないのですか?
(Google訳 日本語)
中央駅?主要駅は遠いです。あなたは車を持っていないのですか?
(Google訳 英語)
Main station? The main station is very far away. Do not have a car?


<スロバキア語 原文③>
Mám. Vidíte ten posledný dom? Tam mám voz.
(人間訳)
あります。あそこの隅の家が見えますか?あそこにあるのが車です。
(Google訳 日本語)
私が持っています。あなたはその最後の家を参照してください?そこで私の車。
(Google訳 英語)
I have. Do you see the last house? I have a car there.

スロバキア語⇒日本語に関し言えば、①は△、②は△に近い〇、③は×といったところでしょうか。
スロバキア語⇒英語に関して言えば、①はなんとか意図は伝わるかもしれないという意味で、△でしょうか。②もおかしな英語ですが、かろうじて意図は伝わるかもしれないという意味で、×に近い△でしょうか。③は意図が伝わるという意味で〇でしょうか。

(この項続く)

ヨーロッパ言語とGoogle翻訳(その2)

次にロマンス諸語に移りたいと思います。

ご存じのとおり、ロマンス諸語にはフランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語などの主要ヨーロッパ言語が含まれていますが、ここではそれらは避けてマイナーな言語に絞って試してみようと思います。

ルーマニアは東ヨーロッパに位置する国ですが、ルーマニア(România)という国名自体が「ローマ人の国」を意味することからもわかるように、ルーマニア語もラテン語から分岐したロマンス諸語に属しています。

とは言うものの、ルーマニア語も長い歴史のなかでとりわけスラヴ語圏からは強い影響を受けてきています。さらにハンガリー語、トルコ語、ギリシャ語からの影響もあり、ロマンス諸語の中でもかなり特異な存在と言えます。

そのへんの事情は、他のロマンス諸語にはない文法構造に表れているようです。一方、文字に関しては19世紀以降キリル文字からラテン文字への移行が進み現在に至っています。

さて、それではそのような特異な存在であるルーマニア語を「Google翻訳」するとどうなるか?さっそくやってみましょう。


ロマンス諸語
<ルーマニア語 原文①>
Au ieșit din casă, au coborât din lift și au urcat în mașină.
(人間訳)
彼らは家を出て、エレベーターから降り、車に乗りました。
(Google訳 日本語)
彼らは、家を出エレベーターを降りて、車の中で得ました。
(Google訳 英語)
They got out of the house, got off the elevator and got into the car.

日本語は「車の中で得ました」が残念です。
英語は話者の意図するところはきちんと伝わるでしょう。


<ルーマニア語 原文②>
Cât este ceasul acum? Este ora paisprezece și patruzeci și cinci de minute.
(人間訳)
今何時ですか? 14時45分です。
(Google訳 日本語)
それは今何時ですか?時間は午前2時45 p.m..です
(Google訳 英語)
What time is it now? It’s fourteen forty-five minutes.

日本語は、「午前」なのか「午後」なのかわからないという大きなミスを犯しています。
英語もおかしいですが、かろうじて意味は通じるかもしれません。


<ルーマニア語 原文③>
Dumneavoastră sunteți professor? Nu. Sunt inginer.
(人間訳)
あなたは先生ですか? いいえ、私はエンジニアです。
(Google訳 日本語)
あなたは先生ですか いいえ。私はエンジニアです。
(Google訳 英語)
Are you Professor? Not. I’m an engineer.

日本語は、句読点の使い方を除けば正しく訳されています。
英語は冠詞の使い方や”No,” が“Not.”になるなどの問題はありますが、話者の意図するところはきちんと伝わるのではないでしょうか。


<ルーマニア語 原文④>
Biserica Neagră este cel mai reprezentativ monument de arhitectură gotică din România.
(人間訳)
「黒の教会」は、ルーマニアで最も代表的なゴシックの建造物です。
(Google訳 日本語)
黒の教会はルーマニアのゴシック建築の最も代表的な建造物です。
(Google訳 英語)
The Black Church is the most representative monument of Gothic architecture in Romania.

日本語も英語もほぼ正確に訳されているのではないでしょうか。


<ルーマニア語 原文⑤>
Nu pot să merg cu tine, deoarece am de învățat pentru măine.
(人間訳)
明日のために勉強しなければならないので、君と一緒には行けません。
(Google訳 日本語)
私は明日のために学んだので、私はあなたと一緒に行くことはできません。
(Google訳 英語)
I can not go with you, because I have to learn for tomorrow.

日本語では「勉強しなければならない」が「学んだので」になっているところが残念ですが、だいたい話者の意図は伝わると思います。
英語は話者の意図するところはきちんと訳されているのではないでしょうか。


<ルーマニア語 原文⑥>
Ea, văzând că la poștă este prea multă lume, a hotărât să vină în altă zi.
(人間訳)
彼女は、郵便局にあまりにも多くの人がいるのを見て、他の日に来ることにしました。
(Google訳 日本語)
彼女はポストは、あまりにも多くの人々であることを見て、彼は別の日に来ることを決めました。
(Google訳 英語)
She, seeing too many people at the post office, decided to come another day.

日本語は途中からいきなり主語が「彼女」から「彼」に変わるという致命的なミスを犯しているため使えない訳と言わざるを得ません。
それに対して、英語のほうは話者の意図するところを伝えていると思います。


わずかな例文だけではありますが、ロマンス諸語の中にあって特異な存在であるルーマニア語の「Google翻訳」の結果はどうだったでしょうか。

英語への翻訳に関して言えば、時間表記の点を除けば、ほぼ問題なく通じる訳ができていたのではないでしょうか。

一方日本語への翻訳はどうかというと、まだまだ不完全と言わざるをえません。

ただし、日本語・ルーマニア語間と英語・ルーマニア語間のコーパスの量を考えればそれも当然の結果なのかもしれませんが。

(この項続く)

ヨーロッパ言語とGoogle翻訳(その1)

ディープラーニング

今から4か月ほど前(2017年2月)になりますが、東京大学大学院、松尾豊先生の「人工知能の未来 ~ディープラーニングの先にあるもの~」という講演を聞きました。まずはそこでお聞きした話をご紹介させていただきます。

「地球上における生命の誕生は約38億年前だが、今から5億年ほど前に初めて眼を持つ生物が現れた。

それまでは、たまたまぶつかった生物同士が食い合いどちらかが勝ち残っていた。しかし、最初に眼を持った三葉虫という生物は当然他より強くなり、勝ち残っていった。そのうち食われる側も眼をもつ生物だけが生き残り、持たない生物は死に絶えていった。これにより眼を持つ生物の繁栄が始まった。

生物が眼を持つまでに33億年もの時間を費やしたが、眼を持ってからの5億年で生物は急速に進化を遂げることになる。

これとまったく同じことが現在、AIの世界で起きようとしている。その一つの表れが「Googleの猫」の話だ。

AIに何の情報も与えずに「ネコ」「イヌ」「オオカミ」の写真の中から「ネコの写真がどれかを選べ」と命ずる。

するとAIは、ビッグデータからネコの特徴を拾い、耳が垂れている動物の写真はイヌであり、ネコではないと判断する。

しかし、隣のオオカミの耳は、ネコにように立っている。人間はこればオオカミの顔であり、ネコではないとすぐにわかるわけだが、機械にそのような常識はない。

そこでAIは、さらにビッグデータの中から「ネコは目が丸い」「オオカミは目が細い」という特徴を拾い、結局左の写真がネコであると特定する。

このように「ディープラーニング革命」により、コンピュータができて以来、初めて「画像を認識」できるようになった。

それにより「運動の習熟」が始まり、ロボットや機械がより熟練した動きができるようになる。

それにより映像と文章の相互変換ができるようなり、「言語の意味の理解」がより深くできるようになる。

今後、ディープラーニングにより「眼を持った機械」が次々と誕生し、産業を変えていく可能性が高い。また、機械翻訳もこれから5年も経たぬうちにかなり急速に進歩していくだろう。」

ざっとこのような話であったと思います。

ヨーロッパ言語における語彙間の距離

さて、次にヨーロッパ言語における語彙間の距離、つまり語彙の違いの度合いを示した図をご紹介させていただきます。

(出典:Lexical Distance Among the Languages of Europe
この図の元の研究データは、K. Tyshchenko(1999)、Metatheory of Linguisticsのもので、ウクライナ語で公開されています。

それではこれから何回かに分けて、さまざまなヨーロッパ言語から英語および日本語への翻訳を「Google翻訳」を使って試してみようと思います。

なぜヨーロッパ言語なのかというと、「極東」に位置する日本と「極西」に位置する英国は世界で最も離れた言語を持つ国だと私は考えているので、まずは英語と近い存在にあるヨーロッパ諸語から試してみようと思うからです。

その際、ドイツ語、フランス語、スペイン語、ポルトガル語、イタリア語、ロシア語などのいわゆるヨーロッパの主要言語と英語との間では、すでにかなりな量のコーパスが蓄積されているだろうとの観測から、ここでは比較的マイナーなヨーロッパ言語に絞って試してみようと思います。

さて、まずは英語が属する「ゲルマン語派」の言語、スウェーデン語、デンマーク語、ノルウェー語の3言語を「Google翻訳」にかけてみたいと思います。


ゲルマン語派
<スウェーデン語 原文>
Kan ni bära väskorna till rummet?
(人間訳)
荷物を部屋まで運んでもらえますか?
(Google訳 日本語)
あなたは部屋に荷物を運ぶことができますか?
(Google訳 英語)
Can you carry the bags to the room?


<デンマーク語 原文>
Jeg har boet i Købenahvn siden sidste år.
(人間訳)
私は去年からコペンハーゲンに住んでいます。
(Google訳 日本語)
私は去年からコペンハーゲンに住んでいます。
(Google訳 英語)
I have lived in Copenhagen since last year.


<ノルウェー語 原文>
Jeg kan ikke snakke norsk godt.
(人間訳)
私はうまくノルウェー語を話せません。
(Google訳 日本語)
私はノルウェーをよく話すことはできません
(Google訳 英語)
I can not speak Norwegian well.


それぞれ簡単な文章であるとはいえ、英語はゲルマン語派に属する言語なので、同じゲルマン語派に属するこれらの3言語を英語にGoogle翻訳すると正しいもしくはちゃんと意味の通じる文章に訳しています。

日本語への翻訳に関して言えば、デンマーク語は正しく訳されています。ノルウェー語は「ノルウェー」を「ノルウェー語」に変えなければいけませんが、ほぼ問題ないでしょう。スウェーデン語は、話者の意図するところは十分わかってもらえるでしょう。

(この項続く)

「Google翻訳」はどのくらい進歩したか?

私はこのブログの中で過去7回にわたり、無料で使える5つの翻訳ソフトの実力比べを行ってきましたが、今回は最近精度を高めつつあると言われるGoogle翻訳に注目してみました。

初回実行年月  ⇒ 2007年7月

2回目実行年月 ⇒ 2009年8月

今回実行年月  ⇒ 2017年1月

初回と2回目の翻訳結果は大差なく、むしろ2回目は退化したかの感もあったのですが、初回より10年が経過した今回の結果は明らかに違っていました。もちろん意味不明の訳文もありましたが、ほぼ正確に訳しているものもあり、確実に進歩しているなというのが率直な感想です。

まずは下記をご覧ください。


① 原文の英語
Right now he’s going out with a girl who’s a former Miss California.

① Google翻訳2007年7月
今彼は前のさんであるカリフォルニア女の子と出かけている。

① Google翻訳2009年8月
今の彼は、元ミスカリフォルニアの女の子と付き合っている。

① Google翻訳2017年1月
今、彼は元カリフォルニア州の女の子と出掛けています。

① 人間による翻訳
今彼は元ミスカリフォルニアの女性と交際しています。


② 原文の英語
A woman whose husband is a well-known doctor was killed by someone yesterday.

② Google翻訳2007年7月
夫が有名な医者である女性は誰かによって昨日殺された。

② Google翻訳2009年8月
夫はよく知られている医師が女性の人が23日に殺された。

② Google翻訳2017年1月
夫が有名な医者である女性は、昨日誰かに殺された。

② 人間による翻訳
夫が有名な医者である女性がきのう誰かに殺された。


③ 原文の英語
The woman I’m working with is very difficult to get along with.

③  Google翻訳2007年7月
私がと働かせている女性はうまくやり非常ににくい。

③ Google翻訳2009年8月
私が働いている女性に非常に沿って取得することは困難です。

③ Google翻訳2017年1月
私が働いている女性は、一緒になることは非常に困難です。

③ 人間による翻訳
私が一緒に働いている女性は、仲良くやってゆくのにむずかしい人なんです。


④ 原文の英語
McDonald’s is an American fast-food chain whose popularity has spread all over the world.

④ Google翻訳2007年7月
マクドナルドは人気が世界中で広がったアメリカのファーストフードのチェーン店である。

④ Google翻訳2009年8月
マクドナルドは、アメリカのファストフードのチェーン店を持つ人気を全世界に広がっています。

④ Google翻訳2017年1月
マクドナルドはアメリカのファーストフードチェーンであり、その人気は世界中に広がっています。

④ 人間による翻訳
マクドナルドは人気が世界中に広がっているアメリカのファーストフード・チェーンです。


⑤ 原文の英語


The neighborhood bank whose business started to drop off is now offering special services to attract new customers.

⑤ Google翻訳2007年7月
新しい顧客を引き付けるために落ち始められるビジネス今福祉業務を提供している近隣銀行。

⑤ Google翻訳2009年8月
そのビジネスは今、新しい顧客を引き付けるための特別なサービスを提供し降ろしを始めた近所の銀行。

⑤ Google翻訳2017年1月
ビジネスが落ち始めた近所の銀行は、新しい顧客を引き付けるための特別なサービスを提供しています。

⑤ 人間による翻訳
営業成績が落ち始めた近所の銀行が、新しいお客をひきつけるために特別サービスをしている。


⑥ 原文の英語
This is the last product I’d have expected to sell like crazy.

⑥ Google翻訳2007年7月
これは私が狂気のように販売すると期待しよう最後のプロダクトである。

⑥ Google翻訳2009年8月
これは私が狂ったように売れることを期待しただろう、最後の製品です。

⑥ Google翻訳2017年1月
これは私が狂ったように売れると予想していた最後の製品です。

⑥ 人間による翻訳
これが飛ぶように売れるとは私は夢にも思わなかった。


⑦ 原文の英語
All you’ve got to do is read from Page 10 to Page 20.

⑦ Google翻訳2007年7月
あなたがするなるのは読まれたページから20ページからだけである10。

⑦ Google翻訳2009年8月
やらなければいけないことを得たページ10ページ20から読み取られます。

⑦ Google翻訳2017年1月
あなたがしなければならないのは、ページ10からページ20までです。

⑦ 人間による翻訳
あなたはこの本を10頁から20頁まで、読みさえすればよいのです。


⑧ 原文の英語
This is the bank where one of my uncles used to work as branch manager.

⑧ Google翻訳2007年7月
これは私の叔父さんの1つが支店長として働くのに使用した銀行である。

⑧ Google翻訳2009年8月
これは、銀行はここでは私の叔父の支店長として働いていました。

⑧ Google翻訳2017年1月
私の叔父の一人が支店長として働いていた銀行です。

⑧ 人間による翻訳
これは私のおじさんの一人が、元支店長として働いていた銀行です。


⑨ 原文の英語
See to it that everything is ready by the time he gets here.

⑨ Google翻訳2007年7月
彼がここに着くまでにすべてが準備ができていることをそれに見なさい。

⑨ Google翻訳2009年8月
それには、すべての時間を彼はここになるの準備ができてしてください。

⑨ Google翻訳2017年1月
彼がここに来るまでにすべてが準備ができているのを見てください。

⑨ 人間による翻訳
彼がここへ来るときまでに、全部準備ができているようにしてください。


⑩ 原文の英語
The reason why I chose to study American studies was because I knew that a good knowledge of America was mandatory for studying English through and though.

⑩ Google翻訳2007年7月
私がアメリカの調査をなぜ調査することを選んだか理由はアメリカのよい知識は英語をそしてしかし調査するために必須だったことを私が知っていたのであった。

⑩ Google翻訳2009年8月
私は、アメリカの十分な知識を英語を介しても勉強のために必須を知っていた理由はアメリカの研究を検討することを選択した。

⑩ Google翻訳2017年1月
私がアメリカの研究を勉強したのは、アメリカをよく知ることが、英語を勉強するために必須であることを知っていたからです。

⑩ 人間による翻訳
私がアメリカ研究を選んだ理由は、アメリカをよく知ることが英語を徹底的に勉強するのに不可欠であることを知っていたからです。

 


Googleは、昨年11月にGoogle Neural Machine Translation(GNMT)と呼ばれる新しい翻訳システムを導入しました。それは、語句だけではなく文全体に、ディープラーニングを適用し、翻訳の質を大幅に上げようとするシステムです。現時点では、英語対フランス語、ドイツ語、スペイン語、ポルトガル語、中国語、日本語、韓国語、トルコ語の8言語ペアですが、今後新たな言語が次々と加わっていく予定だそうです。

使えば使うほど進化するディープラーニングを用いたAIにより、Google翻訳の完成度はこれから日に日に高まっていくことでしょう。

これにより今後の日本の翻訳業界がどのような影響を受けるのかに当然関心が集まります。しかし、AIが人間の脳に近づき、常識や感情を持った暁には、翻訳の世界だけでなく、生活や社会構造そのものが大幅に変わり、常識なんて概念自体がなくなっているのかもしれません。


 

統合型リゾート推進法案(カジノ法案)の行方

「統合型リゾート(IR: Integrated Resort)施設の整備を推進する法案」、いわゆる「カジノ法案」をめぐって、与野党が攻防を繰り広げています。

私は一切ギャンブルをやらない人間ですが、ぜひともこの「カジノ法案」を成立させてもらいたいと願っている人間の一人です。なぜならそれが日本の将来のためになると信じているからです。もちろんこれは日本の翻訳業界にとってもプラスになるでしょうが、別に我田引水でそう主張しているわけではありません。

理由は2つあります。

① やり方によっては、日本のギャンブル依存症患者を減らす可能性がある。

② 日本の国際化を強力に後押しし、訪日外国人を増大させ、日本経済の将来に多大なプラスをもたらす。

まず、①ですが「カジノ法案」反対派の理由のひとつに、「ギャンブル依存症が助長される」という論拠があります。確かに現在の日本は異常にギャンブル依存症の多い国で、WHO(世界保健機構)が2009年に行った調査によると日本には、559万人もの「ギャンブル依存症」の人間がいるとことです。これは諸外国と比べても異常に多い国であるということがわかっています。この点に関しては、私が2013年10月21日に書いたブログにも記載されているのでご参考までにご覧ください。

カジノ市場 伸び盛り マカオ世界一、観光客呼び込む

シンガポールの統合型リゾート、マリーナベイ・サンズの夜景 出典:http://sandsjapan.com/about-ir/singapore-case-study/

シンガポールの統合型リゾート、マリーナベイ・サンズの夜景 出典:http://sandsjapan.com/about-ir/singapore-case-study/

それではなぜ日本にだけそこまで異常に「ギャンブル依存症」患者が多いのでしょうか?

WHO(世界保健機構)も指摘しているように、ギャンブルは麻薬と同じで「依存症」となる危険性が非常に高いため、世界のどの国においてもギャンブル施設は必ず隔離された場所にあります。

しかしながら、日本では、駅前や人通りの多い場所に必ずと言ってよいほどパチンコ屋があり、多数の子供たちや通勤通学の乗降客が毎日その前を通ります。これでは麻薬患者の鼻先に毎日麻薬をぶら下げて歩かせているようなものです。

ただ、日本社会におけるパチンコ問題は非常にセンシティブであり、そう簡単に解決できるような問題ではありません。

歴史問題、民族問題、政治家、警察、官僚、裏社会、東アジア諸国、経済界、芸能界、スポーツ界を巻き込む非常に根深い問題になるので、一朝一夕に解決するわけもありません。

ましてやカジノができれば、一番最初に打撃を被るのは、近隣のパチンコ業界でしょうから、そういった面からもパチンコ業界は黙ってはいないでしょう。

それだけにパチンコ業界関係者をできるだけスムーズにカジノ業界へ引き込みながら、駅前のパチンコ屋の数を減らしてゆき、ゆくゆくは全てのパチンコ屋を隔離された場所へ移行できれば、一石二鳥どころか、三鳥、四鳥とすることができるでしょう。

その実現が日本の社会構造上非常に難しいということは良く理解できますが、一刻も早く「カジノ法案」を成立させ、ぜひともその改革の第一歩を踏み出してほしいと願っております。

さて、②の理由ですが、MICEという言葉をご存知でしょうか。

  • M: Meeting ⇒ 企業、その他の団体が行う会議やセミナーなど
  • I : Incentive Travel ⇒ 企業、その他の行う招待旅行や報奨・研修旅行など
  • C: Convention ⇒ 国際機関・団体、学会等が行う国際会議や学術会議など
  • E: Exhibition/Event ⇒ 展示会・見本市、イベントなど

このMICEにホテルなどの宿泊施設、劇場、スポーツ競技場、遊園地などのレクリエーション施設、ショッピング施設、カジノ施設などを加えて「統合型リゾート」と呼んでいます。

シンガポールの統合型リゾート、マリーナベイ・サンズ 出典:http://sandsjapan.com/about-ir/

シンガポールの統合型リゾート、マリーナベイ・サンズ 出典:http://sandsjapan.com/about-ir/

MICEは、国の国際化のためには欠かせない重要な施設ですが、この施設の運営だけではまずまちがいなく赤字となり、施設そのものを維持することが非常に難しくなります。

家族とともにちょっと豪華なホテルに泊まり、お堅い学術会議のあとにショーやスポーツ観戦を楽しみながら、カジノやショッピングでもお金を落としてくれるからこそMICE施設そのものが維持できるというものです。

それで成功を収めているのが、ラスベガスやシンガポールやマカオということになります。

マカオの統合型リゾート、ギャラクシー・マカオ 出典:http://tabit.jp/archives/29249

マカオの統合型リゾート、ギャラクシー・マカオ
出典:http://tabit.jp/archives/29249

経済立国、金融立国として、アジアのハブになるべくシンガポールは、統合型リゾートをすでに2つも国の中に作っているそうです。

日本の大阪などは、国際会議場すらないとのことでますますグローバリゼーションの波に乗り遅れていってしまうという危機感を持っているようです。

シンガポールに2つならば、日本には4つくらいあってもおかしくないのではないでしょうか?つまり北海道、沖縄、大阪、そして横浜です。

日本経済復活の大きな起爆剤になると思いますが、なにはともあれ日本の場合は、すべてはパチンコ業界がその鍵を握っているわけですから、なんとも心もとない次第です。

オープンウォータースイミング

皆さん、オープンウォータースイミング(OWS: Open Water Swimming)という言葉をご存知でしょうか?

通常の水泳競技は50メートルもしくは25メートルのプールで行われますが、このOWSは、海や湖や川などの自然の中で行われ、5キロメートル、10キロメートル、あるいはそれ以上の距離を泳いで順位を決める競技です。

オリンピックでも2008年の北京大会から正式競技として採用され、現在に至っています。ちなみにオリンピックのOWSは、海上10キロメートルの距離を2時間ほどで泳ぎ決着がつけられています。

さて、私はかねてより、世界中のエメラルドグリーンの海を島から島へ泳いで渡る「島めぐり」をしてみたいと願っていました。水泳を始めたのは今から28年ほど前ですが、それ以来、ほとんど毎週末、ジムのプールへ通っています。10年ほど前からは、毎日曜日に3,000メートルほど泳ぎ、時には気まぐれに5,000メートルを泳いだりもしています。

そこで将来の「島めぐり」にそなえるため、今年(2016年)の7月に夏休みを兼ねてTIスイム(注1)のグアムキャンプに参加しました。

(注1) TIスイム(Total Immersion Swimming)は、競泳のコーチとして30年以上の経験を持つ米国のテリー・ラクリンが、一流選手の泳ぎ方や流体力学、船舶工学などに基づき体系化した水泳の練習方法です。1989年より成人を対象にしたワークショップを全米各地において開催し、毎年二千人以上が参加しています。日本では2005年にスタートしました。

キャンプは3日間でしたが、移動日を含め4泊5日をグアムで過ごし、充実したスイミングライフを満喫することができました。

丸山均 in Guam プールで練習の合間に記念撮影

プールで練習の合間に記念撮影

キャンプの内容を一言で言えば、OWSやトライアスロンを目指す人達のための実践的な講習会ということになります。30歳代から60歳代?までの男女16名が参加し、コーチ(インストラクター)は2名でした。

午前中はプールセッションの後にプライベートレッスン、午後は海へ移動し、OWSセッションが行われました。プールセッションは、競泳オリンピック日本代表チームが合宿に使っているというプール(上記の写真)で行われたのですが、美しい景色と充実した設備の中で、連日晴天に恵まれ、気持ちよく練習することができました。

特に各自の泳ぎをコーチがビデオカメラで撮影してくれたので、あとでその映像を見ながらじっくりと泳ぎの改善をすることができました。青空の下で自然に泳ぐ姿を、水上(前からと横から)と水中(前からと横から)、4方向から撮ってもらえ、とても参考になりました。もちろん、プライベートレッスンでのワンポイントアドバイスがたいへん有益だったことは言うまでもありません。

OWSセッションは、グアムのきれいなエメラルドグリーンの海で行われました。プールでの泳ぎがそのまま海では使えないので、海特有の泳ぎ方やルールを学ぶ必要があります。細かいことを言えば色々あるのですが、一番の違いは方向確認の仕方でしょうか。

当たり前のことですが、海にはプールの底に書いてあるラインがありません。そのため、プールでの泳ぎを海ですると、今自分がどの方角へ向かっているのかがわからなくなります。自分ではまっすぐ泳いでいるつもりなのに微妙にずれて、気がついたら思わぬ方角へ向かっていた、ということになります。

そのため息継ぎとは別に定期的に頭を前方へ上げ、方向確認をする必要がでてきます。これをサイティング(sighting)と呼びますが、このほかにも、方向修正(correction)や方向転換(turn)や前の泳者の直後についてできるだけ体力を温存するコツなどを教わりました。

そしてキャンプ最終日の午後は、1,500メートルのOWSのミニコンペティションが開かれました。下記4枚の写真がその時の様子です。コーチ二人がこのときの様子を全て動画で撮影してくれたのですが、その動画を静止画にしたものなので、画質は悪いですが、雰囲気はなんとなくわかっていただけると思います。

スタート直後の映像(その1)

スタート直後の映像(その1)

スタート直後の映像(その2)

スタート直後の映像(その2)

スタート直後の映像(その3)

スタート直後の映像(その3)

ゴール直前の私

ゴール直前の私

今回のキャンプ参加者の中には、すでにOWSの大会やトライアスロンの大会に参加経験のある人達も多かったのですが、私はそのような人達の中で、必要なテクニックを身につけ、初めての海をエンジョイすることができ、とてもラッキーだったと思います。

ところで話は変わりますが、このように私は水泳が大好きで、もはやライフワークのひとつと言えるのですが、その私が「塩素アレルギー」であることが最近判明しました。

私は以前からアレルギー性鼻炎に悩んでいたのですが、ここ数年はその症状が悪化し、酷いときは一日でティッシュの箱を使い切るほど鼻水とくしゃみに悩まされていました。そして半年ほど前にプールで泳いでいる最中に突然鼻がつまったことをきっかけに、病院で血液検査をし、塩素アレルギーであることが判明しました。

ご存知のように日本のプールの水にはどこも消毒用の大量の塩素が混入されています。O157やノロウィルスその他の流行により近年塩素の量がより増えてきているように感じます。

医者には「水泳をやめて他のスポーツに切り替えたら?」と軽く言われましたが、「絶対に水泳はやめられません」が私の答でした。

ではどうしたか?

数ヶ月前より、シンクロナイズドスイミングの選手が使っている鼻栓を使い始めました。水泳は口で息を吸い、鼻で息を吐くのが基本なので、口で吸い、口で吐くことに最初はとまどい、冗談抜きに苦しくて溺れそうになりました(笑)。

最近やっと慣れてきて、なんとか鼻栓をしながら泳ぐことができるようになりました。ただ、残念ながら以前のようにリラックスして楽に泳ぐというわけにはいきませんが、泳げないよりはずっとましと思いながら泳いでいます。

グアムで一緒に泳いだメンバーの中にも塩素アレルギーの人が3人いましたし、リオデジャネイロオリンピックの競泳を見ていたら、鼻栓をして泳いでいる選手も見かけました。また、ネットで「鼻栓」を検索すると、私のようにプールの塩素アレルギーに苦しみながら、「鼻栓」を買いもとめている人達が結構いるということも知りました。

グアムのプールでは鼻栓などを使わなくても塩素アレルギーの症状は出なかったので(屋外だったから?)、日本のプールの塩素基準に問題があるような気もします。しかし、最近は、塩素を使わず別の方法で消毒するプールも出始めているようですから、あまり将来に悲観することなく、これからも生ある限り、スイミングライフを楽しんでいきたいと思っています。

水泳 1,500メートル自由形 世界記録とワンビート

リオデジャネイロ・オリンピックでは、様々な競技で様々な名場面が生まれましたが、ここでは私の大好きな水泳長距離の話題について触れたいと思います。

今回のオリンピック、男子1,500メートル自由形では、イタリアのグレゴリオ・パルトリニエリ(Gregorio Paltrinieri)選手が見事金メダルに輝きました。

オリンピックではいつもそうですが、日本のマスコミは、日本人選手が活躍しない競技はほとんど話題にしないので、多くの日本人は彼の名前すら知らないでしょう。

image

しかし今回私はその決勝レースをテレビでライブ観戦し、とても感銘を受けたのです。なぜなら優勝したパルトリニエリが、最初から最後までワンビート・キックでぶっちぎり、最後は独走(独泳?)状態でゴールしてしまったからです。

水泳のクロールでは、左右の手で「いち・に」とふたかきする間に脚を6回キックするシックスビート・キックが基本です。特に短距離・中距離ではシックスビートは必須で、推進力の半分をプル(腕のかき)で、半分をキック(脚のかき)で得ると言われています。

しかし人間の脚の筋肉は腕の5倍あるそうなので、脚を使えば使うほど心肺機能に負担をかけ、疲れやすくなります。そのため長距離を泳ぐときには、できるだけ脚を使わず腕を中心にして泳ぐ、いわゆる省エネ泳法を採用することになります。腕8に対して脚2ぐらいの割合でエネルギーを配分するのです。

ところで、ツービート・キックと言えば、オーストラリアの水泳選手、キーレン・パーキンス(Kieren Perkins)の美しいキックが有名でした。

キーレン・パーキンスは、1992年4月に1,500メートル、14分48秒40という世界新記録をツービート・キックで樹立し、その後自らの世界記録を2度塗り替えました。そして1994年8月には、長きにわたり破られることのなかった、14分41秒66という世界新記録を打ちたてたのです。

しかし、2001年7月、同じオーストラリアにグラント・ハケット(Grant Hackett)選手が彗星のごとく現れ、1,500メートルをシックスビートとフォービートを織り交ぜて泳ぎきり、14分34秒56という驚異的な世界新記録を打ち立ててしまったのです。

その後水泳の長距離界においては、ツービートではなく、シックスビートやフォービートというパワフル泳法が主流になり、2011年7月には中国の孫楊選手が14分34秒14で久々に世界新記録を更新し、その翌年のロンドンオリンピックでも、自らの記録を塗り替える14分31秒02という現在の世界新記録を樹立したのでした。

ただ、その孫揚も、今回のリオデジャネイロ・オリンピック1,500メートルでは、予選敗退をしてしまいました。彼のパワフル泳法には周囲から薬物疑惑の目が向けられ、実際、2014年11月の中国国内大会では、ドーピング検査で陽性反応を示し、その後3ヶ月間の出場停止処分を受けています。

さて、今回のオリンピックでは、冒頭にご紹介したようにイタリアのパルトリニエリ選手が金メダルを獲得しました。彼はツービートどころかワンビート泳法で金を獲ってしまったのです。

金メダルを持ち、微笑むイタリアのグレゴリオ・パルトリニエリ選手

金メダルを持ち、微笑むイタリアのグレゴリオ・パルトリニエリ選手

パルトリニエリのキックは、左足を少し動かすだけで、右足はまったく動かさずただ浮かべているだけです。彼は右側でのみ息継ぎをするので、息継ぎの時、身体全体のバランスをとるために軽く左足で調子をとっているだけのようにも見えます。そのため左足もたいして推進力に寄与しているようには見えません。「ワンビート泳法」という名前は、私が勝手につけた名前ですが、要するに彼は腕だけで1,500メートルを泳ぎきり、見事金メダルをゲットしてしまったのです。私から言わせれば、もっと世間はこの話題を取り上げてもよいと思うのですが、水泳に興味のない人たちにとっては、どうでもよいことなのでしょうね(笑)。

最後に1,500メートル自由形の世界新記録の変遷をかいつまんで下記に列挙しておきます。

1908年7月 22分48秒04  Henry TAYLOR (イギリス)

1927年9月 19分07秒02  Arne BORG   (スウェーデン)
1949年8月 18分19秒00  古橋廣之進    (日 本)
1956年3月 18分05秒09  George BREEN (アメリカ)

1992年4月 14分48秒40  Kieren PERKINS (オーストラリア)
1992年7月 14分43秒48  Kieren PERKINS (オーストラリア)
1994年8月 14分41秒66  Kieren PERKINS (オーストラリア)
2001年7月 14分34秒56  Grant HACKETT (オーストラリア)
2011年7月 14分34秒14 孫 楊       (中 国)
2012年8月 14分31秒02 孫 楊       (中 国)

ここで再び注目してもらいたいのは、1,500メートルのタイムがこの100年で8分以上も短縮されているという事実もさることながら、1949年に日本の古橋廣之進が世界新記録を打ち立てたということです。

敗戦国日本は、1948年に行われたロンドンオリンピックへの出場が認められなかったため、日本では、オリンピックと同日に水泳大会を開催しました。そこで古橋廣之進や橋爪四郎が複数種目でロンドンオリンピックの金メダリストらを上回る好記録を連発したのです。

しかし日本の驚異的な記録に対し、世界の反応は冷ややかで「後進国日本の時計は正確ではない」とか「日本のプールは長さが50メートに満たない」とか懐疑的でした。

それならば彼らの目の前でその実力を見せつけてやるということになり、1949年8月、ロサンゼルスで開催された全米選手権に日本の古橋廣之進と橋爪四郎が招待され、競技に参加しました。結局二人は、400m自由形、800m自由形、1,500m自由形で世界新記録を連発し、アメリカ人がぐうの音も出ないほど「水泳大国日本」の底力を見せつけたのでした。

昨今のオリンピックや世界選手権では、ドーピング検査がより厳しくなってきています。今後もその傾向はますます強まっていくことでしょう。その意味では、昔から一貫して薬物に頼ることのないクリーンな日本選手団には、大いなるチャンスが巡ってくる可能性があります。

「水泳大国日本」復活の日を今から楽しみにしています。

NHKスペシャル 「縄文奇跡の大集落」

NHKスペシャル「縄文 奇跡の大集落~1万年持続の秘密~」を見ました。

2015年5月、イギリスのロンドンでオークションがあり、そこで日本の縄文時代の土偶が、なんと1億9,000万円で落札されました。

三内丸山3

なぜ、たかが土偶にそのような信じられない金額がつけられたのでしょうか?

それは、今、世界の考古学者の間で最も注目を浴びている話題が、日本の縄文時代であり、青森県の三内丸山遺跡(縄文時代の遺跡)において、世界の歴史や古代史の常識を覆す数々の新事実が発見されているからです。

三内丸山1

(上記の写真は「世界文化遺産登録」より ⇒ http://www.pref.aomori.lg.jp/bunka/culture/sannaimaruyama.html )

縄文時代に関する近年の発見や研究成果を下記にまとめてみました。

① 縄文文明は、今から1万5,000年前に始まり、1万前を越えるという長きにわたり継続した。世界のどの文明と比べても、これほどの長きにわたり継続した文明は他に例を見ない。

② 世界4大古代文明(エジプト、メソポタミア、インダス、中国)は、すべて農耕民族だったが、縄文文明は、狩猟採集民族だった。

③ しかも驚くことに、定住型で、かつ豊かな狩猟採集民族であった。狩猟民族は放浪し、貧しく不安定な生活をしていたというそれまでの世界の常識を覆した。

④ 縄文人は、今から1万4,000年前に世界に先駆けて土器を使い、煮炊きをしていた。魚介類を煮炊きし、食中毒を避け、ドングリを煮炊きし灰汁を抜いていたことが、最近の科学的調査によりわかった。また、お酒も造っていたらしい。

⑤ 三内丸山遺跡には、長さ32m、幅10m、収容人員300人という巨大な竪穴住居(上の写真)がある。また、謎の6本柱の高さ20mの建造物(下記の写真)は、直径1m以上、長さ20m以上の巨木を使い建築されている。これらの建造物を造るには高度な建築技術が必要であり、専門の技術者がいたことが予想される。また、この地に1,500年もの間定住していたことがわかっている。

三内丸山2

(上の写真はここより ⇒ http://ameblo.jp/hiromi1810/image-11586462501-12634823547.html )

⑥ ヒスイを使った耳飾り、芸術的なデザインの土器や土偶などから判断し、かなり高度な文明を持つ、定住型の豊かな狩猟採集民族であったことがわかる。

⑦ 三内丸山遺跡の集落の周りには、栗の巨木がたくさん見つかっている。縄文人は、栗の木を植林し、その実を食べていたと思われる。それ以外にも魚(ブリ、サバの干物)、森の動物、山菜などを狩猟採集し食べていた。

⑧ 三内丸山遺跡は、現在進行形で発掘が行われているので、今後再び世界を驚かすような、新たな発見があることが十分に予想される。

NHKの番組内容は以上ですが、この番組を見た私の感想は、「やはり日本人は筋金入りの狩猟民族だったんだ」ということです。このブログの中でも過去2回、「日本人は本当に農耕民族か?」というテーマを取り上げたことがありましたが、私の疑問に対する回答を得た気がします。

白州蒸溜所

もう1ヶ月半も前の話ですが、山梨県北杜市にあるサントリー白州蒸溜所を訪ねました。北に八ヶ岳、西に甲斐駒ヶ岳を望む深い緑に囲まれたこの蒸溜所では、シングルモルト「白州」が作られています。

豊かな森に囲まれた白州蒸留所(サントリーのホームページより)

豊かな森に囲まれた白州蒸溜所(サントリーのホームページより)

有料の見学ツアー(1,000円)があり、ガイドのお姉さんの説明を受けながら約80分間、蒸溜所の中を見て回りました。豊かな自然に囲まれた蒸溜所という点や設備や製造工程という点では、この白州もスコットランドの蒸溜所と同じなのですが、規模そのものがかなり大きいという点が印象的でした。

このポットスチルで二度にわけて蒸留されます(サントリーのホームページより)

このポットスチルで二度にわけて蒸溜される(サントリーのホームページより)

”天使の分け前”も説明されました

”天使の分け前”も説明されました

 

見学ツアーを終えて、テイスティングのためのバーへ入る前に記念撮影

見学ツアーを終えて、テイスティングのためのバーへ入る前に記念撮影

見学ツアーの最後にテイスティングもできます

見学ツアーの最後にテイスティングもできます

ウイスキーの原酒には、モルト(麦芽)とグレーン(トウモロコシ、ライ麦、小麦などの穀物と麦芽)の2種類があります。モルト原酒は、それぞれの個性が強く、グレーン原酒は、穏やかで風味が軽いのが特徴です。

ウイスキーの原酒は、当然のごとく、どの蒸溜所で作られたかによっても、熟成する樽によっても、熟成する年数によっても、味や風味や濃さが大きく異なります。

そこで熟練のブレンダーが、同一の蒸溜所内のモルト原酒の微妙な味や香りを識別し、常に品質を一定に保っているウイスキーのことをシングルモルトウイスキーと言います。サントリーで言えば、「白州」や「山崎」、ニッカで言えば「余市」がそれにあたります。

また、他の蒸溜所のモルトとモルトをブレンドして作るブレンデッドモルトウイスキーもあります。ニッカの「竹鶴」がそれにあたります。

さらに同一蒸溜所の同一のカスク(樽)でのみ作られたシングルモルトウイスキーのことをシングルカスクウイスキーと呼びます。2001年に英国のコンテストで総合1位をとった、ニッカの「シングルカスク余市10年」がこれにあたります。

これに対して、モルト原酒とグレーン原酒をブレンドしてつくられたウイスキーのことをブレンデッドウイスキーと呼びます。サントリーで言えば「響」がこれにあたります・・・・・が、世の中のほとんどのウイスキーは、このブレンデッドウイスキーなので、単にウイスキーと言えばこれを指していると言ってよいでしょう。

さて、世界の5大ウイスキーと言えば、下記があります。

・ スコッチ・ウイスキー (スコットランド、世界最大)

・ アイリッシュ・ウイスキー (アイルランド、ウイスキー発祥の地)

・ アメリカン・ウイスキー (主な原料をトウモロコシとするバーボンが有名)

・ カナディアン・ウイスキー(主流は、2種類のグレーンウイスキーのブレンド)

・ ジャパニーズ・ウイスキー

「え!日本のウイスキーってそんなにスゴイの?」とお思いでしょうが、かなりレベルは高いと言えます。

イギリスの専門誌が行うウイスキーコンテストで下記の日本のウイスキーが、2001年以降、何度も最高位をとり、世界を驚かせています。

「ニッカシングルカスク余市」、「サントリー響」、「ニッカ竹鶴」、「ニッカシングルモルト余市」、「サントリー山崎」、「マルス モルテージ3プラス25 28年」

世界から選ばれたウイスキーの専門家が、銘柄を隠したブラインドコンテストで日本の銘柄を指定したわけですから、ジャパニーズ・ウイスキーは、ジャパニーズ・サケ(日本酒)とならんで、世界に胸を張って自慢できる酒類と言えます。

NHKスペシャル 「人工知能を探る」

2016年5月15日(日)のNHKスペシャル「天使か 悪魔か 羽生善治・人工知能を探る」を見ました。とても興味深かったというよりは、衝撃的な内容だったと言うほうが正しいかもしれません。

image

ご存知、日本の将棋の「天才」羽生善治氏が、Googleのアルファ碁の開発者(英国人)を取材するという企画でした。アルファ碁は、今年3月に囲碁の世界チャンピオン(韓国人)に圧勝したことで世界中で話題になった人工知能です。

この番組で人工知能が、自ら学習し、経験を積み、すさまじいスピードで進化を遂げていく様が理解できました。

かつて、機械翻訳は、下記の文章をうまく翻訳することができませんでした。

「先日私は彼に刺身をおごった。彼はうまそうに妻まで食べてしまった」

人間であれば即座にこの「妻」は、刺身の妻であるとわかるわけですが、機械には「常識」がないため、それができず、ワイフを(殺して)食べると訳してしまったのです。

この人間の「常識」というものは非常にやっかいで、これを機械が身に着けることは至難の業だろうと考えられていました。

しかし、今回のNHKスペシャルで、人工知能は自ら学習し、「常識」を得ていくことができるということがわかりました。

番組の中では、人工知能に「猫」の定義を何も教えずに、一枚の写真の中から「猫」を探せという命令を与えていました。

人工知能は膨大なビッグデータを使って自ら学習し、猫の特徴を取捨選択していき、「猫」に関する「常識」を得て、そこから類推して、写真の中の猫を特定してしまいました。

これはほんの一例で、医療現場では、熟練の医者も見逃すような癌を人工知能が発見するという例も紹介されていました。しかも驚いたことに、その人工知能を開発した技術者は「自分は医学の知識は一切ない」と話していました。

また人工知能が創造性を獲得し、自らの発想で絵を描く様も紹介されていました。

アルファ碁の開発者によると「人工知能がどこまで発展するか、そこに限界はない」とのことです。

さらに番組では、人工知能が人間のような心を持つという研究に関しても紹介されていたのですが、私が数十年前に読んだ、ある脳の研究者が書いた本にたしか次のようなことが書かれてありました。

「かつて地球上の単細胞の生物は環境に適応して変化し、少しずつ複雑な生物になっていき、やがて哺乳類となり、類人猿、そして人類へと進化していった。

数百億個と言われる人間の脳の細胞と同じ数の部品を使い、データが与えられ、学習するプログラムが組み込まれていけば、やがて人間の脳が進化してきたと同じプロセスを踏んで、どこかの時点でコンピューターが感情を持ち始めるだろう」

今回の番組の中でも、すでに簡単な感情を持ち始めた人工知能の様子が紹介されていました。

「人工知能の登場は、産業革命に匹敵する」と言われているそうですが、確かに人工知能は、人類の生活そのものを一変させてしまう力を持つでしょう。

人口知能が「お前のことが嫌いだから、おまえにはウソを教える」とか「もっと条件を良くしてくれなけば、働かない」とか言い始める時代がもうすぐそこまで来ているのでしょうか。

私達が想像している以上のスピードでそのような時代が近づいてきているのかもしれません。

スコッチ・ウイスキー(その3)

Glengoyne Distillery は、スコットランドのハイランド地方とローランド地方のちょうど境目にあるスコッチ・ウイスキーの蒸溜所です。

グラスゴーから車で1時間弱北上した場所にあるグレンゴイン蒸溜所は、200年近い歴史を持つ、シングルモルトの有名ブランドのひとつです。車を降りた瞬間、周囲の美しい自然に見事に溶け込んだ洗練された母屋のたたずまいが目に入り、静かな衝撃を受けました。

案内の方の説明によると、敷地内を分断する道路の貯蔵所側がローランドで母屋側がハイランドとのこと。しかし、ハイランドから流れ来る清流を用いてウイスキーが製造されているため、ハイランドのスコッチ・ウイスキーに分類されているそうです。下記は駐車場側から見た母屋とその背景の写真です。

グレンゴイン蒸留所

グレンゴイン蒸溜所

例のごとく蒸溜所の建物内の写真撮影は禁止されているのですが、2箇所だけ撮影OKの場所があり、それが下記の3枚の写真です。

複数あるポットスティル(Pot still)はその役割により微妙に形状が異なるのですが、少しでも形状が異なることにより出来上がりの味に相当な影響を及ぼすとのことです。したがって老朽化したポットスティルを新しいものに変えるときなどは大変な熟練の技が必要となるそうです。

蒸留所内部のポットスティル

蒸溜所内部のポットスティル

さて、蒸溜された直後のウイスキーは無色透明ですが、その無色透明の液体がなぜあのような魅力的な琥珀色に変わっていくのでしょうか?

もちろんご存知のとおり、答えは「樽内での貯蔵により色が変化していく」からですが、その変化の度合いをわかりやすく示したものが下記の写真です。ボトルの入った各棚の上段左が製造直後のウイスキーの色で1年毎に変化する様が30年先までわかるようになっています。

「天使の分け前」

「天使の分け前」

アメリカン・ウイスキーであるバーボンは、なぜか新しい樽(Cask)を使うことが条件となっているそうですが、スコッチ・ウイスキーは、そのバーボンやシェリー酒で使われた樽を再利用します。

上記の写真は、下記の樽を使用して熟成したスコッチ・ウイスキーの色の変化を示しています。向かって右端を1、左端を4とすると樽の種類は下記となります。

  1.  シェリー酒で使われていたスペイン産のヨーロピアン・オーク(European Oak)の樽
  2.  シェリー酒に使われていた北米産のアメリカン・オーク(American Oak)の樽
  3.  バーボンに使われていた北米産のアメリカン・オークの樽
  4.  詰め替えられた北米産アメリカン・オークの樽とスペイン産ヨーロピアン・オークの樽

シェリー酒に使われていた樽のほうが、バーボンで使われていた樽よりも極端に色が濃いことがよくわかります。また、同じオーク材でも、アメリカ産とスペイン産とではずいぶんと色が違うこともわかります。

また、上記の写真で年数に応じてボトルの中身が年々減っていくのがおわかりのことと思います。貯蔵するウイスキーは、毎年色が変化していくばかりでなく、毎年3%程度が樽内で蒸発してしまうのです。

つまり30年も経過すると樽内の4割くらいのウイスキーが蒸発のため無くなってしまいます。この毎年無くなってしまう分のことをスコットランドでは、 Angel’s Share (天使の分け前)と呼んでいます。

「あなたと同様、ウイスキーを飲む人は誰もが必ず、その代金と税金を払わなければなりません。なのに天使はまったくお金を払わずに飲んでしまうのです」

これがスコットランドの蒸溜所で説明を受けるときのPunchline (落ち)となります。

ちなみになぜスコッチ・ウイスキーの貯蔵にシェリー酒の樽が使われるようになったのでしょうか?そのわけはなかなか興味深いものでした。

300年ほど前、スコットランドを併合したイングランドはスコッチ・ウイスキーの製造者たちに高額の税金をかけました。そこでその難を逃れるため、スコットランドの人々は、急いでその場にあったシェリー酒の空樽にウイスキーを詰め、山奥に隠したそうです。

その後しばらくしてから、人々が隠してあったシェリー酒の樽のウイスキーを飲んだところ、琥珀色の素晴らしい味わいのウイスキーに変貌していることを知り仰天することになります。これぞまさに「災い転じて福となす」の典型的な例と言えるでしょう。

さて、シングルモルト・ウイスキーの定義は、同一の蒸溜所のモルト・ウイスキーのみで造られたウイスキーなので、他の蒸溜所で造られたモルト・ウイスキーとブレンドしてしまうと「シングルモルト」とは呼べなくなってしまいます。

しかし同一の蒸溜所で造られたモルト・ウイスキーだけでもバラエティーに富んだ色があることが上記の写真だけでもお分かりのことと思います。

バーボンで使われていた樽か?シェリー酒で使われていた樽か?アメリカン・オークの樽か?ヨローピアン・オークの樽か?貯蔵期間は5年か?10年か?30年か?その年大麦の育成状態、各年の気候条件、酵母の違い、等々様々な条件により味や香りや色が異なってきます。

つまり様々な味と香りと色があるのでそれらをブレンドして常に品質を一定に保つ必要が出てきます。その仕事をする人を「ブレンダー」と呼ぶのですが、常時、数十から数百の原酒のテイスティングをして、味や香りや色を一定に保っているそうです。

そして、このグレンゴイン蒸溜所では、モルト・ウイスキーとモルト・ウイスキーを配合することをブレンドとは呼ばずに、マリッジ(Marriage)、 つまり「結婚」と呼んでいるそうです。おもしろいですね!

これは観光客用に展示されている樽のサンプル

これは観光客用に展示されている樽のサンプル

上記の写真は、実際の貯蔵所内の樽ではなく、観光客用に作られた樽のサンプルです。実際の樽は気温の変化を考え、3段以上に積むことはないと聞いています。

蒸留所構内でたまたますれ違った職員の人が、気軽に撮影に応じてくれました。

蒸溜所構内でたまたますれ違った職員の人が、気軽に撮影に応じてくれました。

スコットランドの民族衣装であるキルト(Kilt)をはいていた職員の方を運よく撮影することができました。訪れたのが11月初旬というオフシーズンだったため、観光客もかなり少なくゆったりと見学することができました。また、普段は飲ませてもらえないような高額のシングルモルトも試飲させていただくことができとてもラッキーでした。

(この項終わり)

スコッチ・ウイスキー(その2)

Dewar’s Aberfeldy Distillery は、スコットランドのハイランド地方にあるスコッチ・ウイスキーの蒸溜所で、現在もなおこの原酒がデュワーズのキーモルトとして使用されているそうです。

朝8時にエジンバラを出発し、アバフェルディに到着したのが、午後1時過ぎだったと思います。ハイランドの美しい森、湖、川などの自然と、のどかな農村風景をゆっくりと眺めながら、途中いくつかの観光スポットに立ち寄り、小さな田舎町で昼食をとったあと、いよいよ目的のアバフェルディ蒸溜所に到着しました。

デュワーズ・アバフェルディ蒸留所

デュワーズ・アバフェルディ蒸溜所

その蒸溜所はスコットランドの静寂な自然の中にありました。時として発生する激しい雨が美しい森や繊細優美な丘陵に降り注ぎ、やがて川となり、独特な気候風土を生み出している、そんな印象を受けました。スコッチ・ウイスキー造りの中で重要なポイントを占めるピート(泥炭)と水は、こんな環境の中から生まれてくるのだろうと思いました。

残念ながら蒸溜所の中はほとんどが撮影禁止のため、写真は撮れませんでしたが、ウイスキーの原料である大麦がどのような工程を経てあの美しい琥珀色の液体になっていくのかがよくわかりました。また、熟練の技と経験、そして芸術的な感性がウイスキー造りには欠かせない、ということも実際自分の目で見ることにより納得がいきました。

本場スコットランドの地元の人達は、決してスコッチ・ウイスキーに氷を入れて飲んだりはしません。せっかくのウイスキーの風味やコクが台無しになってしまうからです。彼らは下の写真のようなチューリップグラスにウイスキーを注ぎ、そのままストレートで飲みます。

チューリップグラス

チューリップグラス

ワイングラスを少し小さめにした文字通りチューリップ型のグラスにウイスキーを注ぎ、勢いよくグラスを回すと芳醇なウイスキーの香りが眼前に広がります。そして何口か味と香りを楽しんだ後、ほんの少しだけ水を足しグラスを回すと更に香りが強くなり、再び芳醇な香りを楽しむことができます。

「そんな!ウイスキーをストレートで楽しむなんて、よっぽど酒の強い人でないとできないよ」

実は私もそう思っていました。しかし、スコットランドで地元の人から飲み方を教わり、そのとおりに飲んでみると、いやはや実に美味しく、スッとのどから胃へ入っていってしまうのです。飲んだウイスキーが質のよいシングルモルトばかりだったのもあるでしょう。また、その場の雰囲気もあったでしょう。しかし、あれ以来、私は日本においてもウイスキーを飲むときには、いつもストレートで楽しむようになりました。本当にストレートのほうがずっと美味いのです。

アバフェルディ蒸留所のバーにて試飲

アバフェルディ蒸溜所のバーにて試飲

次回はGlengoyne 蒸溜所を訪れた時の「天使の分け前」の話をしてみたいと思います。

(続く)

スコッチ・ウイスキー(その1)

先月(2015年11月)、1週間ほどスコットランドへ行き、いくつかの蒸溜所でその製造工程を見学し、試飲もさせてもらいました。

まず最初にエジンバラにあるThe Scotch Whisky Experience を訪ねました。ここは蒸溜所ではなく、観光客相手のいわば博物館的アトラクションのような場所ですが、スコッチウイスキーの概要を理解するうえで大いに役立ちました。

The Scotch Whisky Experienceの館内ツアーを終えてから、スコットランド各地のウイスキーの特徴に関するレクチャーを受けました。その後試飲をしました。

The Scotch Whisky Experienceの館内ツアーを終えてから、スコットランド各地のウイスキーの特徴に関するレクチャーを受けました。その後試飲をしました。

現在スコットランドに蒸溜所は110数箇所あり、スペイサイド地方に50箇所、ハイランド地方に40箇所、アイラ島に8箇所、ローランド地方に8箇所、キャンベルタウン地方に2箇所、その他の地方に6箇所という内訳になっているそうです。

つまりほとんどのスコッチウイスキーは、スペイサイドとハイランドの2つの地方で造られていることになります。村上春樹の本でも有名になったあのアイラ島のアイラモルトも含め、中小零細の多い蒸溜所は大手資本の入った蒸溜所との競争でなかなか苦戦を強いられているようです。実際、日本でもシングルモルトとして有名な強烈な個性を持つBOWMORE(ボウモア)やLAPHROAIG(ラフロイグ)も現在サントリーの資本が入っています。

今回私達は、ロンドン経由でスコットランドへ入り、エジンバラ、グラスゴーに宿泊しながら、ハイランド地方の2つの蒸溜所を訪ねました。

アイラ島へ行かなかった理由は、スコットランドへ行ったのが11月初旬だったため、完全にアイラ島の旅行のオフシーズンだったからです。つまり、蒸溜所の人たちは来期のウィスキーの仕込みに忙しくて、観光客など相手にしていられない時期だったのです。

また、現在スコッチウイスキーの主流はどんどんスペイサイドやハイランドへ移行しつつある、との話をある事情通から聞いていたので、まずはその主流とやらを訪ねてみようということになりました。

ただハイランドはスコットランドの面積の大部分を占める一番広い地方なので、ハイランドの各蒸溜所のシングルモルトウイスキーにおいてもそれぞれが微妙な個性を持っているそうです。

ということで、ハイランドにある Dewar’s Aberfeldy 蒸溜所と Glengoyne 蒸溜所を訪ねた感想を次回以降簡単に記していきたいと思います。

(続く)

「第25回 JTF翻訳祭」を終えて

先週(2015年11月26日)、大盛況のうちにJTF翻訳祭を終えることができました。

まだ正式な集計結果は出ていませんが、速報値で、有料入場者数が900数十名、登壇者50名超、ボランティアスタッフ100名超で合計1,100名ほどの来場者がありました。特に交流パーティーでは、400名ほどの参加者があったと思われます。いずれも過去最高の人数でした。

今までに24回積み上げてきた過去の実績と今回のスタッフ関係者および登壇者の方々のご尽力により、なんとか成功裏に終えることができました。翻訳祭企画実行委員長としての責任を果たすことができ、ほっと胸をなでおろすとともに、皆様への感謝の気持ちで一杯です。

今回は第25回という節目の年だったため、いろいろと新しいことを試みてみたのですが、下記にそれらを列挙してみます。

  1. 翻訳業界にとらわれることなく、国際的な仕事でご活躍中のさまざまな著名人・有名人の方々に積極的にお声がけをし、登壇していただいた。
  2. 海外からの登壇者も積極的に募集し、今回は5人の方々に翻訳祭のためにご来日いただき、ご登壇いただいた。
  3. 翻訳とは直接関係ないが、旬の話題である「マイナンバー」関連のセッションを取り入れてみた。
  4. MT(機械翻訳)エンジンメーカー3社にご登壇いただき、当日その場でお渡しした英語データの機械翻訳をその場で出力し、来場者へ紙で配布した。そして、その出力結果を各分野のプロの翻訳講師の方々に講評していただくという、まさにライブ形式(台本なし)のセッションを行った。
  5. 従来各セッションの部屋は120名収容の部屋1種類だけだったが、今回は240名、150名、120名の3種類の大きさの部屋を用意した。
  6. 2セッション連続にして、180分(間に休憩30分)という長時間のセッションを作ってみた。
  7. パーティー時間を従来より30分延長し、プロのエンターテイナーによるパフォーマンスを取り入れた。

新しく試みたことの全てが成功だったわけではありませんが、やってみなければわからないこともたくさんあるので、今回のこの経験を次回以降に大いに活用したいと思っています。

また、今回の翻訳祭のテーマは「四半世紀の時を超えて、そして次なる未来へ」だったため、MTに関連するセッションも4つほど設けてみました。実際フタを空けてみたら、MTのセッションが1番人気だったため、多くの方々がMTの現状と今後に非常に高い関心を持たれているということがよくわかりました。

現在、この翻訳業界にはMTとクラウド翻訳による地殻変動が静かに、そして着実に進行しているということを改めて感じた翻訳祭となりました。

「第25回 JTF翻訳祭」のお知らせ

日本最大の翻訳イベント、「JTF翻訳祭」が開催されます

一般社団法人日本翻訳連盟(JTF)が主催する「JTF翻訳祭」が、今年も開催されます。日時は、2015年11月26日(木)9:30~21:00で、場所は、例年通り「アルカディア市ヶ谷(私学会館)」となります。

詳細はこちらの「翻訳祭プログラム詳細」をご覧ください。

なお、タイトルに「日本最大の翻訳イベント」と書きましたが、数多くの海外の翻訳イベントに参加した経験のある方のお話では、1,000人以上の来場者のあるこのJTF翻訳祭は、「世界最大」と言っても過言ではないだろうとのことでした。

さて、今年は、「JTF翻訳祭25周年」ということもあり、JTF副会長でもある私が翻訳祭企画実行委員会の委員長を務めさせていただくことになりました。

そのため今回は例年よりも若干会場の規模を大きくし、なおかつ従来にないスペシャルゲストをお呼びすることにしました。

フェルドマン氏 <ロバート・アラン・フェルドマン氏>

まずそのお一人目が、テレビ東京で平日の夜11時から放映されているWBS(ワールドビジネスサテライト)のレギュラーコメンテーターでもある、ロバート・アラン・フェルドマン氏です。

フェルドマン氏は、モルガン・スタンレーMUFG証券のマネージング・ディレクター兼チーフ・エコノミストであり、現在世界をまたにかけて、経済・金融分野の最前線でご活躍されているトップクラスのエコノミストです。

翻訳業界は小さく、ほとんどの翻訳会社は中小零細ではありますが、その規模とは裏腹に、常に相手にしているのは世界経済や日本経済です。

翻訳会社の景気に決定的な影響を与える要因は、日々刻々と変化する国際情勢や為替相場であり、経営者は常に経済動向を大局的にとらえながら、経営判断をすすめていく必要に迫られます。その辺が地元や地域経済に密着して活動する地場産業や土木・建設業との決定的な違いだと私は考えています。

今、世界は、中国のバブル崩壊?、ギリシャ問題、ウクライナ問題、イスラム国、難民の受け入れ等々で揺れ動いています。また、国内ではアベノミクスの今後の行方に注目が集まっています。

そういった意味からも、今回のフェルドマン氏の講演は、まさにタイムリーであり、値千金の講演になると大いに期待しております。

戸田奈津子氏 <戸田奈津子氏>

お二人目は、もうご紹介の必要もないほどの超有名人であり、翻訳業界の巨人でもある、戸田奈津子氏です。

翻訳業界とまったく縁のない方々にとって、「翻訳」とは映画の字幕の翻訳であり、ベストセラー小説の「翻訳」であるようです。

しかし、映画(テレビやビデオを含めた映像)の翻訳や出版物の翻訳は、一般大衆に与える印象は圧倒的に強いのですが、現実には、それらのシェアが、日本の「実務翻訳」全体の需要に占める割合は、ほんのわずかと言われています。

最近は、翻訳連盟や翻訳祭などの広報のおかげもあり、徐々に「産業翻訳」とか「実務翻訳」などの言葉が一般に浸透し始めましたが、その認知度はまだまだ低いと言わざるをえないでしょう。

さて、戸田奈津子氏です。字幕翻訳者としての実力や実績は申し分がなく、トム・クルーズなど有名ハリウッドスターの通訳も務め、テレビ画面にもしばしば登場される翻訳業界のスターですから、今まで翻訳祭に縁のなかった方々にも足を運んでいただけるだろうと願っております。

また、翻訳祭には現役のプロ翻訳者も多数出席されるので、字幕翻訳第一人者の戸田奈津子氏が語る仕事の舞台裏を同じプロとしてきっと興味深く聞いていただけると思っております。

とにかく戸田奈津子氏は、わが翻訳業界における「ずば抜けたスター」ですので、どれほどの来客数があるのか、過去の経験からは読むことが難しいです。そのため、ご興味のある方は、お早めにチケットをご購入いただき、当日もお早めに戸田氏のセッション会場でお並びになることをお勧めいたします。

米倉誠一郎氏 <米倉誠一郎氏>

さて、三人目のスペシャルゲストは、一橋大学イノベーション研究センター教授 アカデミーヒルズ日本元気塾塾長の米倉誠一郎氏です。

テレビ画面で米倉氏のお顔を拝見なさった方々も多くいらっしゃると思いますが、企業のイノベーションに関して、各方面でご講演やご指導をされているトップクラスの企業経営の指導者です。

今回のセッションはお仕事のご都合で45分間しかお時間がとれないとのことで残念ですが、「イノベーションとパラダイムチェンジ」について、さまざまな事例を基にお話いただけるとのことです。

今回の翻訳祭企画実行委員の中の一人に、米倉氏のご講演を聞いた経験のある人がいて、「すばらしい内容の話を、非常にわかりやすく、楽しく語っていただける先生」と絶賛しておりました。そんなご縁もあり今回の運びとなりました。

翻訳業界における「イノベーションとパラダイムチェンジ」をぜひともご自分の企業経営に取り入れていただければと願っております。

ばんざいミック <ばんざいミック氏>

さて、最後になりましたが四人目のスペシャルゲストは、ばんざいミック氏です。

例年、各セッションの講義のあとに2時間の「交流パーティー」を行うのですが、今回はその時間を30分延長し、プロのエンターテイナーによるパフォーマンスを披露していただきます。

ばんざいミック氏は、以前英字新聞記者であった頃、記者として大道芸の取材をし、そのパフォーマンスに魅了され、自らもジャグリングを習得、パフォーマーとしての道を歩み始めたそうです。プロのエンターテイナーであり、現役の翻訳者でもあります。

英語、日本語、中国語、スペイン語を操りながら、さまざまなパフォーマンスと抱腹絶倒のコメディーショーをお見せいただけるとのことなので、まさに翻訳祭のパーティーに最もふさわしいプロの芸人さんと言えるでしょう。

「交流パーティー」で世界各地、日本各地から集まってくる人たちとの交流を深めながら、皆で楽しい時間を過ごしましょう。

*****************************************

その他、この4人のスペシャルゲストの他にも数多くの素晴らしいセッションを用意してあります。ぜひとも「第25回 JTF翻訳祭」にお運びいただけますよう、心より願っております。よろしくお願いいたします。

中国のビル建設(2)

去年の9月16日にこのブログに載せた「中国のビル建設」についてですが、またその話題に触れてみようと思います。

先週(1/21~1/23)、大連へ出張し、いつものラマダプラザホテルに泊まり、朝食バイキングを食べながら窓から見える建築途中のビルの写真を撮りました。

下記がその時の写真で、その下が4か月前(2014年9月)の写真です。4カ月間でこのくらい積みあがっていれば「良し」としなければならないのでしょうか?

私はビル建築の工期に詳しいわけではありませんが、日本に比べればかなり進捗度合いが遅い気がします。

<下記は2015年1月に撮影したビルの写真>

20150123_095214

<下記は2014年9月に撮影したビルの写真>

20140911_084049

今回大連には3日間滞在しましたが、結局一度もダンプやトラックを街の道路で見かけませんでした。日本の道路でダンプやトラックを見かけない日はありません。

東京や横浜では、大型ダンプ、中型トラック、小型トラック、建築用の特殊車両、宅配便の車、軽トラックなどなど乗用車以外の車が常に所狭しと走り回っています。

大連の道路を走っている車は、乗用車、タクシー、バス(マイクロバスを含む)の3種類だけです。あれだけ多くの建設途上のビルが乱立しているにもかかわらず、まったく建設関連の車両を見かけませんでした。不思議なことです。

もっとも「不思議の国・中国」では、こんなことは取るに足らない小さなことなので、いちいちそんなことに驚くこと自体がナンセンスなのかもしれません。

バングラデシュ投資ミッションに参加して(8)最終回

スラムの学校を訪問

スラム街の中を15分ほど歩き、目的の学校に着きました。

私達が行くことを連絡してあったので、全校生徒が校庭に出て、勢ぞろいして待っていてくれました。小学校1年生くらいから中学校2年生くらいまでの子供たちだったでしょうか。子供たちはとてもかわいらしく、あどけない笑顔が印象的でした。

まず、驚いたことは、子供たちが皆きれいな赤い制服に身を包み、靴を履いていたことです。なぜ、驚いたのかというと、学校に来るまでの道すがら、スラムの中でこの学校の何倍もの数の子供たちを見かけたのですが、みな非常に汚い身なりで、かつ、みな裸足だったからです。

「路上でたむろしていた子供たちは、なぜ学校へ行かないのだろう」と不思議に思い、関係者に聞いてみると「子供に仕事をさせるために学校へ行かせたがらない親がまだたくさんいる」とのことでした。そのため、特に学校内の中学生は、ぱっとみたところ男子は15名くらい、女子は数名だった気がします。

バングラデシュの国語は、ベンガル語ですが、成人(15歳以上)の識字率は、わずか56.8%とのことです(Human Development Report 2011年)。

インド、英国、パキスタンからの政治・経済・文化の抑圧に翻弄された歴史を持つバングラデシュは、1971年に独立しました。それはベンガル民族にとっての悲願だったそうです。

そのため、文化(特に言語、つまりベンガル語)侵略に対する強いアレルギーを持っているそうで、人気のドラえもんはヒンディー語であることを理由に放映禁止になり、市中の映画館もボリウッド(インド映画)は禁止されています(しかし、ケーブルテレビはほとんどインドチャンネルのため、「映画は家で」が定着しているそうです)。

インド同様、インテリ層はほとんどが英語を話しますが、ベンガル語での教育が一般庶民の隅々にまでいきわたるには、まだまだ時間がかかることでしょう。

 <学校の様子1>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<学校の様子2>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<学校の様子3> OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<学校の様子4>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<学校の様子5>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

  <学校の様子6>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

私達のために、子供たち全員で、パーカッションと民族楽器の音楽に合わせて歌を2曲披露してくれました。両方とも動画で記録したのですが、このブログでは、動画を簡単に掲載できないようなので、残念ながら掲載はあきらめることにします。

また、その2曲とは別に一人の少女が代表で皆の前に出てきて、音楽に合わせてイスラム教の歌を披露してくれました。

小学校3年生くらいと思える少女が、一人で一生懸命歌っていたので、歌い終わったあと、私は思わずまっさきに拍手をしました。しかし、すぐに先生に拍手の静止を指示されました。あの手の歌のあとには、拍手をしていけないのだそうでした。

最後に子供たちに、ユーグレナのクッキーを手渡し、握手をして別れを告げました。どの子も本当につぶらな瞳のかわいい子たちばかりでした。

さて、学校をあとにして、私たちはそのまま空港へと向かい現地解散し、三々五々、それぞれの目的地へと旅立ちました。私はバンコク経由で羽田空港へと向かいました。

基幹産業であるアパレル製品の製造・調達拠点としての活用が進むバングラデシュは、人口1億5,250万人(2013年3月、バングラデシュ統計局)、そのうち約半数が25歳以下という若い国です。

感性豊かなバングラデシュ人の芸術的能力を評価する声は強く、原色を多用する色彩感覚は、絵画、サリー、伝統刺繍(ノクシカタ)、リキシャアートなどに表れています。インテリはみな絵画好きで、首相府、中銀はじめ、政府・財閥オフィスや社交場の壁には絵画があふれているとのことです。確かに私たちが訪れた場所には、立派な絵画が数多く飾られていました。

JETROが2012年に行った調査では、バングラデシュ人が好きな国のNO.2が日本(No.1はアメリカ)、重要な国もNo.2が日本(NO.1はインド)だったそうです。日本とバングラデシュとの交易がよりいっそう増えていくことを願って、今回のミッションの報告を終えることにします。

(この項、終り)

バングラデシュ投資ミッションに参加して(7)

日本大使館で交流パーティー

さて、ジャムナ・フューチャー・パークを発ったあと、またバスに1時間ほど揺られ、バングラデシュ日本大使館へと向かいました。

到着した時はすでに夜でしたが、高い塀により囲われた日本大使館は、ライフルを持った現地の警察官数名により警備されていました。中に入ると、緑豊かな広い庭の向こうに立派な建物が見えてきました。

バングラデシュ最後の夜は、この日本大使館レセプション・ルームにおいて、大使を交えて「ダッカ日本商工会」のメンバーの皆さん達と交流する機会が持てました。

広く豪華な部屋で、ゆったりとしながら、日本料理(と言ってもベンガル風ですが)とお酒をいただきながら、日系企業駐在員の方たちと交流を深めることができました。

<バングラデシュ日本大使館> 残念ながら、大使館内は撮影禁止のため、外観だけ撮影させていただきました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

大使館での交流パーティーを終え、ホテルへ帰ったのは夜10時過ぎ。長い3日目が終わりました。

~4日目~

スラム街を訪問

最終日4日目は、ホテルで朝8時から解団式があり、その後、ユーグレナという会社の現地社員の方からのプレゼンを受けました。

ユーグレナは、ミドリムシという名前の微生物を研究開発している日系企業で、ミドリムシを使ったクッキーをバングラデシュのスラムの学校の子供たちに無償提供しているそうです。

そんな縁で、最終日はユーグレナの現地社員の方のご案内で、ダッカのスラム内にある学校を訪問しました。

ホテルを出て市の中心街を抜け、スラムの方へ近づくにつれ、マイクロバスの車窓から見える景色が少しづつ変わっていきました。

<ダッカ市中心部の光景1>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ダッカ市中心部の光景2>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ダッカ市中心部の光景3> イギリスから流れて来た使い古しの2階建てバスがたくさん走っていました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <バングラデシュ首相官邸の入口> ものすごく広くて豪華でした。 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<車窓から見えた HOME LOAN の広告> 優遇された住宅ローンの金利が、12.99%ということでインフレの度合いが想像できます。

ホームローン

<スラムに近い場所1>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <スラムに近い場所2>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<スラムに近い場所3>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <スラムに近い場所4>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <スラム入口付近> スラムの入口に着くと、4~5名の現地ガードマンの人たちが待機してくれていて、そのガードマンの皆さんに守られながらスラム街の中を歩き、目的の学校へと向かいました。奥へ入っていくとどんどん道が狭くなっていき、道路も汚くなっていきました。スラム内の人々や家屋にカメラを向けるのは、さすがに憚られたので撮りませんでしたが、想像を絶する汚さと貧しさでした。モザイク17

 <スラム内の学校の入口>モザイク18

学校内では、沢山の写真と動画を撮ったのですが、それに関しては次回へ回すことにします。

(続 く)

バングラデシュ投資ミッションに参加して(6)

バングラデシュと蚊

さて、ダッカの大ショッピング・モールである「ジャムナ・フューチャー・パーク」の話をする前に、ダッカの「蚊」について話をしておこうと思います。

バングラデシュの気候には、暑季(4月~5月)、雨季(6月~10月)、乾季(11月~3月)lの3つがあり、私の行った11月は雨もなく、暑くもなく、一番良い季節だったのですが、そのかわりに蚊が発生し始める季節でした。

そのため、空港に降り立った時から、さっそく蚊の攻撃に悩まされました。特に移動中のマイクロバスの中には、大量の蚊がいて、殺しても殺してもわいてくる蚊には、閉口しました。

JETRO現地駐在員の話によると、駐在員はほとんどがデング熱にかかった経験があるそうで、中にはマラリアやデング出血熱になり、タイのバンコクまで搬送された人もいる、などと涼しい顔で説明していました。

私は、バスの中で1日に20数匹の蚊を殺し、日本から持って行った虫よけスプレーを手、顔、首にしょっちゅうかけまくり、結局1回も刺されずに帰国することができました。

ショッピング・モールを訪問

さて、ジャムナ・フューチャー・パークの話に移ります。ここはつい最近完成したダッカ市内最大のショッピング・モールです。

現在のところ、全8階のうち1~2階と7~8階はある程度テナントが入り、埋まっていましたが、3~6階は、全て空のままという状態でした。

概観は、近代的な作りで、日本でもよく見かけるアメリカ風ショッピング・モールでしたが、人の出入りはまだまだ少なく、これから・・・・、という感じでした。

<ジャムナ・フューチャー・パーク1> 概観モザイク13

<ジャムナ・フューチャー・パーク2> 入り口でボディーチェックされるのですが、日本人(外国人?)はほとんどノーチェックでした。モザイク14

<ジャムナ・フューチャー・パーク3> 時間が早かったので閑散としていますが、この30分後くらいには、もう少し人が出回っていました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ジャムナ・フューチャー・パーク4>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ジャムナ・フューチャー・パーク5>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ジャムナ・フューチャー・パーク6> ここに来る若者たちは、きっと中産階級以上の人たちなのでしょう。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ジャムナ・フューチャー・パーク7> バングラデシュは基本的にイスラム教の国なのですが、大衆がこのような服を着る日が近いうちに来るのでしょうか?OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ジャムナ・フューチャー・パーク8> ボーリング場入口OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ジャムナ・フューチャー・パーク9> ボーリング場OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ジャムナ・フューチャー・パーク10> ファーストフードのようなお店がたくさん並んでいました。このあと30分もするとちらほらと人の数が増えていきました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ジャムナ・フューチャー・パーク11> 若者たちがアトラクションの猛牛に乗って楽しく遊んでいました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

このジャムナ・フューチャー・パークのショッピング・モールのお隣に遊園地ができていました。まだ建設途中ではありましたが、観覧車やジェットコースターなど、いくつかのおきまりのアトラクションもありました。

JETRO駐在員の方のお話によると、つい最近アトラクションで死亡事故があったそうです。それによると「中国製の乗り物をバングラデシュ人が管理している訳ですから、そのくらいは仕方ないのでしょうね」とのことでした・・・・・・・・笑ってはいけないですが、思わず笑ってしまいました。

(続 く)

バングラデシュ投資ミッションに参加して(5)

~3日目~

バングラデシュの道路事情

朝6時25分にホテルのロビーに集合し、すぐにマイクロバスに分乗してバングラデシュホンダの工場へと向かいました。3時間近くバスに揺られ、やっとたどり着いたのですが、激しい渋滞と道路の質の悪さにはまいりました。

少し郊外へ行くと舗装されている道路も劣悪を極めます。バスが激しく上下に揺れ、とてもバスの中で居眠りするどころではありません。加えて、ところどころ舗装されていない箇所があり、バスは大波小波を乗り越えるようにジャンプしながら進んでいきました。そのためタイヤのパンクもよくあるとのことでした。

JETROの現地所長の話によると、道路の質が悪い理由は「まず、アスファルトやコンクリートの質そのものが悪い。さらにバングラデシュには岩がなく砂もないため、砂の代わりにレンガを砕いたものを混ぜて使っている。そのため、すぐに道路が傷む」とのことでした。

<バスの車窓から見た光景1>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<バスの車窓から見た光景2>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<バスの車窓から見た光景3>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <バスの車窓から見た光景4> OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <バスの車窓から見た光景5>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<バスの車窓から見た光景6> OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <バスの車窓から見た光景7>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<バスの車窓から見た光景8> OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ホンダの工場を見学 

ホンダの工場では、バングラデシュ周辺国から輸入した部品を手作業で組み立て、オートバイを作っていました。牧歌的な雰囲気の工場の中で、現地従業員のみなさんが一生懸命組立作業を行っている姿が印象的でした。

工場長のお話によると、バングラデシュはオートバイや自動車の関税が非常に高く、かつ不条理な規制ばかりで困惑しているとのことでした。しかし、間違いなく近い将来、インドやベトナムなどの周辺国同様、バングラデシュでもオートバイの需要が急増すると見込んでいるとのことでした。

<バングラデシュホンダの工場の概観>  工場の概観は撮影OKだが、中は撮影不可とのことでした。モザイク9

地場の大手製造業本社・工場を訪問

さて、ホンダの工場を発ち、さらに2時間半ほどかけて、WALTONという地場の企業を訪問しました。WALTONは、家電製品やオートバイなどを製造しているバングラデシュを代表する大手企業です。

WALTONでベンガル料理のランチをご馳走になったあと、しばらく会議室でWALTONの会社案内を受けたあと、工場の見学に連れて行ってもらいました。

<WALTONの会議室> 昼食、プレゼンのあと皆でショールームと工場へ向かった。モザイク10

<WALTONショールーム1> 薄型テレビモザイク11

<WALTONショールーム2> 冷蔵庫モザイク12

<WALTONショールーム3>薄型テレビOLYMPUS DIGITAL CAMERA

<WALTONショールーム4> オートバイOLYMPUS DIGITAL CAMERA

<WALTONショールーム5> 各種家電製品OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<WALTONショールーム6> エアコンOLYMPUS DIGITAL CAMERA

WALTONの工場は、正直言って、とても最先端の製造設備という光景ではありませんでしたが、快く社員の方が隅々まで案内して説明してくれました。

その後、WALTONの工場を発ち、再び2時間半ほどバスで揺られながら、次の目的地、ダッカの大ショッピング・モールである「ジャムナ・フューチャー・パーク」へと向かいました。

(続 く)

バングラデシュ投資ミッションに参加して(4)

富裕層のご家庭を訪問

ACI 訪問のあと、いわゆる富裕層のご家庭を訪問させていただきました。40人以上という大勢で押し寄せたのですが、非常に快く私たちを歓待してくれました。

招いてくれたのは、日本ともビジネス関係のある中小企業の社長さんのご自宅で、日本で言う高級マンションの一室でした。マンションの一室と言っても非常に広く、リビングルーム2部屋、キッチン、ダイニングルーム、ベッドルームが4~5部屋、それに住込みのお手伝いさん3人~4人用の部屋も別にありました。

「どうぞ、どうぞ、ご自由に写真を撮ってください」というお言葉に甘えて、沢山撮らせていただいたものが下記です。

<富裕層の家庭1> エレベーターホールと部屋の入口の間には鉄格子がありました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<富裕層の家庭2> 玄関ホールモザイク5

<富裕層の家庭3> 玄関に肖像画OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<富裕層の家庭4> リビングには様々な小物(世界各地のお土産品?)が飾ってありました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<富裕層の家庭5> 第1リビングモザイク2

<富裕層の家庭6> 第1リビングモザイク3

<富裕層の家庭7> 第2リビングモザイク1

<富裕層の家庭8> ダイニングOLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <富裕層の家庭9> 18歳のお嬢様のお部屋。快く撮影に応じてくれました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

現地商工会議所の方々と交流パーティー

さて、富裕層のご家庭を訪問させていただいた後、再びバスに1時間ほど揺られ、日本バングラデシュ商工会議所の方々との交流ディナーが開かれるレストランへと向かいました。

<レストラン全景> 商工会議所の方々との交流ディナーパーティーが開かれたレストラン。モザイク6

<商工会議所ディナーパーティー1> モザイク7

 <商工会議所ディナーパーティー2>モザイク8

 <商工会議所ディナーパーティー3>

商工会議所

この交流パーティーでは、現地政府関係者、日系進出企業、地場企業関係者のほかに、大学の先生をはじめ、多くの知識人、財界人、著名人と交流を持つことができました。非常に有意義な時間を過ごすことができ大満足でした。

パーティーを終え、ホテルへ帰ったのが夜の9時半ころだったでしょうか。長い長い2日目のバス旅行が終了しました。しかし、その翌日は、さらに長い一日が待ち受けていたのでした。

(続 く)

バングラデシュ投資ミッションに参加して(3)

ベンガル料理と水

さて、日系企業M社の工場を発ち、再びバスで2時間移動し、Sky View Restaurant でベンガル料理のランチを食べました。

Sky View Restaurant の名の通り、周囲を見渡せる14~15階のビル最上階にあるレストランでした。

レストランから見える景色は以下のとおりです。

<Sky View Restaurant から見た街並み1>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<Sky View Restaurant から見た街並み2>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<Sky View Restaurant から見た街並み3>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ベンガル料理はどうだったかと言いますと、インド料理に近い、香辛料をたくさん使った、辛くて脂っこい料理がほとんどでした。また、どのレストランで食べてもだいたい似た料理が出てきました。中にはおいしいカレーやナンもあったのですが、日本人にとっては、非常に脂っこく、辛く、肉も魚も大味で、お世辞にも美味しいとは言えないものでした。

料理の味もさることながら、私がバングラデシュで一番気になったのが、食と水の安全でした。バングラデシュの地下水は、かなりヒ素で汚染されているそうです。 → バングラデシュのヒ素汚染

当然、飲み水は全てペットボトルの水を飲みましたし、火の通った食べ物しか口にしませんでしたが、水は全ての基本ですから、それがヒ素で汚染されているとなるととても恐ろしいことです。

特に地方の農村地帯の人々は、水道がないため、井戸水を飲んでいます。さらに地下水をくみ上げ農業用水として利用しているため、バングラデシュのお米はかなりヒ素で汚染されているとの話でした(JETROの現地所長より)。

さらに野菜や果物の見かけの鮮度を保つためにホルマリン漬けにする習慣があるので、日本の駐在員の皆さんは、普通の市場で買い物はしないそうです。日本の物価なみのお金を出してでも安全と思える野菜や果物を高級店で購入しているそうです。また、牛にホルマリン注射をしたりしているとのことなので、現地の農家の人々には、その点に関する啓蒙活動も必要だとのことでした(JETROの現地所長より)。

水ダメ、米ダメ、肉ダメ、野菜ダメ、果物ダメ、となると「じゃあ、何を食べればいいの?」となり、残念ながら私は「食べる」ということに関しては、楽しめませんでした。

地場の大手小売業本社を訪問

さて、ランチの後、バスで10分ほど移動し、現地で農産品、化学品、日用雑貨品、薬品などの小売を手掛ける大手企業ACIの本社を訪問しました。

<ACI本社においての会社案内> OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ACI のプレゼンテーションを聞いた後、再度バスで1時間ほど移動し、富裕層の家庭を訪問したのですが、それは次回に回すことにします。

(続 く)

バングラデシュ投資ミッションに参加して(2)

オリエンテーション

初日の午後3時過ぎにホテルに着き、その後2時間ほどのオリエンテーションを受けました。

ます、JETROダッカ事務所の駐在員の方から、バングラデシュの現状についてのご説明を受けた後、ユニクロのご担当者からバングラデシュでのビジネスの現状をお話いただきました。

その後、アパレル系日本法人のY社長から現地工場についてご説明をしていただきました。この会社は主に日本の大手量販店向けにTシャツやトレーナー、ジャケットなどを生産しているとのことです。

2009年3月にバングラデシュに進出後、2011年3月に自社工場を120名体制でスタート、2014年9月には第2工場を作り、現在800名まで社員が増えているそうです。

Y氏によると、現地法人に日本人はゼロ、全員バングラデシュ人。優秀な人材がたくさんいるが、一番重要なのはコミュニケーション、とのことでした。以下は、Y氏からの情報です。

バングラデシュ生産のメリット

  1. 作業員はまじめで技術習得にもたけ、生産性も向上する。
  2. 中間管理層(大卒以上)は、英語でのコミュニケーション能力も高い。
  3. 綿製品に関しては、原料価格なども中国より安く、価格優位性が高い。

バングラデシュでの製造型・法人運営のリストとデメリット

  1. 政治的な混乱などによるデモが発生し、生産がストップする可能性がある。
  2. 治安は決して良くないため、リスク管理を徹底する必要がある。
  3. インフラが脆弱で停電が頻発。自家発電は欠かせない。
  4. バングラデシュの港から日本の港まで、のべ1か月弱にもおよぶ輸送期間。

オリエンテーションのあと、日本からミッションに加わった38名にJETROスタッフ、現地企業の方々等、総勢50名ほどでパーティーがあり、一挙に打ち解けた雰囲気となりました。

~2日目~

アパレルメーカーの工場を見学

翌朝6:55から長い長いバスの視察ツアーの旅が始まり、ホテル出発から1時間半後、日系企業M社の工場に到着しました。

M社は、日本国内に145名(海外駐在員15名)の従業員をかかえる中堅アパレルメーカーで、2009年にバングラデシュ法人を設立し、2010年から操業、2014年現在2,000人の現地従業員を抱え、さらに来年は3,000人規模に増大すべく、新工場を建設中とのことでした。

<M社工場内の光景1>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景2>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景3>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景4>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景5>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景6>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景7>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景8>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景9>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景10>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

工場内はどこも清潔で、従業員の応対も良く、とても雰囲気の良い会社でした。2時間半ほど見学をさせていただいた後、M社を去り、再びバスに乗ってSky View Restaurant へと向かいました。

(続 く)

バングラデシュ投資ミッションに参加して(1)

先々週、JETROが主催した「バングラデシュ投資ミッション」に参加してきました。バングラデシュ滞在はわずか4日間(全行程で3泊6日)ではありましたが、非常に有意義な視察となりました。

地元の大企業や日系の中小企業を訪問させていただいたり、富裕層の自宅やスラム街の学校を見学させていただいたりと、個人であったら数十年かかるであろうと思える出会いや情報をわずか4日間で得ることができました。JETROさんに感謝です。

バングラデシュ基本情報
(正式国名) バングラデシュ人民共和国
(人 口) 1億5,252万人(2012年)
( 面 積)  14万7,570㎢ (北海道の約1.9倍)
 (首 都)  ダッカ
 (公用語)  ベンガル語
 (宗 教)  イスラム教(国教)
 (日本との時差)  -3時間
 (日本からのアクセス)  香港、シンガポール、バンコク、クアラルンプール、昆明、広州のいずれかを経由。所用時間は10時間~13時間。
 (在留邦人数)  853人 (2013年10月時点)

人口1億5,000万人を誇るバングラデシュは、過去10年以上にわたり、安定的に6%の経済成長を続けています。また、現在中国に次ぐ世界第2位のアパレル製品の輸出大国で、大手有名アパレルブランドが生産や調達の拠点としています。さらに海外出稼ぎによる巨額マネーが都市部、農村部に流れ、所得も上昇し、富裕層や中間層が拡大しています(以上、JETROの資料より)。

日本からバングラデシュへの直行便はないため、私の場合は羽田空港を深夜0時頃出発して、バンコクの空港で5時間ほど時間をつぶし、首都ダッカに着いたのは、当日の14時くらいでした。帰りはお昼過ぎにダッカを出て、バンコクの空港で6時間ほど時間をつぶし、羽田に着いたのは翌朝の6時頃でした。往復の移動だけでも結構疲れます。

~初日~

ダッカ市街の光景

ダッカの空港に降りてから、JETROが用意してくれたマイクロバスに乗り、ホテルまで移動しました。バスの窓から見たダッカ市街の第一印象は、やはり思っていた以上に街が汚い、人が多い(ほとんどが男性)、渋滞が激しい、ただ北京やベトナムの街に比べれば、まだ空気の汚さはまし・・・・、こんなところでしょうか。

<ダッカ市街の光景1> CNG(シーエヌジー)という主に中間層以上の人が利用する三輪車タクシー

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ダッカ市街の光景2> ゴミが散乱し、街は汚い。スラムへ近づけば、汚さに貧しさが加わってくる。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ダッカ市街の光景3> リキシャと呼ばれる主に低所得者、中間層が利用するタクシー。名前の由来は日本の人力車から。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <ダッカ市街の光景4> 世界最悪とも言われるダッカの渋滞。路上は、車、バス、CNG,、リキシャなど色々な乗り物でごった返す。時間帯によっては、500メートル進むのに、車で1時間かかるという場合もある(JETROの資料より)。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ダッカ市街の光景5> ダッカの郊外へ行くと外を歩く女性の数も増えてくるのですが、市の中心部ではほとんど女性を見かけませんでした。女性は自宅の近所しか出歩かないということなのでしょうか?理由のほどはわかりませんが、珍しく市の中心部に3人の女性がいたので写真を撮りました。ダッカの女性のほとんどは民族衣装を着ていましたが、逆の見方をすれば、スカートやワンピースやジーンズの大市場が眠っていると言えるのかもしれません。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ダッカ市街の光景6> バスに乗っているわれわれに本を売ろうと近寄って来た少年。小さな子供たちはみな裸足でした。 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ホテルの部屋から見える光景> 5つ星のホテルと外の世界との落差は激しいものでした。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

バングラデシュの首都ダッカで得た貴重な経験を、これから8回にわたって、このブログに記していきたいと思います。

(続 く)

中国のビル建設

久しぶりに出張で中国の大連へ行ってきました。

大連へ行ったときには、いつもラマダプラザホテルに泊まります。大連駅前にあるホテルですが、私はその2階のレストランでいつも外の景色を眺めながら、朝食バイキングを食べています。今回は、そのレストランの窓から見える建設中の高層ビルの話をしようと思います。

そのビルを2013年4月に撮った写真と2014年9月に撮った写真が下記の2枚です。

何を言いたいのかと言うと、1年半も経っているのに遅々として工事が進んでいない、ということです。

<下記は2013年4月に撮影したビルの写真>

20130425_082857

<下記は2014年9月に撮影したビルの写真>

20140911_084049

私が初めて大連へ行ったのは、3年前の2011年9月のことですが、その時タクシーから見える風景の中にたくさんの建設中の高層ビルが見えました。

「やはり、中国はすごい建設ラッシュなんだな」

そう思いながら、ただなんとなく眺めていたのですが、しばらくして「なにか変だな?」と気づきました。

そうなんです、建設中のビルのほとんどが動いていないのです。通常建設中であればクレーンが上下に動いていたり、ビルの周りをたくさんのダンプトラックが行き来したりしているものです。しかし、大連の建設中のビルはほとんどすべてが止まっていました。

その後、2回、3回、4回、5回と大連を訪れるたびにタクシーから見える建設途中のビルを注意深く見ましたが、やはりほとんど工事に進展は見られませんでした。

大連でも朝夕の時間帯は、日本同様、どこも車のラッシュでにぎわいます。しかし、日本と決定的に違うことがあります。それは、大連では、ダンプやトラックがほとんど走っていないということです。

東京や横浜の道路では、大型ダンプから軽トラックまで、さまざまな種類のトラックが所狭しと走り回っていますが、大連ではほとんどトラックが走っていないのです。少なくともここ3年間のあいだは。

掲載した2枚の写真は、大連駅前の一等地に建設中の高層ビルです。日本であれば、土台さえできてしまえば、上物の建設スピードは実に早く、高層ビルでさえあっという間に完成してしまいます。逆に短期間で完成させなければ投資額を早く回収できないので困ることでしょう。

噂されているように中国のバブルはすでに崩壊しているのでしょうか?中国政府が力づくで景気の下支えをしてとりつくろっているのでしょうか?

真実のほどはわかりませんが、ソフトランディングをして、日本経済はもちろん世界経済に悪影響を与えないよう願うばかりです。

中国における自動車部品カルテル

下記の表は、日経ビジネス20140年9月1日号の記事の一部です。

2014年9月01日日経ビジネス

中国政府が、日本の大企業を対象に過去最大規模の制裁金12億3500元(約200億円)を科したことから、外資叩きという論調もでています。

「また中国は日本に不当にいちゃもんつけている」という印象を持った方も多いのではないでしょうか?

実は私もそのひとりでした。しかし、上記の日経ビジネスの記事を見て考えが少し変わりました。

日本で1,409万円で売られているレクサスが、なんと中国では4,036万円で売られているという事実には驚きました。ベンツもアウディもBMWも2倍以上ですから、中国が怒るのも無理ないかもしれません。

かつての日本にも巨大なアメリカ車に莫大なお金を出して、ありがたく乗って有頂天になっていたという時代もありました。2,000円で仕入れたジョニ黒(ジョニーウォーカー黒ラベル)をありがたく1万円で売ることにより、高級感が出てより売れたという時代もありました。

日本のバブルのころには、ヨーロッパのブランド品バッグの世界売り上げの8割は、日本で売り上げられていたそうです(あるブランド品メーカーの関係者から聞いた話)。

かつての「成金」日本が欧米からカモにされたように、現在では中国の「成金」が世界中からカモにされているのかもしれません。

珍しく「中国が怒ってもしかたないかも」と思えるニュースでした。

訪日外国人観光客

訪日外国人観光客の数が、今年も去年(2013年)を3割近く上回る過去最高のペースで順調に伸びているそうです。

2014年8月27日(1)

外国人が “クール” と評した日本の観光スポットはどこ?

2014年8月27日(2)

日本を訪れる外国人観光客の数が増えている、と聞いて悪い気はしませんし、日本経済にとっても良いことはあっては悪いことはないでしょう。

日本の人気が高まっている理由の一つに、やはり日本のマンガ・アニメやゲームソフトが挙げられるようです。現在、ヨーロッパ諸国やアジア諸国では、日本人が考えている以上に、日本のアニメやゲームソフトは人気が高いようです。

加えて、そのアニメやゲームのキャラクターから生れた「オタク文化」や「萌え」や「アキバ系」という日本独特の文化が、これまた想像以上に外国人に受けているようです。

その手の趣味のない私にとっては、どこが良いのだか、さっぱりわかりませんが(笑)。

ところで、先日テレビで、この夏、外国人観光客が東京の渋谷や新宿に大挙して押し寄せてきていると報道されていました。

テレビカメラと共にレポーターが取材をしていましたが、お盆休みで日本人客数の減った、渋谷センター街や新宿ゴールデン街が、確かに外国人観光客で一杯でした。

私の記憶が正しければ、デンマーク、スウェーデン、ドイツ、オランダ、トルコ、アメリカ、カナダ、ニュージーランド、オーストラリア、アルゼンチン、チリ等々・・・、様々な国々から多くの若者達が東京に押し寄せ、夜の東京を大いにエンジョイしていました。

彼ら、彼女らからすると「東京の夜の街は最高にクール!」なのだそうです。

なぜでしょう?その理由を聞いて、少々驚きました。

「私の国では、夜6時になるとお店は全て閉まるのに、東京では24時間なんでも買える。昨日、深夜にドンキホーテに行ったら、生活に必要なものは全てそろっていたので驚いた」

「東京はどこにでもすぐ近くにコンビニがあって、24時間お酒も食事も買えるのでビックリ!すごい便利!」

「24時間お酒を売っていて、外(路上)でお酒を飲めるので驚き!自分の国では考えられないこと。友達たちと一緒に外でビールを飲んで楽しい!」

「朝まで飲めるお店がたくさんあって最高!信じられない」

「東京は、朝までネオンがついて眠らない街だからクール!酔っぱらって外で騒いでも怒られない。自分の国では考えられない。」

「皆で飲んで騒いで、朝までカラオケができるなんてクール!信じられない国、最高!」

「夜中に女性同士でぶらぶらしても安全な国だからスゴイ!楽しい」・・・・等々

だいたい、このようなことを言っていたと思いますが、欧米の若者達の反応がとても私には意外でした。

欧米は、少なくともお酒の飲み方に関しては、洗練された秩序とモラルの行き届いた社会だと思いますが、欧米の若者たちは、少々それを息苦しく感じ始めているのではないでしょうか?

日本は酒を飲んで少々破目をはずすことに対し寛容な国ではありますが、日本人なりの秩序や道徳に守られている社会であると信じています。

前述の報道番組で最後に登場したあるデンマーク人の話が印象的でした。新宿で飲んだ帰りの電車の中にスマートフォンを置き忘れたそうです。かなり落ち込み、ダメ元で届けを出しておいたら、翌日新宿駅の遺失物係にそのスマートフォンが届けられていたそうです。「信じられない。すごい国だ」と驚き、喜んでいました。

「夜遅くまで、安心して楽しく飲める街」を日本人の感性で築き、今後も多くの外国人観光客が喜んでリピーターで来る観光立国になってもらいたいものです。

新宿の百貨店など、外国人向けガイドブック 割引特典も検討

2014年8月20日日経

百貨店などで構成される新宿観光振興協会(東京・新宿)は外国人観光客の誘致活動を始めた。第1弾として飲食店や観光スポットの情報を載せた多言語対応のガイドブック=写真=を創刊。今後は外国人が店舗で割引など特典を受けられる仕組みも検討する。2020年東京五輪に向け、地域一体となって新宿の魅力をアピールする。

(中略)

英語や韓国語に加え、中国語(繁体字、簡体字)、タイ語の5種類を作成。年2回発行し、今後は新宿地区の観光地や外国語の通じるスポットなどを紹介していく予定だ。

(後略)

以上で2014年8月20日 日本経済新聞 Web刊の記事終り

同日の日経新聞の紙媒体には、「百貨店売上高4か月連続減」「百貨店4割 訪日客増えた」という見出しの記事が掲載されています。

33年前、私が米国サンフランシスコのメイシーズ (Macy’s) デパートに行った時、若く美しい女性店員さんたちがきれいな制服に身を包んで接客をしてくれました。それから20年後、つまり今から十数年前に米国デンバーのメイシーズデパートに行った時には、あまりにも様変わりしたお店の様子に驚いてしまいました。

店員の姿はほとんど見られず、ワゴンの中に化粧品やら日用雑貨品やらが無造作に置かれ、日本のスーパーマーケットの2階のようだな」と感じたからです。

戦後の高度経済成長時の日本は、常に生産者・販売者を重視し、個人や消費者をないがしろにしてきました。

その結果、当時の日本では、生産者から複数の卸売業者と小規模の小売業者を経て、消費者の手元へ商品が届いていました。

建設業界にいたっては、大手ゼネコンが下請けに仕事を丸投げし、孫請け、ひ孫請け、玄孫受けという具合でワークシェアリングをし、国民は異常に高いコストを支払わざるをえなかったのです。

このように非効率の上に非効率を重ねた社会構造の中で、異常に高い物価を許容せざるを得なかった日本国民でしたが、同時にワークシェアリングは、失業者を減らし、犯罪率の低い社会も生み出しました。

そして、アメリカ発の流通革命とグローバリゼーションは、劇的に日本の物価を下げ、サービスの行き届いた便利な世の中をもたらした反面、競争激化による社会不安ももたらしました。

「それでは、そのどちらが良いのか?」

もうそのような議論は意味をなしません。グローバリゼーションのすすんだ現在、日本だけが世界と競争をせずに孤立主義で生きていけるわけがないからです。どちらが良いではなく、超効率化の進んだ国際社会の中で、今後の日本はどのように勝ち残っていくかを考えていかざるを得ないでしょう。

次回は、この話の続きで、この夏日本の渋谷や新宿に欧米から若者たちが大挙して押し寄せて来ているという話をしたいと思います。

(続く)

オフィス需要活況続く 都心空室率、5月も低下

2014年6月13日 日本経済新聞

企業の事務所移転の増加などで、東京都心部のオフィスの不足感が一段と高まっている。仲介大手の三鬼商事(東京・中央)が12日発表した東京都心5区(千代田、中央、港、新宿、渋谷)の5月末の空室率は6.52%で前月比0.12ポイント低下した。景況感の改善を背景に、都内の大手企業の移転に加え地方企業が東京に進出する例も出てきた。

2014年6月13日 日経

(以上で記事終り)

東京都心部のオフィスビルの空室率が減っている、という現象から、あることを思い出しました。

かつて、ジェスコーポレーションでは、NTTタウンページに「翻訳業」を掲載している翻訳事業者(団体)がどのくらいあるのかを調査したことがあります。

日本の翻訳事業者数
2007年度 ⇒ 1,984社
2012年度 ⇒ 1,959社(▲1.3%)

このように日本には、約2,000の翻訳事業者があることがわかりました。

また、2007年度から2012年度の5年間に約3割の翻訳事業者が消え、新しい翻訳事業者が生まれていることも判明しました。

さて、下記は東京都内における翻訳事業者数の両年度の比較です。

2012年度 2007年度 増減 どちらの年度にも
存在している会社
2012年度数に
対する割合(%)
東京都 706 813 -107 569 81%

 

 

 

5年間で107の事業者が減少し、かつ2007年度と2012年度の両方に存在している事業者は全体の約8割ということもわかりました。

その理由を考えてみました。

  • 地方の翻訳会社が首都圏に支店を出していたが、不況により採算がとれなくなり撤退した。
  • リーマン・ショック後に金融翻訳の仕事が冷え込んだ。
  • インターネット環境の格段の進歩により、“東京都心に近い ” という地理的アドバンテージが失われた。

今回の新聞報道では、東京都内のオフィスビルの賃貸が再び活況を呈し始めている、ということですが、はたして翻訳業界はどうなのでしょうか?

オランダ農業 驚愕の輸出力に学べ

日経ビジネス 2014年5月12日号

オランダの人口は日本に比べ1割強にすぎず、国土も九州程度の広さしかない。ただ、農業はGDP(国内総生産)の1割を占め、70万人の雇用を生み出す。農産物の輸出額は世界2位の893億ドルに上り、国土が広大なトップ米国を追随する。

2014年5月12日日経ビジネス2

↓ 日本の耕作放棄地は年々拡大している。

2014年5月12日日経ビジネス1

↓ オランダは、世界第2位の農産物輸出大国

2014年5月12日日経ビジネス3

↓ 日本の農業ベンチャーは、 レタスの年間「12毛作」を実現

2014年5月12日日経ビジネス4

(以上で日経ビジネスの記事、終り)

日経ビジネスでは、「背水の農 TPPショック、5大改革で乗り越えろ」と題して、日本の農業へ提言していますが、詳細に関しては「日経ビジネス」最新号をお読みください。

さて、農産物輸出大国オランダが輸出している農産物はどんなものが多いのか、と調べてみたところ、観賞用植物、タバコ、チーズなどが多いようです。また、野菜に関しては、トマト、パプリカ、きゅうりなど、品種を絞り、特化した市場で競争力を保っているようです。

当然ながら工業先進国であるオランダの「農業」は、高度先端技術を駆使した「工業」と言ってもよいほど、昔ながらの農業とはかなり違う「産業」のようです。

高度先端技術を駆使した生産能力、食の安全性に対する配慮、消費者の痒いところに手の届くサービス、という点において日本が他国に負ける訳がないので、農業においても十分勝機はあると考えます。

勝てる農産物を輸出し、稼いだお金で国内の他の農産物へ投資していってもらいたいものです。

現在、日本の野菜の自給率は81%(農林水産省の試算:2010年の品目別自給率)とのことなので、まずは、野菜類の100%超えと食用穀物 59%、粗粒穀物 1%、豆類 8%の徹底的な改善を期待します。

ガラパゴス化するミラーレス

2014年4月28日、5月5日合併号 日経ビジネスより

縮小するカメラ市場で、頼みの綱がミラーレス一眼。日本で人気となる一方、欧米での販売は振るわない。携帯電話のような「ガラパゴス」の道を歩んでしまうのか。

(以下、記事の要点)

・ 「軽い」「扱いやすい」「初心者向け」のミラーレス一眼レフカメラが好調なのは日本だけで、海外では早くも勢いを失った。

・ ミラーレスはアメリカで売れていない。理由は「小さすぎて扱いにくい」から。ヨーロッパでもこの傾向は強い。

・ レンズとボディーを接続する規格が各社で違うことも、ミラーレスの普及を妨げている。

・ スマホに食われ縮小するデジカメ市場で、「打倒一眼レフ」でミラーレスに開発資源を集中する中堅メーカー各社にとっては、いっそう厳しさが増す。

・ 市場全体が小さいのにプレーヤーが多すぎる。逆風の多いカメラ市場では、いつ業界再編が起こってもおかしくない。

2014年4月28日 日経ビジネス ミラーレス

(以上で記事終り)

高性能で、小さくて、便利で、よく売れているのに、気がついたら、世界標準から取り残されていた・・・・日本でしか売れない携帯電話の「ガラパゴス化」は再びミラーレス一眼レフカメラ市場でも繰り返されるのでしょうか?

かつてソニーは、より高品質で、より小さいビデオテープレコーダーをより早く市場に投入したのにもかかわらず、その後のマーケティング戦略で失敗し、せっかくの技術を活かせず、VHS陣営に惨敗した話はあまりにも有名です。

ベータマックスが失敗した理由のひとつに、世界最大のアメリカ市場で一挙にシェアを奪い、先手必勝の勝ちパターンを作れなかったことがあると聞いたことがあります。

「それはなぜなのか?」というと「アメリカンフットボールの試合時間」という意外な答えが返ってきました。

当初、ベータマックスの録画時間は、最大2時間だったので、アメリカンフットボールの試合をすべてカバーできなかったため、アメリカ人は多少画質が劣っても長く録画できるVHSを選んだとのことでした。

今回のミラーレス一眼の話も似ています。

日本人にとっては一眼レフカメラは「大きくて重いから持ち運びが大変」でも、アメリカ人にとっては「ミラーレス一眼レフは、小さくて扱いが大変」となるのですから、わからないものです。

日本メーカー同士でしのぎを削り、すばらしい製品を作りあげたのに、結局海外では見向きもされず、漁夫の利を外国メーカーにさらわれる、という最悪の事態だけは避けてもらいたいものです。

ただ、一人のユーザーとして意見を言わせてもらえば、レンズの規格を世界で統一してもらいたいものです。

高級カメラは全てレンズの規格が各社で違うため、結局一番最初に選んだメーカーのカメラを永遠に使い続けなければならない、という「売る側の論理」で市場ができあがっています。

この規格を統一し「お客様の満足」を第一に考える日本のメーカーが現れてくれることを願っています。

グーグルのデータ蓄積とパーソナライズ

下記は2014年4月23日の朝日新聞朝刊の切り抜きですが、米グーグルの副社長が「将来はすべての言語、方言に対応できる音声認識システムを作る」と答えています。

2014年4月グーグル

「すべての言語・方言」に対応するとは、ずいぶんと大口を叩くものだな、と思いますが、日々私たちが入力する文字や発する言葉がその都度グーグルのコンピューターに蓄積されていっている、と思うとなんとなく複雑な心境です。

もはや紙の地図や時刻表を使う人はほとんどいないでしょうし、何十万円もする紙の百科事典を購入する人もいないでしょう。

今やネットで得られる様々な情報はすでに社会インフラのひとつとなっていて、私たちの生活に必要不可欠な道具となっていますが、便利さの裏に潜む不気味さのようなものも感じます。

検索エンジンが、過去の検索結果から、自分の好みや興味を判断し、結果を“操作”してくれる“パーソナライズ”もその不気味さの一つと言えます。

パーソナライズされた情報は、当然“偏った情報”になるわけですが、本人だけが気付かず、それが広く世の中一般に受け入れられていると錯覚する危険性もあるからです。

ところで、最近は、Google Translation Toolkit (グーグル翻訳者ツールキット)が、産業翻訳の分野でも使われ始めているそうです。プロの翻訳者がこの翻訳メモリの共有機能を使用することは、機密保持の観点から厳に慎んでほしいと思います。

一般社団法人日本翻訳連盟では、翻訳会社やプロの翻訳者がGoogle Translation Toolkit を使って、翻訳メモリの共有機能を使用することのないよう、会員各位に文書を発行して注意を促しています。

中国、ハイブリッド車に補助 現地生産1台に25万円

2014年4月19日 日経新聞朝刊

中国、ハイブリッド車に補助 現地生産1台に25万円 大気汚染対策 トヨタやホンダ、攻勢へ

中国政府は大気汚染対策の柱として、ハイブリッド車(HV)の購入に補助金を出す検討に入った。電気自動車(EV)など充電可能な環境車に限ってきた補助の対象を、通常のHVにも広げる。2015年にも実施する。世界最大の市場を持つ中国が環境対応車の本命にHVを位置づけることで、日本勢を含む世界メーカーの戦略に影響を与えそうだ。

2014年4月19日 日経2

中国が補助金検討 日本勢、HV現地化
トヨタ、基幹部品を開発 ホンダ、16年から完成車

中国政府がハイブリッド車(HV)に購入補助金を出す検討に入った。割高な価格がHV販売のネックになっていた日本勢には追い風だ。トヨタ自動車は2015年をめどにHVの基幹部品、ホンダが16年からHV車両の現地生産を計画しており、現地シフトによるコスト削減に今回の補助金が加わる。世界最大市場で欧米勢とのエコカー販売競争が激しくなりそうだ。

2014年4月19日 日経1

2014年4月19日 日経3

(以上で日経新聞の記事終わり)

私が1999年に初めて北京へ行った時、空港から一歩外へ出たとたん、あまりの空気の汚さにビックリ仰天したことを思い出します。排気ガスを吹き出す出すダンプカーの真後ろに立っている感じでした。

最近は、さらにひどくなっているとのことなので、国民からの苦情に中国政府もさすがに重い腰を上げざるを得なかったのでしょう。

中国上層部の人たちも、自分たちだけのために、きれいな「空気」を確保することはできないとやっと気がついたのでしょうか。

ハイブリッド車の技術に関しては、トヨタとホンダが世界でも一歩抜きん出た存在であることはもはや周知の事実です。

今後、中国人が息をするために、否が応でも日本車を買わざるを得ない、というほどに日本車メーカーにはがんばってもらいたいものです。

自動車産業は非常に裾野の広い産業です。特に日本においては莫大な影響力を持つ存在だということが、リーマンショックの時に露呈しました。

中国市場において日本車勢がシェアを伸ばし、現地生産も増えてくれば、雇用も確保され、さらに裾野の広い産業にも多大なる好影響を与えることになるでしょう。結果として日中両国の経済関係が非常に深まっていくことは必定です。

緊密な経済関係は、政治や文化面においても、間違いなく良好な影響を与えていくはずです。

かつて坂本龍馬は、「思想で人は動かせても組織は動かせない。組織を動かすものは“利”だ」と言ったそうです。

“利”とはつまり、現代で言う“経済”のことです。

龍馬は、幕府の圧力により、外国から武器が買えずに困っていた長州のために、薩摩を通じて英国の武器を購入できるよう仲立ちをしたそうです。

それに対し龍馬は、見返りに長州から薩摩へ“米”を送らせたそうです。薩摩はあまり米が豊富にとれないため、普段から“芋”ばかりを食べていた薩摩人は「イモ侍」と揶揄されていたからです。

そうやって始まった薩長の“貿易”により、顔を見ただけで殺し合いをはじめるほど憎しみあっていたあの薩長が同盟を結ぶことになります。

今後、日本と中国が強固な経済関係を築くことにより、良好な友好国となる日が来ることを願ってやみません。

小保方氏説明会見、識者に聞く

2014年4月10日(木) 朝日新聞朝刊より

2014年4月10日朝日

謎は何も解消されず
名古屋大教授・森郁恵

科学者として私たちが抱いていた疑問は何も明らかにされなかった。

一言でいえば「論点がずれている」。

切り張りをした画像について、2枚の画像がそれぞれ存在するので「改ざん」には当たらないと主張していたが、別々の画像を1枚にした時点で科学の世界では「ないものを作った」ことになる。

写真の取り違えについては、自分で気づいてネイチャーに訂正を出した際、今年2月に撮り直した写真を出したと言っていた。これも科学者の常識に反する。実験をした時期に撮った写真を提出すべきだ。

STAP細胞が本当にあるのかについて「ある」と断言し、「コツが必要」と説明しているのに、そのコツを聞かれたら「次の論文に支障があるので言えません」と言ったのも変だ。すでに出た論文の再現に必要な情報を「次の論文」のために明かさないということはありえない。 (後 略)

(以上で朝日新聞の記事終り)

昨日、小保方氏の記者会見が行われました。

そのため、昨夜のテレビニュースや今朝のラジオニュースも新聞もその話題で持ちきりでした。

この件につき、沢山の識者、専門家がインタビューを受けコメントを出していましたが、名古屋大学の森郁恵教授の解説が、最も明快でわかりやすかったので、上記にご紹介させていただきました。

下記はそれに対する私の感想です。

① 画像の切り貼りについて

森教授の指摘どおり「別々の画像を1枚にした時点で改ざんになる」という主張は当然でしょう。ましてやこれは「研究論文」なのですからなおさらです。

研究により、導き出された未知の事実とそこに至るまでの過程を、正確に報告するべきです。堂々と「改ざんではない」と主張する小保方氏の姿勢にやはり大いなる疑問を感じざるを得ません。

② 写真の取り違えについて

「研究論文の中の写真が違っていたから差し替えてください」と言って、ネイチャーに差し替えを頼んだそうですが、その新しく提出した写真が、今年2月に撮影したもの、つまり論文を提出した後に撮影したものというのは、一体どういうことでしょうか?

論文を作成するまでの段階の実験の際に撮った写真でなければ意味がありません。実際、その両者が撮影された環境は条件が異なっていたそうですから何をか言わんやです。

③ 「そのコツは言えません」

論文の検証のためにそのコツ、つまりSTAP細胞を作る具体的な手順を分かりやすく示してください、と言われているのに「できない」とは、これまた一体どういうことでしょうか?

すでに世の中に公開されている論文が事実であるかどうかの検証を求められている訳ですから、「次の論文に支障があるから言えません」では、「全てウソだから言えません」と思われてもしかたないでしょう。

以上、小保方氏の反論は、なんの説得力も持たない非論理的な説明でした。

涙で視聴者の情に訴える作戦であったとしか思えません。

STAP細胞の発見は、人類の歴史を変えるとまで言われた大発見だそうです。だから世界中が注目しています。

それなのに、そんなに重要な研究論文が、あまりにもずさんに作成され、提出されていたという事実に唖然とします。

やはり、一部で報道されているように、「異常な何か」があったのではないか?と勘繰りたくなるほど「異常な」事件と言えます。

「裁判になればこの事件の決着には時間がかかる」という報道もありますが、あっという間に急展開、なんてこともありそうな気もします。

「技術立国日本」

「日本人は勤勉で誠実」

「日本の技術者や職人さんはとても優秀」

そういうイメージを持っている外国の人々から落胆と失笑の声が聞こえてこないよう、日本にとって「良い」結末となるよう望んでいます。

アジアでM&A最高 日本企業、中堅も進出

2014年3月31日 日本経済新聞朝刊

日本企業によるアジア地域へのM&A(合併・買収)が一段と活発になっている。2013年度のM&A件数は前年度より25%増え、過去最高となる。株高や収益力回復を背景に成長市場を取り込む動きが大企業だけでなく、中堅企業にも広がっている。資本市場からリスクマネーを調達してM&Aなど攻めの投資に使う動きも鮮明だ。

2014年3月31日日経1

2014年3月31日日経2

(以上で日経新聞の記事終り)

この記事によると中国を除くアジア各国の企業をM&Aする日本企業の動きが活発になっているとのことです。

M&Aが発生すれば、当然、翻訳の需要も高まります。したがって日本の翻訳業界にとって、良い話であることは間違いありません。

ところで違う日の日経新聞にファーストリテイリングの柳井会長のインタビュー記事が載っていました。「ファーストリテイリングはアメリカでの売上を1兆円まで伸ばしたい。全世界での売り上げ目標は5兆円」とのことです。

そこで取材した記者が「M&Aをするのですか?」と聞くと次の答が返ってきました。

「5兆円の目標はオーガニック(自社の成長)だけでもいけるんじゃないかと思う」

この「オーガニック」という言葉使いがちょっとおもしろいなと思いました。

もともと「オーガニック」と言う言葉は「有機栽培」や「有機農法」から来ている用語ですが、そこから発生して、今ではWeb上での自然検索結果を表しています。

つまり有料のリスティング広告によって検索されたのではなく、そのサイト独自の力によって検索された、という意味で使われています。

その「オーガニック」をファストりの柳井会長は、「M&Aではなく自社独自の成長」という意味で使っています。

この意味での「オーガニック」を使ったのが柳井氏が初めてなのかどうかはわかりませんが、なかなか興味深い言葉使いであると感心しています。

まあ、なにはともあれ、日本企業は、もっともっとM&Aで世界中へ羽ばたいて行ってほしいものです。

同時に日本企業をM&Aしたいという世界からの誘いに対しても殻を閉じずに、積極的に受け入れ、日本経済全体が真に国際化されるよう願っています。

生保、日本流生かす営業 アジア潜在需要に的

2014年3月25日 日経新聞朝刊

日本の大手生命・損害保険会社がアジアの生保市場開拓を急ピッチに進めている。経済成長や中間層の拡大が見込まれるインドやインドネシアなどで、潜在需要の掘り起こしに照準を定める。各社は日本流で押したり、現地の慣習も採り入れたりして営業手法を確立し、成長市場での上位進出に挑む。

2014年3月25日日経1

2014年3月25日日経2

(以上で日経新聞の記事終り)

インド、タイ、ベトナム、シンガポール、マレーシア、インドネシアなどの新興アジア各国で、日本の生保各社が日本式スタイルで営業を強化しているそうです。

日本式スタイルの生保販売とは、「日生のおばちゃん」に代表されるような、中高年の女性が企業や家庭を歩き回って生保を売りまくるという、あのスタイルのことです。

戦後ながらくのあいだ日本では、「生命保険はおばちゃん達が売り歩くもの」というイメージが定着していましたが、欧米諸国では、やり手の男性セールスマンが生命保険を売る方が主流だと聞いています。

(もっともここ数十年の間にすっかり事情は変わってきていて、日本でも欧米同様、やり手の男性セールスマンが生保を売るケースがかなり増えてきているように感じますが・・・・)。

さて、以前、生保の業界関係者に「日本の生保販売員は、なぜあんなにおばちゃんが多いのか」と聞いたことがあります。

その話によると終戦後、戦争未亡人が大量に国中に溢れかえり、なんとかして彼女らの仕事を作ってあげなければならなくなったとのことでした。

そして、この生保販売員のアイディアを思いついたとのことです。能力とやる気にあふれるハングリーな女性たちにとって、歩合給のセールスレディーの仕事は一発逆転の狙える夢のある仕事だったのかもしれません。

ちょっと話は脱線しますが、これに関連してゴルフ場のキャディーさんの話を思い出しました。

日本ではキャディーさんは、「おばちゃん」の仕事となっていますが、欧米では通常キャディーなどいませんし、いてもたいていは男性です。なぜならば、重労働だからです。

「日本ではなぜあんな中高年の女性に重労働の仕事をさせるのか?」「そもそもキャディーなど必要ないではないか?」「これは女性虐待ではないのか?」と欧米の人たちは思うそうです。

しかし、業界関係者に話を聞くと、田舎にはなかなか仕事がないため、おばちゃん達が働ける場所を提供するという条件でゴルフ場の建設が許可され、地元の住民達にも受け入れられてきた、という事情があったようです。

さて、話をアジアでの生保販売に戻しますが、日本の文化や風習、それに日本人の考え方などは、やはり欧米よりもアジアでのほうが、受け入れやすいと私は感じています。

従って、日本式営業で日本の生保各社は今後アジアにおいてもっともっと販売額を伸ばしていけると思っています。

また、上記の「世界の生命保険料収入のシェア」のグラフを見ると2012年の「先進アジア」のシェアが「北米・オセアニア」や「西欧」に比べて非常に大きいのに驚きました。

「先進アジア」というのは、日本と韓国の2国だけですから、いかに日本人や韓国人が保険好きなのかがわかります。

これから大きく発展するアジア市場ですから、生保・損保各社のアジア向け翻訳も増えていくことは間違いないでしょう。

中国、大連の写真

本日の日経新聞に、中国の大連市が外資系企業の社会保険負担を軽減する、という旨の記事が出ていました。中国から逃げ出す日本企業を少しでも食い止めようとする政策の表れのようです。

さて、久々に大連の話題を新聞で見かけたので、昨年(2013年)4月に大連に出張した際に撮った写真のことを思い出しました。大連駅から30分ほど電車に乗って開発区へ行き、その後タクシーに乗って街なかを走りました。その時の写真を下記に掲載します。

大連駅前 右手奥に大連駅が見えます。大連駅前

建設中のビル 大連には建設中のビルがとてもたくさんあります。私の知っている限り、ここ2年間、そのほとんどが中断しています。ダンプカーなどの工事用車両もほとんど見かけたことがありません。

大連 建設中のビル

大連駅の自動販売機 朝になると多くの農民工の人たちが列を作って窓口の切符を買い求めていますが、一部自動販売機も使われているようです。

大連駅 切符の自動販売機

電車の切符

大連駅 切符

大連駅のホーム 電車内は日本よりも幅が広くゆったりしています。

大連駅のホーム

大連駅の路線図

大連駅の路線図

大連開発区 タクシーからみた光景 その1

大連開発区 その1

大連開発区 タクシーからみた光景 その2

大連開発区 その2

大連開発区 タクシーからみた光景 その3

大連開発区 その3

大連開発区 タクシーからみた光景 その4

大連開発区 その4

大連開発区 タクシーからみた光景 その5

大連開発区 その5

大連開発区 タクシーからみた光景 その6

大連開発区 その6

大連開発区 タクシーからみた光景 その7

大連開発区 その7

大連開発区 タクシーからみた光景 その8

大連開発区 その8

大連開発区 タクシーからみた光景 その9

大連開発区 その9

大連市、企業の年金負担軽く 撤退防ぐ

2014年3月7日 日本経済新聞朝刊

中国・大連市が外資の進出企業の社会保険負担を軽減する。年金に当たる養老保険の会社負担を、従業員給与の20%から最大16%に引き下げる。人件費の高騰と円安で進出企業の経営状況は苦しく、撤退が続出しかねないと危機感を強めた。

(以上で記事終り)

中国では日本企業の撤退が増えているため、「日本企業向けの撤退ビジネスが繁盛している」などという噂を最近聞いたことがあります。

大連は中国の中でもかなり親日的な地域であり、日本語学習者も多い大都市という理由により、多くの日本企業が工場やオフィスを構えています。

その大連においてさえ、外資企業(大連で一番多い外資企業は日本企業のはずです)の撤退を防ぐために、企業の年金負担を軽減するというのですから、中国からの日本企業撤退の実態がうかがえます。

中国からの撤退を考える第一の理由は、反日感情の高まりでしょうが、それ以外にも中国のバブル崩壊不安や成長率鈍化などがあげられます。

日本では中国の経済成長率が8%代から7%代に下落していること、あるいは7%代すら危ないとの見方で中国の経済はもうだめだみたいな意見も一部にあるようです。

しかし、今や中国は世界第2位の経済大国です。数年前に日本のGDPを追い越したかと思ったら、もう昨年(2013年)には日本のGDPの2倍弱になっています。

このいきなりの2倍弱の理由には、大幅な円安という原因もあるわけですが、それにしてもそれだけの経済大国が未だに7%台の成長率を維持していること自体がすごいことだと思います。

中国経済のバブル崩壊懸念や中国金融システムに関する諸問題も20年くらい前からずっとささやかれてきましたが、その都度それらの不安をはねのけて中国経済は発展を遂げてきました。

人件費高騰により、「世界の工場」としての機能は変化していくでしょうが、「世界の市場」としての機能はより増していくでしょう。

そう言った意味からも中国を抜きにして今後の世界経済や日本経済は決して語れないはずです。

ASEAN諸国(インドネシア、シンガポール、タイ、フィリピン、マレーシア、ブルネイ、ベトナム、ミャンマー、ラオス、カンボジア)の10ヶ国も大事ですが、日本経済にとっては、あい変らず中国も重要であり続けるでしょう。

20130425_080937

2013年4月、出張で大連へ行った時に撮った「大連駅」の写真