翻訳業界、昔あって今ないもの(その1)

タイプライター

翻訳業界に昔(1980年代~1990年代)あって今ないものと言えば、まず最初にタイプライターが思い浮かびます。

私がこの業界に入ったのは1981年ですが、当時はちょうどマニュアルタイプライターから電動タイプライターへ移行する真っ最中でした。私も下の写真のようなタイプライターを渡され、自宅でタイピングの練習をした記憶があります。

当時は翻訳者もタイピストも紙と紙のあいだにカーボン用紙を挟み、カーボンコピーを残していたのですが、打ち間違いなどすると2枚ともホワイトで修正しなければならず非効率でした。ワープロが当たり前となっている現在ではとても考えられないことです。

マニュアルタイプライター (出典:Wikipedia

そして、その後急速に世の中に普及し始めたのが、電動タイプライターでした。当時圧倒的シェアを誇っていたのがIBMの電動タイプライターで、タイプボール(写真下)を使っていました。このボールが電動でくるくると回り、紙とボールの間に挟まれたインクリボンをたたいて文字を印字するのです。

電動式はマニュアル式に比べて、あらゆる点で機能的に優れていたのですが、とても大きく、重く、うるさくて、オフィス内で数十台が一斉に打たれ始めるとうるさくて電話の声を聞き取るのも大変でした。また、当時IBMの電動タイプライターは1台20万円から30万円もしたので、数十台を買いそろえ、かつ高額な消耗品を買い続けることも金銭的負担になりました。

特にタイプボールは、客先の要望に応じて4~5種類のフォントをそろえなければならず、また、落としたりするとどこかの文字が欠けるようこともあり、突然タイプボールが足りなくなるなんてこともありました。販売会社に電話しても在庫がなく、あわてて横浜港の倉庫まで受け取りに行ったなんてこともありました。

IBMのタイプボール (出典:Wikipedia

その後しばらくして、デイジーホイール(写真下)を使ったイタリアのオリベッティ―製の電動タイプライターが発売されたので購入しました。私たちは、このデイジーホイールのことを「おせんべい」と呼んでいましたが、間違えて落としても簡単には壊れずその点は良かったと思います。

デイジーホイール (出典:Wikipedia

さて、上記のタイプライターはすべて英文タイプライターの話ですが、和文タイプライターとなるとまた話が違ってきます。

1980年代初めころだったと思いますが、日本語のタイプを打ってもらうためにある小さな印刷屋さんへ行ったことがありました。

B5の用紙1枚に文字のベタ打ちだけだったのですが、2万円以上の費用がかかり、びっくりした記憶があります。翻訳の料金よりもずっと高かったからです。

その小さな印刷屋さんの中に入ると、薄暗い場所で猫背の女性が5~6人、下の写真のような和文タイプライターに向かって一心不乱に文字を打っていました。昔の話なので記憶も定かではないのですが、これよりももっと大きな機械だった気もします。

和文タイプライター (出典:和文タイプライター

英語で使われる文字は、アルファベットの大文字と小文字52文字+その他の記号だけですが、少なくとも数千文字を使う日本語ではそうはいきません。活字の棒ひとつひとつをつまみあげてインクをつけて紙に打ちつけるわけです。当然ほしい漢字がなければ、活字の在庫のなかから探して入れ替えなければなりません。

気が遠くなりそうな作業ですが、当時和文タイプライターの職人さんたちは特殊技能者としてそれなりの賃金を得ていたことでしょう。しかしその後すぐにワードプロセッサーつまりワープロが急速に世の中に普及したため、和文タイプライターはあっという間に市場から消え去りました。

もっとも印刷業界においては、和文タイプライターに代わって写真植字機(写植)というものが普及したようですが、ワープロとDTPの急速な普及により、単なる文字入力だけという仕事に対する対価が、その後つるべ落としとなったことは言うまでもありません。

英文ワープロ、和文ワープロ、DTPに関しては、次回以降述べていきたいと思います。

(この項続く)