翻訳業界、昔あって今ないもの(その2)

英文ワードプロセッサ―専用機

1981年、会社に入って初めてワードプロセッサーという言葉を知りました。もちろん見るのも初めてだったのですが、米国IBM製の “Displaywriter” という英文ワードプロセッサーでした。

タイプライターで文字を打ち間違えれば、直すのは大変です。そのため「一打入魂」で早く正確に打つ職人芸が求められました。しかし、ワードプロセッサーでは、ディスプレイ上で文字を自由に追加、変更、削除でき、しかも文字情報を記憶し、あとからいくらでも修正が可能となりました。そのため英文タイピストという職業のあり方そのものを大きく変えるきっかけとなりました。

また、IBM Displaywriter には、スペルチェックの機能も備わっていました。しかし、辞書に入っている語彙数がわずかで、”Japan” や “Japanese” などの言葉さえも入っていない代物だったので、まったく使い物になりませんでした。コンピューターによるスペルチェックがそれなりに機能するようになるのは、その後7~8年経ってからだったと思います。

IBM Displaywriter (出典:こちら

その後しばらくして客先の要望により、CPT の英文ワードプロセッサーを2台購入しました。確か1台で400万円くらいした記憶があります。それに加えてメンテナンス料金が1台につき年間40万円以上かかり、かつ消耗品類もかなり高かったという記憶があります。

CPT (出典:Wikipedia

その後しばらくして、Wang の英文ワードプロセッサーが急速に日本でシェアを伸ばし始めました。ワードプロセッサーは、機能や値段よりもそのシェアが最も重要でした。つまり、客先が使っているワードプロセッサーの種類にあわせなければ、納品するデータつまりフロッピーディスクを納品することができないからです。

結局ジェスコーポレーションでも、1985年ころに3台の Wang を1,200万円以上かけて購入しました。まさに清水の舞台から飛び降りる覚悟だったのですが、なんとかブームの最後に乗っかることができ、とりあえず投資資金プラスアルファくらいは回収することができました。

Wang (出典:こちら

当時はどの英文ワードプロセッサーも8インチのフロッピーディスク(IBMでは、ディスケットと呼んでいましたが)を使っていましたが、その後、8インチ ⇒ 5インチ ⇒ 3.5インチと順次縮小されていき、かつ記憶容量は飛躍的に増大していきました。それにしてもフロッピーディスク容量のピークは1.44 MB だったわけですから、現在のギガやテラの世界は、あの当時は想像もできませんでした。

その後しばらくすると富士ゼロックスが J-Star を発売し始めました。これは、マウスやアイコンやマルチウィンドウを備えたワークステーションで、文字ばかりでなく、複雑な表や画像までもデジタルデータとしてとりこみ、編集することができる画期的な商品でした。

ただし、この J-Star の一番の問題点は、とにかく金額が高い、メンテナンス料金も高い、いや高すぎるという点でした。そのため私はさすがにこの導入には二の足を踏み、しばらく様子を見ることにしました。

実際 J-Star を導入したライバル各社は、かなり苦戦している様子でした。その後、パソコンやApple の Macintosh の急速な普及を考えるとあの時に勢いで J-Star を購入せずによかったと思います。

いずれにせよ、当時英文ワードプロセッサーはどれにしてもたいへん高価だったため、設備投資の機種の選定とタイミングは、非常に重要でした。

和文ワープロやDTPに関しては、次回述べてみたいと思います。

(この項続く)