翻訳業界、昔あって今ないもの(その4)

版下作成

翻訳から印刷までの工程を大雑把に言うと、翻訳⇒ デザイン⇒ 版下⇒ 製版⇒ 印刷となります。印刷は「版」にインクをつけ紙に転写して行うのですが、この「版」を作成する工程を製版と言います。そしてその製版前の原稿が版下となります。

したがって版下は、文字や表や図などのレイアウトが最終形として完成している状態の原稿のことを言います。

このデザイン、版下作成、製版という印刷前の一連の工程をすべて机の上のパソコンで行うことをDTPといいます。 これはDesktop publishingの略で、直訳すれば「机上出版」となります。

DTPは、1980年代半ばにアメリカで誕生し、日本でも1990年前後から急速に普及しはじめたのですが、DTPが普及するまでは、印刷前のそれぞれの工程を人海戦術でこなさなければならずこれが結構大変でした。

これまでご紹介してきたように、タイプライターからワードプロセッサーへ移行することにより、文字の追加、変更、削除や作表は、電子データ上でできるようになり、修正作業はとても楽になりました。

しかしながら図がある場合にはそうはいきません。図は紙のコピーをとり所定の箇所へ糊で貼り付ける図の貼り込みという工程が必要だったからです。

特に技術文書は図が多いので大変ですが、CAD (computer-aided design) 、つまりコンピューターによる設計支援ツールなどがない時代には、技術者が手で書いた設計図や回路図などのラフな図を清書するトレースという工程も必要でした。

トレースや図の貼り込みの工程は以下の通りです。

はじめに、トレース台の上にラフな図の書かれた紙を置き、その上にトレーシングペーパーを重ねます。トレース台は、ガラスの下に蛍光灯が入っていて、図の線が透けて見えるので、烏口(からすぐち)やロットリングという製図用のペンを使って線をなぞって清書をしていきます。

トレース台(出典:こちら

烏口(出典:こちら

トレースが完了したら、その図を複写機でコピーし、カッターナイフで該当部分を切り抜きます。次に、タイプライターで別紙に打ち込んである訳文をカッターナイフで細かく切り取り、続いて、その紙片をピンセットを使って所定の箇所に糊で貼り付けます。最後に図全体を文書の所定の箇所へ貼り込み、これでやっとこの図の貼り込みという作業が完成します。

このように版下作成における図の処理には多くの人手間がかかっていたのですが、その後、設計の世界にCADが普及していき、クライアントから支給される図も機械で作成されたものが急増し始めました。そのためトレーサーという職業もあっという間になくなってしまいました。

ただし、「機械で作成された図」と言ってもそれはまだ電子データではなく、紙で支給されたものだったので、原文の文字をホワイトで消し、その上に糊とピンセットを使って訳文を貼り付けるという図の貼り込み作業はしばらくのあいだ続きました。

しかし、1990年代も半ばになると安価で優れたレイアウトソフトや画像描画ソフトが次々と現れ、アップルの Macintosh (Mac) に PageMaker や Illustrator を載せてデザインや制作を行うようになりました。

その後 Mac に Adobe のレイアウトソフトやデザインソフトを載せて制作を行うという流れは、多くのプロのデザイナーに受け継がれ現在に至っています。

一方、複雑なレイアウトを求められない一般文書や超大量の文書でなければ、今では MS-Wordが事実上のスタンダードとなっています。 基本的にMS-Word はワープロソフトであり、DTPソフトではないのですが、DTPソフトに求められる数々の基本的な機能を兼ね備え、最も世の中に普及しています。そのため支給された MS-Word のデータ上に上書き翻訳するというやり方が、翻訳業界の中心になっています。

(この項、終わり)