バングラデシュ」カテゴリーアーカイブ

バングラデシュ投資ミッションに参加して(8)最終回

スラムの学校を訪問

スラム街の中を15分ほど歩き、目的の学校に着きました。

私達が行くことを連絡してあったので、全校生徒が校庭に出て、勢ぞろいして待っていてくれました。小学校1年生くらいから中学校2年生くらいまでの子供たちだったでしょうか。子供たちはとてもかわいらしく、あどけない笑顔が印象的でした。

まず、驚いたことは、子供たちが皆きれいな赤い制服に身を包み、靴を履いていたことです。なぜ、驚いたのかというと、学校に来るまでの道すがら、スラムの中でこの学校の何倍もの数の子供たちを見かけたのですが、みな非常に汚い身なりで、かつ、みな裸足だったからです。

「路上でたむろしていた子供たちは、なぜ学校へ行かないのだろう」と不思議に思い、関係者に聞いてみると「子供に仕事をさせるために学校へ行かせたがらない親がまだたくさんいる」とのことでした。そのため、特に学校内の中学生は、ぱっとみたところ男子は15名くらい、女子は数名だった気がします。

バングラデシュの国語は、ベンガル語ですが、成人(15歳以上)の識字率は、わずか56.8%とのことです(Human Development Report 2011年)。

インド、英国、パキスタンからの政治・経済・文化の抑圧に翻弄された歴史を持つバングラデシュは、1971年に独立しました。それはベンガル民族にとっての悲願だったそうです。

そのため、文化(特に言語、つまりベンガル語)侵略に対する強いアレルギーを持っているそうで、人気のドラえもんはヒンディー語であることを理由に放映禁止になり、市中の映画館もボリウッド(インド映画)は禁止されています(しかし、ケーブルテレビはほとんどインドチャンネルのため、「映画は家で」が定着しているそうです)。

インド同様、インテリ層はほとんどが英語を話しますが、ベンガル語での教育が一般庶民の隅々にまでいきわたるには、まだまだ時間がかかることでしょう。

 <学校の様子1>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<学校の様子2>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<学校の様子3> OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<学校の様子4>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<学校の様子5>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

  <学校の様子6>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

私達のために、子供たち全員で、パーカッションと民族楽器の音楽に合わせて歌を2曲披露してくれました。両方とも動画で記録したのですが、このブログでは、動画を簡単に掲載できないようなので、残念ながら掲載はあきらめることにします。

また、その2曲とは別に一人の少女が代表で皆の前に出てきて、音楽に合わせてイスラム教の歌を披露してくれました。

小学校3年生くらいと思える少女が、一人で一生懸命歌っていたので、歌い終わったあと、私は思わずまっさきに拍手をしました。しかし、すぐに先生に拍手の静止を指示されました。あの手の歌のあとには、拍手をしていけないのだそうでした。

最後に子供たちに、ユーグレナのクッキーを手渡し、握手をして別れを告げました。どの子も本当につぶらな瞳のかわいい子たちばかりでした。

さて、学校をあとにして、私たちはそのまま空港へと向かい現地解散し、三々五々、それぞれの目的地へと旅立ちました。私はバンコク経由で羽田空港へと向かいました。

基幹産業であるアパレル製品の製造・調達拠点としての活用が進むバングラデシュは、人口1億5,250万人(2013年3月、バングラデシュ統計局)、そのうち約半数が25歳以下という若い国です。

感性豊かなバングラデシュ人の芸術的能力を評価する声は強く、原色を多用する色彩感覚は、絵画、サリー、伝統刺繍(ノクシカタ)、リキシャアートなどに表れています。インテリはみな絵画好きで、首相府、中銀はじめ、政府・財閥オフィスや社交場の壁には絵画があふれているとのことです。確かに私たちが訪れた場所には、立派な絵画が数多く飾られていました。

JETROが2012年に行った調査では、バングラデシュ人が好きな国のNO.2が日本(No.1はアメリカ)、重要な国もNo.2が日本(NO.1はインド)だったそうです。日本とバングラデシュとの交易がよりいっそう増えていくことを願って、今回のミッションの報告を終えることにします。

(この項、終り)

バングラデシュ投資ミッションに参加して(7)

日本大使館で交流パーティー

さて、ジャムナ・フューチャー・パークを発ったあと、またバスに1時間ほど揺られ、バングラデシュ日本大使館へと向かいました。

到着した時はすでに夜でしたが、高い塀により囲われた日本大使館は、ライフルを持った現地の警察官数名により警備されていました。中に入ると、緑豊かな広い庭の向こうに立派な建物が見えてきました。

バングラデシュ最後の夜は、この日本大使館レセプション・ルームにおいて、大使を交えて「ダッカ日本商工会」のメンバーの皆さん達と交流する機会が持てました。

広く豪華な部屋で、ゆったりとしながら、日本料理(と言ってもベンガル風ですが)とお酒をいただきながら、日系企業駐在員の方たちと交流を深めることができました。

<バングラデシュ日本大使館> 残念ながら、大使館内は撮影禁止のため、外観だけ撮影させていただきました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

大使館での交流パーティーを終え、ホテルへ帰ったのは夜10時過ぎ。長い3日目が終わりました。

~4日目~

スラム街を訪問

最終日4日目は、ホテルで朝8時から解団式があり、その後、ユーグレナという会社の現地社員の方からのプレゼンを受けました。

ユーグレナは、ミドリムシという名前の微生物を研究開発している日系企業で、ミドリムシを使ったクッキーをバングラデシュのスラムの学校の子供たちに無償提供しているそうです。

そんな縁で、最終日はユーグレナの現地社員の方のご案内で、ダッカのスラム内にある学校を訪問しました。

ホテルを出て市の中心街を抜け、スラムの方へ近づくにつれ、マイクロバスの車窓から見える景色が少しづつ変わっていきました。

<ダッカ市中心部の光景1>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ダッカ市中心部の光景2>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ダッカ市中心部の光景3> イギリスから流れて来た使い古しの2階建てバスがたくさん走っていました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <バングラデシュ首相官邸の入口> ものすごく広くて豪華でした。 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<車窓から見えた HOME LOAN の広告> 優遇された住宅ローンの金利が、12.99%ということでインフレの度合いが想像できます。

ホームローン

<スラムに近い場所1>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <スラムに近い場所2>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<スラムに近い場所3>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <スラムに近い場所4>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <スラム入口付近> スラムの入口に着くと、4~5名の現地ガードマンの人たちが待機してくれていて、そのガードマンの皆さんに守られながらスラム街の中を歩き、目的の学校へと向かいました。奥へ入っていくとどんどん道が狭くなっていき、道路も汚くなっていきました。スラム内の人々や家屋にカメラを向けるのは、さすがに憚られたので撮りませんでしたが、想像を絶する汚さと貧しさでした。モザイク17

 <スラム内の学校の入口>モザイク18

学校内では、沢山の写真と動画を撮ったのですが、それに関しては次回へ回すことにします。

(続 く)

バングラデシュ投資ミッションに参加して(6)

バングラデシュと蚊

さて、ダッカの大ショッピング・モールである「ジャムナ・フューチャー・パーク」の話をする前に、ダッカの「蚊」について話をしておこうと思います。

バングラデシュの気候には、暑季(4月~5月)、雨季(6月~10月)、乾季(11月~3月)lの3つがあり、私の行った11月は雨もなく、暑くもなく、一番良い季節だったのですが、そのかわりに蚊が発生し始める季節でした。

そのため、空港に降り立った時から、さっそく蚊の攻撃に悩まされました。特に移動中のマイクロバスの中には、大量の蚊がいて、殺しても殺してもわいてくる蚊には、閉口しました。

JETRO現地駐在員の話によると、駐在員はほとんどがデング熱にかかった経験があるそうで、中にはマラリアやデング出血熱になり、タイのバンコクまで搬送された人もいる、などと涼しい顔で説明していました。

私は、バスの中で1日に20数匹の蚊を殺し、日本から持って行った虫よけスプレーを手、顔、首にしょっちゅうかけまくり、結局1回も刺されずに帰国することができました。

ショッピング・モールを訪問

さて、ジャムナ・フューチャー・パークの話に移ります。ここはつい最近完成したダッカ市内最大のショッピング・モールです。

現在のところ、全8階のうち1~2階と7~8階はある程度テナントが入り、埋まっていましたが、3~6階は、全て空のままという状態でした。

概観は、近代的な作りで、日本でもよく見かけるアメリカ風ショッピング・モールでしたが、人の出入りはまだまだ少なく、これから・・・・、という感じでした。

<ジャムナ・フューチャー・パーク1> 概観モザイク13

<ジャムナ・フューチャー・パーク2> 入り口でボディーチェックされるのですが、日本人(外国人?)はほとんどノーチェックでした。モザイク14

<ジャムナ・フューチャー・パーク3> 時間が早かったので閑散としていますが、この30分後くらいには、もう少し人が出回っていました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ジャムナ・フューチャー・パーク4>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ジャムナ・フューチャー・パーク5>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ジャムナ・フューチャー・パーク6> ここに来る若者たちは、きっと中産階級以上の人たちなのでしょう。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ジャムナ・フューチャー・パーク7> バングラデシュは基本的にイスラム教の国なのですが、大衆がこのような服を着る日が近いうちに来るのでしょうか?OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ジャムナ・フューチャー・パーク8> ボーリング場入口OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ジャムナ・フューチャー・パーク9> ボーリング場OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ジャムナ・フューチャー・パーク10> ファーストフードのようなお店がたくさん並んでいました。このあと30分もするとちらほらと人の数が増えていきました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ジャムナ・フューチャー・パーク11> 若者たちがアトラクションの猛牛に乗って楽しく遊んでいました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

このジャムナ・フューチャー・パークのショッピング・モールのお隣に遊園地ができていました。まだ建設途中ではありましたが、観覧車やジェットコースターなど、いくつかのおきまりのアトラクションもありました。

JETRO駐在員の方のお話によると、つい最近アトラクションで死亡事故があったそうです。それによると「中国製の乗り物をバングラデシュ人が管理している訳ですから、そのくらいは仕方ないのでしょうね」とのことでした・・・・・・・・笑ってはいけないですが、思わず笑ってしまいました。

(続 く)

バングラデシュ投資ミッションに参加して(5)

~3日目~

バングラデシュの道路事情

朝6時25分にホテルのロビーに集合し、すぐにマイクロバスに分乗してバングラデシュホンダの工場へと向かいました。3時間近くバスに揺られ、やっとたどり着いたのですが、激しい渋滞と道路の質の悪さにはまいりました。

少し郊外へ行くと舗装されている道路も劣悪を極めます。バスが激しく上下に揺れ、とてもバスの中で居眠りするどころではありません。加えて、ところどころ舗装されていない箇所があり、バスは大波小波を乗り越えるようにジャンプしながら進んでいきました。そのためタイヤのパンクもよくあるとのことでした。

JETROの現地所長の話によると、道路の質が悪い理由は「まず、アスファルトやコンクリートの質そのものが悪い。さらにバングラデシュには岩がなく砂もないため、砂の代わりにレンガを砕いたものを混ぜて使っている。そのため、すぐに道路が傷む」とのことでした。

<バスの車窓から見た光景1>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<バスの車窓から見た光景2>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<バスの車窓から見た光景3>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <バスの車窓から見た光景4> OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <バスの車窓から見た光景5>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<バスの車窓から見た光景6> OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <バスの車窓から見た光景7>OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<バスの車窓から見た光景8> OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ホンダの工場を見学 

ホンダの工場では、バングラデシュ周辺国から輸入した部品を手作業で組み立て、オートバイを作っていました。牧歌的な雰囲気の工場の中で、現地従業員のみなさんが一生懸命組立作業を行っている姿が印象的でした。

工場長のお話によると、バングラデシュはオートバイや自動車の関税が非常に高く、かつ不条理な規制ばかりで困惑しているとのことでした。しかし、間違いなく近い将来、インドやベトナムなどの周辺国同様、バングラデシュでもオートバイの需要が急増すると見込んでいるとのことでした。

<バングラデシュホンダの工場の概観>  工場の概観は撮影OKだが、中は撮影不可とのことでした。モザイク9

地場の大手製造業本社・工場を訪問

さて、ホンダの工場を発ち、さらに2時間半ほどかけて、WALTONという地場の企業を訪問しました。WALTONは、家電製品やオートバイなどを製造しているバングラデシュを代表する大手企業です。

WALTONでベンガル料理のランチをご馳走になったあと、しばらく会議室でWALTONの会社案内を受けたあと、工場の見学に連れて行ってもらいました。

<WALTONの会議室> 昼食、プレゼンのあと皆でショールームと工場へ向かった。モザイク10

<WALTONショールーム1> 薄型テレビモザイク11

<WALTONショールーム2> 冷蔵庫モザイク12

<WALTONショールーム3>薄型テレビOLYMPUS DIGITAL CAMERA

<WALTONショールーム4> オートバイOLYMPUS DIGITAL CAMERA

<WALTONショールーム5> 各種家電製品OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<WALTONショールーム6> エアコンOLYMPUS DIGITAL CAMERA

WALTONの工場は、正直言って、とても最先端の製造設備という光景ではありませんでしたが、快く社員の方が隅々まで案内して説明してくれました。

その後、WALTONの工場を発ち、再び2時間半ほどバスで揺られながら、次の目的地、ダッカの大ショッピング・モールである「ジャムナ・フューチャー・パーク」へと向かいました。

(続 く)

バングラデシュ投資ミッションに参加して(4)

富裕層のご家庭を訪問

ACI 訪問のあと、いわゆる富裕層のご家庭を訪問させていただきました。40人以上という大勢で押し寄せたのですが、非常に快く私たちを歓待してくれました。

招いてくれたのは、日本ともビジネス関係のある中小企業の社長さんのご自宅で、日本で言う高級マンションの一室でした。マンションの一室と言っても非常に広く、リビングルーム2部屋、キッチン、ダイニングルーム、ベッドルームが4~5部屋、それに住込みのお手伝いさん3人~4人用の部屋も別にありました。

「どうぞ、どうぞ、ご自由に写真を撮ってください」というお言葉に甘えて、沢山撮らせていただいたものが下記です。

<富裕層の家庭1> エレベーターホールと部屋の入口の間には鉄格子がありました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<富裕層の家庭2> 玄関ホールモザイク5

<富裕層の家庭3> 玄関に肖像画OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<富裕層の家庭4> リビングには様々な小物(世界各地のお土産品?)が飾ってありました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<富裕層の家庭5> 第1リビングモザイク2

<富裕層の家庭6> 第1リビングモザイク3

<富裕層の家庭7> 第2リビングモザイク1

<富裕層の家庭8> ダイニングOLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <富裕層の家庭9> 18歳のお嬢様のお部屋。快く撮影に応じてくれました。OLYMPUS DIGITAL CAMERA

現地商工会議所の方々と交流パーティー

さて、富裕層のご家庭を訪問させていただいた後、再びバスに1時間ほど揺られ、日本バングラデシュ商工会議所の方々との交流ディナーが開かれるレストランへと向かいました。

<レストラン全景> 商工会議所の方々との交流ディナーパーティーが開かれたレストラン。モザイク6

<商工会議所ディナーパーティー1> モザイク7

 <商工会議所ディナーパーティー2>モザイク8

 <商工会議所ディナーパーティー3>

商工会議所

この交流パーティーでは、現地政府関係者、日系進出企業、地場企業関係者のほかに、大学の先生をはじめ、多くの知識人、財界人、著名人と交流を持つことができました。非常に有意義な時間を過ごすことができ大満足でした。

パーティーを終え、ホテルへ帰ったのが夜の9時半ころだったでしょうか。長い長い2日目のバス旅行が終了しました。しかし、その翌日は、さらに長い一日が待ち受けていたのでした。

(続 く)

バングラデシュ投資ミッションに参加して(3)

ベンガル料理と水

さて、日系企業M社の工場を発ち、再びバスで2時間移動し、Sky View Restaurant でベンガル料理のランチを食べました。

Sky View Restaurant の名の通り、周囲を見渡せる14~15階のビル最上階にあるレストランでした。

レストランから見える景色は以下のとおりです。

<Sky View Restaurant から見た街並み1>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<Sky View Restaurant から見た街並み2>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<Sky View Restaurant から見た街並み3>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ベンガル料理はどうだったかと言いますと、インド料理に近い、香辛料をたくさん使った、辛くて脂っこい料理がほとんどでした。また、どのレストランで食べてもだいたい似た料理が出てきました。中にはおいしいカレーやナンもあったのですが、日本人にとっては、非常に脂っこく、辛く、肉も魚も大味で、お世辞にも美味しいとは言えないものでした。

料理の味もさることながら、私がバングラデシュで一番気になったのが、食と水の安全でした。バングラデシュの地下水は、かなりヒ素で汚染されているそうです。 → バングラデシュのヒ素汚染

当然、飲み水は全てペットボトルの水を飲みましたし、火の通った食べ物しか口にしませんでしたが、水は全ての基本ですから、それがヒ素で汚染されているとなるととても恐ろしいことです。

特に地方の農村地帯の人々は、水道がないため、井戸水を飲んでいます。さらに地下水をくみ上げ農業用水として利用しているため、バングラデシュのお米はかなりヒ素で汚染されているとの話でした(JETROの現地所長より)。

さらに野菜や果物の見かけの鮮度を保つためにホルマリン漬けにする習慣があるので、日本の駐在員の皆さんは、普通の市場で買い物はしないそうです。日本の物価なみのお金を出してでも安全と思える野菜や果物を高級店で購入しているそうです。また、牛にホルマリン注射をしたりしているとのことなので、現地の農家の人々には、その点に関する啓蒙活動も必要だとのことでした(JETROの現地所長より)。

水ダメ、米ダメ、肉ダメ、野菜ダメ、果物ダメ、となると「じゃあ、何を食べればいいの?」となり、残念ながら私は「食べる」ということに関しては、楽しめませんでした。

地場の大手小売業本社を訪問

さて、ランチの後、バスで10分ほど移動し、現地で農産品、化学品、日用雑貨品、薬品などの小売を手掛ける大手企業ACIの本社を訪問しました。

<ACI本社においての会社案内> OLYMPUS DIGITAL CAMERA

ACI のプレゼンテーションを聞いた後、再度バスで1時間ほど移動し、富裕層の家庭を訪問したのですが、それは次回に回すことにします。

(続 く)

バングラデシュ投資ミッションに参加して(2)

オリエンテーション

初日の午後3時過ぎにホテルに着き、その後2時間ほどのオリエンテーションを受けました。

ます、JETROダッカ事務所の駐在員の方から、バングラデシュの現状についてのご説明を受けた後、ユニクロのご担当者からバングラデシュでのビジネスの現状をお話いただきました。

その後、アパレル系日本法人のY社長から現地工場についてご説明をしていただきました。この会社は主に日本の大手量販店向けにTシャツやトレーナー、ジャケットなどを生産しているとのことです。

2009年3月にバングラデシュに進出後、2011年3月に自社工場を120名体制でスタート、2014年9月には第2工場を作り、現在800名まで社員が増えているそうです。

Y氏によると、現地法人に日本人はゼロ、全員バングラデシュ人。優秀な人材がたくさんいるが、一番重要なのはコミュニケーション、とのことでした。以下は、Y氏からの情報です。

バングラデシュ生産のメリット

  1. 作業員はまじめで技術習得にもたけ、生産性も向上する。
  2. 中間管理層(大卒以上)は、英語でのコミュニケーション能力も高い。
  3. 綿製品に関しては、原料価格なども中国より安く、価格優位性が高い。

バングラデシュでの製造型・法人運営のリストとデメリット

  1. 政治的な混乱などによるデモが発生し、生産がストップする可能性がある。
  2. 治安は決して良くないため、リスク管理を徹底する必要がある。
  3. インフラが脆弱で停電が頻発。自家発電は欠かせない。
  4. バングラデシュの港から日本の港まで、のべ1か月弱にもおよぶ輸送期間。

オリエンテーションのあと、日本からミッションに加わった38名にJETROスタッフ、現地企業の方々等、総勢50名ほどでパーティーがあり、一挙に打ち解けた雰囲気となりました。

~2日目~

アパレルメーカーの工場を見学

翌朝6:55から長い長いバスの視察ツアーの旅が始まり、ホテル出発から1時間半後、日系企業M社の工場に到着しました。

M社は、日本国内に145名(海外駐在員15名)の従業員をかかえる中堅アパレルメーカーで、2009年にバングラデシュ法人を設立し、2010年から操業、2014年現在2,000人の現地従業員を抱え、さらに来年は3,000人規模に増大すべく、新工場を建設中とのことでした。

<M社工場内の光景1>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景2>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景3>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景4>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景5>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景6>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景7>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景8>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景9>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<M社工場内の光景10>

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

工場内はどこも清潔で、従業員の応対も良く、とても雰囲気の良い会社でした。2時間半ほど見学をさせていただいた後、M社を去り、再びバスに乗ってSky View Restaurant へと向かいました。

(続 く)

バングラデシュ投資ミッションに参加して(1)

先々週、JETROが主催した「バングラデシュ投資ミッション」に参加してきました。バングラデシュ滞在はわずか4日間(全行程で3泊6日)ではありましたが、非常に有意義な視察となりました。

地元の大企業や日系の中小企業を訪問させていただいたり、富裕層の自宅やスラム街の学校を見学させていただいたりと、個人であったら数十年かかるであろうと思える出会いや情報をわずか4日間で得ることができました。JETROさんに感謝です。

バングラデシュ基本情報
(正式国名) バングラデシュ人民共和国
(人 口) 1億5,252万人(2012年)
( 面 積)  14万7,570㎢ (北海道の約1.9倍)
 (首 都)  ダッカ
 (公用語)  ベンガル語
 (宗 教)  イスラム教(国教)
 (日本との時差)  -3時間
 (日本からのアクセス)  香港、シンガポール、バンコク、クアラルンプール、昆明、広州のいずれかを経由。所用時間は10時間~13時間。
 (在留邦人数)  853人 (2013年10月時点)

人口1億5,000万人を誇るバングラデシュは、過去10年以上にわたり、安定的に6%の経済成長を続けています。また、現在中国に次ぐ世界第2位のアパレル製品の輸出大国で、大手有名アパレルブランドが生産や調達の拠点としています。さらに海外出稼ぎによる巨額マネーが都市部、農村部に流れ、所得も上昇し、富裕層や中間層が拡大しています(以上、JETROの資料より)。

日本からバングラデシュへの直行便はないため、私の場合は羽田空港を深夜0時頃出発して、バンコクの空港で5時間ほど時間をつぶし、首都ダッカに着いたのは、当日の14時くらいでした。帰りはお昼過ぎにダッカを出て、バンコクの空港で6時間ほど時間をつぶし、羽田に着いたのは翌朝の6時頃でした。往復の移動だけでも結構疲れます。

~初日~

ダッカ市街の光景

ダッカの空港に降りてから、JETROが用意してくれたマイクロバスに乗り、ホテルまで移動しました。バスの窓から見たダッカ市街の第一印象は、やはり思っていた以上に街が汚い、人が多い(ほとんどが男性)、渋滞が激しい、ただ北京やベトナムの街に比べれば、まだ空気の汚さはまし・・・・、こんなところでしょうか。

<ダッカ市街の光景1> CNG(シーエヌジー)という主に中間層以上の人が利用する三輪車タクシー

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ダッカ市街の光景2> ゴミが散乱し、街は汚い。スラムへ近づけば、汚さに貧しさが加わってくる。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ダッカ市街の光景3> リキシャと呼ばれる主に低所得者、中間層が利用するタクシー。名前の由来は日本の人力車から。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

 <ダッカ市街の光景4> 世界最悪とも言われるダッカの渋滞。路上は、車、バス、CNG,、リキシャなど色々な乗り物でごった返す。時間帯によっては、500メートル進むのに、車で1時間かかるという場合もある(JETROの資料より)。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ダッカ市街の光景5> ダッカの郊外へ行くと外を歩く女性の数も増えてくるのですが、市の中心部ではほとんど女性を見かけませんでした。女性は自宅の近所しか出歩かないということなのでしょうか?理由のほどはわかりませんが、珍しく市の中心部に3人の女性がいたので写真を撮りました。ダッカの女性のほとんどは民族衣装を着ていましたが、逆の見方をすれば、スカートやワンピースやジーンズの大市場が眠っていると言えるのかもしれません。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ダッカ市街の光景6> バスに乗っているわれわれに本を売ろうと近寄って来た少年。小さな子供たちはみな裸足でした。 

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

<ホテルの部屋から見える光景> 5つ星のホテルと外の世界との落差は激しいものでした。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA

バングラデシュの首都ダッカで得た貴重な経験を、これから8回にわたって、このブログに記していきたいと思います。

(続 く)