2006年 流行語大賞(その1)

イナバウアー、E電、武士の言葉

新しい言葉がどんどん生まれてくるということは、ある意味「自由と平和の象徴」とも言えます。戦争や大恐慌や恐怖政治の時代に、新しい言葉がつぎつぎと自由に生まれてくるわけがないからです。そういう意味では私たちはとても良い時代に生まれ育ったと言えるでしょう。

言葉を売るのが仕事である翻訳会社の社長としては、毎年恒例の「流行語大賞」はバカバカしいのですが、やはり気になるところです。「イナバウアー」と「品格」の2つが大賞をとったほか、「エロカッコイイ」「格差社会」「シンジラレナ~イ」「たらこ・たらこ」「ハンカチ王子」「脳トレ」「mixi」「メタボリックシンドローム」などが受賞したそうですが、「本当に流行したの?」と思える、ただの話題づくりを狙ったとしか思えないような言葉が受賞するのが、この賞の毎年の特徴でもあります。

よく「最近の日本は言葉が乱れている」と言う人たちがいます。たいていはご老人ですが、実はそれは言葉が乱れているのではなく、「そのご老人が新しい言葉についていけなくなっただけ」のことなのです。

昔、国鉄がJRに変わるとき、「国電」という呼び方をどう変えるかを国鉄の「お偉いさん」たちが多くの文化人(老人の学者達の中に確か小林亜星や黒柳徹子なども含まれていた記憶があります)や高級官僚を集め、議論を重ね、「E電」という呼び名を考え出しました。しかし、ご存知のとおり、「E電」など誰も使わず、結局いつのまにやら消えてなくなりました。

E電
<今も残る、蒲田駅の「E電」表示>

そうなのです、新しい言葉は、文化人やお役人が決めて下々へ与えるものではなく、自然発生した言葉が、大衆の間に定着し、やがて「日本語」として認知されていくものなのです。言語学者のやるべき仕事は、その言葉がどのくらいの割合で大衆の間に定着しているのかを調べ、ある一定基準を超えたら、辞書に載せるか載せないかを判断することだけで十分なのです。主導権は常に大衆にあり、学者は統計をとるだけの人でなければなりません。

「~という言葉の意味を全国の人に聞いてみたら、75%の人がその意味を取り違えていた」という新聞記事を見たことがあります。そこである言語学者が登場し、「この言葉の意味は、歴史的にみて~のような意味があり、正しくは~という意味である。最近の日本は言葉が本当に乱れている」とコメントしていました。

わたしから言わせれば、日本列島に住む日本民族の4分の3が現在使っている言葉と、ごく少数の老人学者が持つその言葉に対するイメージのどちらが正しいのかというと、私は明らかに前者だと考えます。

「東京大学」が「東大」、「原子力発電所」が「原発」、「ゲームセンター」が「ゲーセン」ならば、「携帯電話」は「ケイデン」でなければならないし、「コンビニエンスストアー」は「コンスト」でなければなりません。しかし、誰が何と言ったって、日本語では「ケータイ」と「コンビニ」が正解なのです。

「はじめまして、わたくし、山田太郎と申します。お会いできて大変光栄です」

おなじみ、現代日本のきまり文句ですが、この言葉を聞いた明治初期生まれの元武士は、昭和初期生まれの小僧をつかまえて、「正しい日本語を使え!」と怒ったことでしょう。当時の正しい日本語は知りませんが、イメージとしてはこんなものだったかもしれません。

「それがし儀、山田太郎にござ候。ご尊顔を拝したてまつり、恐悦至極に存じたてまつる」

(この項、次回へ続く)