世界同時不況と翻訳業界

私が翻訳業界に入ったのは1981年4月ですが、それ以来、さまざまな不況(プラザ合意後の円高不況、バブルの崩壊、山一・拓銀破綻ショック、ITバブルの崩壊)を経験してきました。しかし、今回の米国金融危機発世界同時不況は、最大かつ最長のものとなるでしょう。

私は1990年代初め、ある大手都市銀行の元役員で、当時はノンバンクの会長をしていたN氏にこんな話を聞いたことがあります。N氏はある勉強会の講師をボランティア的に務めてくださっていました。銀行家らしからぬそのユニークな経営理論に、数多くの中小企業経営者が“師匠”として慕っている方でもありました。

私がN氏と話をしているとき、たまたま手元に4~5社の大手新聞社の新聞紙が置かれてあり、その日はどの一面も「金融機関の不良債権8兆円」という巨大な見出しが躍っていました。

そのときN氏は、各新聞紙の一面を指で強く叩きながら、私にこう言いました。

「いいか丸山君、マスコミというのはこういうウソを平気でつくから、こんな報道をまともに信じちゃダメだぞ。いまや金融の専門家の間では、日本の金融機関の不良債権が100兆円を超えるなんていうのは常識だ。8兆円なんかで済むわけがない」

現にその後、しばらくしてから新聞各紙の一面に「金融機関の不良債権12兆円」という大きな見出しが躍りました。しかしその後しばらくするとまたまた「金融機関の不良債権20兆円」、しばらくするとまたまた「金融機関の不良債権28兆円」、その後も何度か同じような見出しが続き、最後は「40兆円」を超えたあたりから、やっと日本のマスコミも「何かおかしい」と感じ始めました。最初の報道から数年以上は経過していたでしょう。

N氏によると、もともと日本の金融機関には「6ヶ月間元本も金利も一切返済しないと不良債権とする」というあいまいな基準があったそうです。そこで当時の日本の金融機関は、このあいまいな基準を悪用したのです。

たとえば、ある銀行が経営破綻している不動産会社に300億円を融資していたとします。しかし銀行がその不動産会社を「破綻した」と認めてしまうと、銀行にとって、その300億円は「不良債権」となってしまいます。そこで銀行はその不動産会社の口座へ半年毎に1億円を振り込み、その直後、金利として1億円を回収するのです。

6ヶ月毎に金利をきちっと支払っているその不動産会社は、「不良債権先」にはなりません。銀行にとっては巨大すぎてつぶせないのです。

そうやって「臭いものにフタをして」次から次へと先送りが行なわれていったのですが、そんな子供だましがいつまでも通用するはずもありません。そしていよいよにっちもさっちも立ち行かなくなったのが、1997年の山一證券と北海道拓殖銀行の経営破綻だったのです。

1998年10月に金融機能再生関連法」が制定され、「不良債権の定義」が決まりました。その後、日本の金融機関の不良債権処理が終わったと言われているのが、2005年ですから、バブルの崩壊から実に15年が経過しています。

さて、今回の「世界同時不況」です。米国のバブル崩壊と日本のそれとは非常に酷似しているのですが、ショック直後の政策の混乱ぶりまでまた同様に酷似しています。

今一番懸念されるのは、サブプライムローン関連不良債権の全体像をいまだに公的機関が公式発表していないという点です。米国政府すらもいまだその把握ができていないというのが実態なのかもしれません。

日本のバブル崩壊の時がそうであったように、誰もが不良債権の真の姿を隠そうとするのです。その結果、実態が明らかになるまで時間がかり、政策が常に後手後手に回らざるを得ません。

私は米国はじめ欧州各地にはもっともっと巨大な不良債権が多数隠れていて、これから時間をかけて順次明らかにされていくと確信しています。

加えて懸念されるのが中国の経済です。中国はここ数十年間、一本調子で高度経済成長を遂げてきました。常識的に考えてもこんなバブルがそう長く続くわけはありません。長期的にはまだまだ経済発展するとしても、必ずやどこかで巨大な経済ショックに見舞われるでしょう。その「中国ショック」が今回の「米国金融ショック」に加わったら、日本経済へ与える影響は計り知れません。

私は今回の「世界同時不況」は今後7~8年続くのではないかと考えています。その根拠は、日本は不良債権の処理に15年を費やしたので、米国がその2倍のスピードで処理を行なったとしても7.5年はかかるからです。3倍であったとしても5年はかかります。

さて、日本の翻訳業界の話ですが、私の過去の経験則から言って、今回の「世界同時不況」の間にきっと多くの翻訳会社が消えてなくなることでしょう。そして次代の発展産業を追い求めながら、アメーバのごとく離合集散を繰り返し、業界全体としては発展を続けていくはずです。

1970年代のオイルショックが日本経済に構造的転換をもたらし、技術主導型の日本的効率経営を生み出しました。80年代初頭の「世界同時不況」は日本の超円高を誘発し、ひいては日本のバブル好景気を生み出しました。世界的な経済混乱が起こるたびに、その機に乗じて「成功」する企業・産業が生まれてくるものなのです。

そういう意味から言っても、今は翻訳業界にとっても、千載一遇のチャンス到来と言っても過言ではないでしょう。少々不謹慎な言い方かもしれませんが、私はこのような世の中の変化を見るのが楽しくてしょうがありません。